夢幻⁉ワンダーランド

「夢遊の円環。朧の涙。半円の光。雲にまぎれた灯。代償は我が魔力。月光龍のヒゲ。夢魔の血。少女の毛髪。願いは一つ、我らを彼女の夢へと誘え。」


 部屋中に魔法陣が展開され、ヘモフィの視界が揺らめく。唐突に睡魔に襲われ、思わず体が倒れた。かすかに視界の端で黒猫が動いたのを最後に、彼は意識を失うことになる。

 次に目を覚ますと、草木の生い茂る森の中だった。すでに起き上がっているレンドがいくつもの魔術式を展開しており、二人へ襲い掛かってくる猫やネズミを追い払っている。


「ヘモフィ、ここを離れるぞ!!」


 起き上がってすぐに手を引かれて森の中を走り抜ける。「殺せ」「殺せ」と騒がしいネズミたちは獰猛な牙を煌めかせ、木々の隙間を猛スピードで追ってきていた。思わず悲鳴が漏れる。咄嗟にアリスの身を案じるが、Dr.マギカはアリスに危険が及ぶことはないと言っていた。それを信じるほかないだろう。


「ドクター、行く当てはあるんですか!?」

「そんなものない。今から調べるさ!!探知の八方、道しるべとなれ。」


 レンドの目が一瞬輝き、細い魔力が森林を抜けていく。今現在彼の脳内には周囲の状況がリアルタイムで見えている。草場を焼き焦がして即席の地図を作ったりヘモフィに渡した。


「森を抜けた先にアリスがいる。さっきの帽子屋と狂った顔のウサギもだ!!」

「なら、そいつらをやっつければいいんですか!?」

「ダメだ!!不思議の国ワンダーランド症候群シンドロームはアリスの心の中に起きている奇病。うかつに手を出すと精神が摩耗して廃人になるぞ。物語の行く末を見守るしかないさ」


 あくまで話の進みを早めるだけ。直接手を貸すことはもちろん、妨害をするなんてもってのほかだ。


 そうこうしているうちに、にやにやとした笑いを浮かべた不気味な猫に追いつかれてしまう。茂みの向こうではウサギにネズミ、寸借の合わない帽子の男を相手にお茶会をしているアリスがいる。ここで後ろの猫と戦えば、間違いなくアリスに見つかるだろう。


「走るぞ!!」

「またですか…!!」


 アリスの夢の中で転移魔術は使えない。転移先を指定しなければ使えず、魔術に使う媒体も非常に高価な素材を必要とする。そういった意味では魔術は使い勝手が悪い。

 高速移動の魔術を掛けて、どれだけ遠くまで逃げようともチェシャ猫は唐突に目の前に現れる。あのにやにや笑いを見るたびにとっさに方向転換や目くらましの魔術を唱えるが、アリス本人と接触できず、夢そのものを壊すようなことができない二人は徐々に追い詰められていた。


「くっそ、ジリ貧ってやつだな」

「すみません。僕がついてくるなんて言わなければ…」


 ヘモフィは理解していた。レンド一人なら簡単に逃げきれていたことを。


「そんなこと言うな。あの猫は瞬間移動ができる。俺一人でも逃げ切れない」


 励ますような一言だが、足手まといになっていることに変わりはない。だが、しばらくすると猫の姿が現れなくなった。その代わりのつもりなのか、アリスと茶を飲んでいた頭の大きな帽子屋と目つきが狂っているウサギが現れる。


 レンド達の背後には眠そうに船を漕ぐネズミの姿。すでに囲まれている。それだけではなく、木々の隙間には無数のトランプや動物たちが睨みを利かせており、チェシャ猫以上に追い詰められていた。


「首を刎ねよ!!!」


 どこからともなく聞こえてきたのはハートのQクイーンの号令。その合図とともに幹の上からスペードやクラブの兵士たちが二人の肩にのしかかった。


「霧散の八方。夕暮れの水滴。非存在の煙。代償は我が魔力。ヴァンパイアの爪。世界樹の朝露。願いは一つ、われらの姿を消し去り給え!!」


 カードたちがナイフを振りかぶる瞬間、レンドとヘモフィの体は濃い霧へと変わって、トランプの軍勢の隙間を縫っていく。

 一気に森を抜けていき、街道の方まで流されたかと思うと、石垣のすぐ向こうにアリスが歩いていた。茂みの剪定をしている三枚のトランプと一緒に何かを喋っているようだ。


 めそめそとなく声は聞こえるが、アリスではない。隠れながら様子を窺っていると、ハートの女王たちが追いかけてきていた。が、剪定し損じた茂みを見つけると女王は怒りの矛先を変えてそちらに向けて怒鳴り始めた。彼女の視界に二人の姿は捕らえているはずだが、まるで追いかけようとしない。


「いいから此奴らの首を刎ねよ!!」


 アリスが必死に止めに入るも聞く耳を持たない。いっそ女王を黙らせようかと魔術を編み始めると、背後から猫の息遣いが聞こえた。すでに間近に迫っており、少しこちらから近づけばキスでも出来てしまいそうだ。


「なにしてんノ?ボクも混ぜてほしーナ…!!」


 あいもかわることのないニタニタ笑み。不気味で長いひげは呼吸音と共に揺らめき、幼女とオジサンの声を混ぜたかのような声音がただただ不愉快であった。


 体を霧にする魔術はそれなりに危険な代物。そう連発できるものでもないため、自分たちの足で逃げるしかない。これでも順調に物語は進んでいるはずだが、終着点が分らぬ以上これと言って打つ手があるわけでもなかった。


「逃げないでヨ。それに、君たちのせいで物語の順番がちぐはぐダ…。アリスは小瓶の薬とケーキを食べる予定だったの二、邪魔が入ったせいで芋虫の出番もフラミンゴも出られなくなっちゃたヨ。」

「何の話ですか…?アリスが薬とケーキを…?」


 あくまでこれは彼女の夢。夢の中に道筋やあらましがあるわけがない。物語の終着もアリス自身の満足によって帰結するはずだ。だが、チェシャ猫はとぼけたように笑って消え去るのみで答えようとしなかった。

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