再来⁉二人目のペキペキ病

「さあ、ここでバッターボックスに立ったのは、期待の四番打者『ピロム・コーシト』ロシアからやってきた冷たいホームラン製造機が、またも伝説を見せてくれるのか!?」


 アナウンスに呼ばれる男は、背丈が2m近い巨漢であった。青と緑が混ざった特徴的な瞳に、茶色の髪。打席に立ちながらゆっくりと肩を回して特製のバットを構える。

 予告ホームランだ。


 会場がどよめくと同時に、全員が期待のまなざしを向ける。満塁の状況。点差は二点。九回裏のツーアウトの状況では、よりプレッシャーが高まる。向かい合った投手も緊張の面持ちでありながら、ピロムの表情はいたって落ち着き払っている。


「さぁ、ピッチャー。投げた。早い!!」


 放たれたボールは、確実にバットの芯でとらえている。瞬間、だれもが悟った。

『これはホームランに入る』と…。


 記念すべき一球を手に入れるべく、客席のファンたちは身構えている。だが、いつまでたってもボールは飛んでくることはない。うずくまるピロムと、彼の前で無様に転がるボール。

 観客も、アナウンスも、捕手も投手も外野も内野も、監督も、だれもかれもが唖然としていた。なにより、プロム自身が一番呆然としている。


 右腕の肘にかかる激痛に思わず涙を流してしまいそうだった。プロ野球選手である彼が、いまさらボールの勢いを殺しきれなかったというわけではない。彼がバットで打つ直前、あと数ミリでバットがボールに触れるという直前で、のだ。


 病院に緊急搬送された彼は、数日と経たぬうちに『マギカ診療所』へ紹介されることとなった…。


「ペキペキ病だな」


 折れた腕を見ながら、天才魔術師Dr.マギカは言う。

 洗濯したばかりの白衣を身にまとっていると、それなりにすっきりした顔立ちであるように見えるが、不遜な目つきによってかき消されてしまっている。

 しかし、患者にとって重要なのは医者の顔がいいかではなく、腕がいいかという問題。プロムと同程度の年齢に見えながら、いくつもの病院で太鼓判を押されているDr.マギカに疑いの目を向けていた。


「そんな一瞬見ただけでわかるんですか?」

「ああ、いま目の前で折れた姿を見せてもらったからな。正確に言えば局所的ペキペキ症というべきか…。はっきり言うと初めての症例だ。それと成人している患者も初めて見た。」


 何でもないような感じで病気のあらましを語るが、にわかには信じられない。プロムは魔力なしで生まれており、子供のころからオカルト的なものとは無縁で生きてきた。たしかに、彼の友人には魔力を持っている者や精霊術師を志していた者もいたが、まさか自分に降りかかってくるとは思ってもみない。


「魔力も無ければ、全身でもない。未熟な精霊術師どころか、ただの野球選手ですよ?先生の言うペキペキ症って奴には一つも当てはまらないのに、なんで断言できるんですか!?」


 すでに目の前の男への信頼などみじんも持ち合わせていない。面倒な症例だからと煙に巻かれて奇ヤブ医者の実験体にされたのだ。こんなうっそうとした森を背景に診療所を掲げているなど、碌でもない場所に決まっている。

 そんな風に悪態を心の中で浮かべていると、座りなおすように促される。


「スズ、お茶を持ってきてくれ。」


 白いワンピースの少女が木製のお盆に二つの緑茶を乗せてやってくる。一つをプロムの前において、彼が普段使っているであろう無骨な藍色のマグカップをDr.マギカに手渡すと、慣れた動作で恭しく一礼をしてから部屋を出ていった。


「あんた、幼女誘拐までしてるのか…。ただのヤブ医者じゃないとは思ったが…。なんでこんなのが野放しにされてるんだよ!!」

「バカ言え。実の娘だ。人聞きの悪いことを言うな!!」


 お茶を飲んで一息ついた後、何かの魔術を唱えると、プロムの折れた腕の骨が空中に浮かび上がる。写実魔術の応用であり、シルヴァの機械マキナで喩えるとレントゲンというものだ。


「こっちはお前とは別のペキペキ症患者の折れた骨だ。ここに魔術式が見えるだろう?いわゆる精霊の呪いってやつだな。で、お前の場合は肘の部分に同じものがある。ほら、ここにお前のフルネームが書かれてるな。こっちは精霊の名前だ。」


 じょじょに修復されていく自分の骨を見つめながら、関節の隙間に描かれている魔術式を食い入るように見つめる。ほとんどが魔術語という特別な言語で書かれているため読めないが、自分の名前と精霊の名前だけは慣れ親しんだ母国ロシア語で描かれていた。


「ドクター、この精霊の名前、見覚えがあります。試合の一週間ぐらい前に話しかけてきた占い師が呼んだ名前と同じです。たしか…」

「Dr.ウラン」

「そうです!!そんな風に名乗っていました!!」


 Dr.マギカもうすうす勘づいていた。魔術式と共に煽るように残されたサイン。形式だけ見れば先日の患者ファクトアに仕掛けられていた魔術と全く同一なのだ。

 魔術においては隠す気がないらしい。


「あれ、でも男だったかな。女だったような気もする…。声が高かったような…」

「他に特徴は覚えていないか!?背丈は?服装や髪型は?魔術の詠唱文を一句でも覚えていないか?」


 だが、片鱗を見せるのみで『Dr.ウラン』自身については掴ませてくれない。巨漢の彼からすればたいていの人間が小さく見えるし、性別が曖昧なほどローブやフードで隠していたのだ。ましてや、魔術の心得がない彼が、詠唱を覚えているはずもない。


「一体何のつもりだDr.ウラン。いや、それよりは目の前の患者が優先か…。」

「ちょっと待ってください。その占い師に魔術を掛けられた後はすこぶる調子がいいんですよ!!もし、その病気を治したら、野球の腕も落ちるんでしょう!?」


 Dr.ウランの話し文句は、もっと野球が上手くなれるまじないがあると言われたのだ。事実、ペキペキ症を発症するまでの練習試合では非常に戦績が良かった。普段からホームランを連発するプロムだが、発症の前日は殆どをホームランで返すという無双状態だった。


「ペキペキ病だけ治せないんですか!?」

「プロなら自分の実力で何とかしろ。そんな都合のいい魔術はない。」


 そもそも、魔術でドーピングをするのは立派な違法行為である。唯一、筋肉痛軽減の魔術は使用を許可されているが、今回は完全にその範疇から外れている。いくら患者に甘いDr.マギカと言えど見逃せるはずもなかった。






「いやあ、意外ですな。あのプロム選手がドーピング使用の疑いで逮捕されるなんて…」


 彼を治療してから数日たったある日、腰痛の長時間治療のためにヘルニアと一緒にテレビを見ていると、プロムが逮捕されたというニュースが流れた。

 魔術ではなく薬に頼ったらしく、尿検査で明らかにごまかせない量の薬物が使用されていた形跡があったらしい。


「あのホームラン王が薬なんて…。意外ですね、先生。」

「さぁ、どうだろうな……?」


 ……To be continued

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