夢虚!?アリス病

 見えない壁に隠れるように猫が消え去る。咄嗟にレンドは手を伸ばしたが空を掴むだけで捉えきれない。

 チェシャ猫の瞬間移動は魔術ではなく特性。そういうモノとしてアリスが生み出した生物であり、人語を話すのも同じ理由だ。


 病気そのもののきっかけは魔術によるものだが、その中で起きる事象に魔術は無関係であり、魔術医師のDr.マギカが手を出せる範囲から外れている。


「アリスが動くぞ。」

「いつまで続くんだ…。この悪夢は……」


 現実世界にも同じように突拍子もない夢のような出来事が起きているはずであり、その対処はクロムが任されている。しかし、あくまで使い魔の黒猫は限界が早い。


 バリバリの戦闘であれば絶賛の信頼がおけるものの、患者の治療や何かを守るというのは彼には難しい。


「早いとこ夢を終わらせなくてはな。」


 アリス達は王城へ向かっているようで、幻獣グリフォンが刻まれたコインをばら撒く貴族風の女が出迎えていた。

 彼女の周囲から消え去ったトランプの軍勢は、意気揚々にレンドとヘモフィに襲いかかる。どうやら、夢の舞台から退いているキャラクターのみが、2人に干渉できるらしい。

 それ以外ではアリスの夢として物語に登場させられてしまうようだ。たとえば、剪定し損じたカード達の首を刎ねようとしていた女王のように。


 淡い黄色のドレスに派手な花装飾の付いた女優帽子スラウチ・ハットを被った目付きの鋭い女がアリスへ手招きをしている。上品にセンスを口元に当てて顔の大部分を隠すその姿は、まるで侯爵夫人のようだった。


 アリスと侯爵夫人が何かを話しているかは聞き取れない。盗聴魔術を展開しようにも、邪魔が多すぎてそれどころではなかった。アリスとキャラクターとの会話だけが、物語ゆめの終着点を知る唯一の手掛かりになるのだが、それはいくら願っても届かないというのが現実。


「首を刎ねよォォ!!」


 女王の号令。聞き飽きたその文句に苛立ちを感じながらも、倒せないトランプの軍勢に成すすべなく逃げ惑うばかりだった。


「炎壁の正方!!代償は我が魔力。願いは敵の進路を塞げ。」

「ドクター、大丈夫ですか?」


 逃げに使える魔術の媒体は底を尽きている。なんとか魔力のみでも扱える魔術で追い払ってはいるが、彼の魔力が尽き果ててしまうだろう。いざとなればアリスの夢から逃げることもできるが、物語における「詰み」が発生した場合に手助けができなくなってしまう。

 今のところ、アリス一人では解決できないような難題を吹っかけてきてはいないが、物語が非常に長くキャラクターたちが狂いに狂っている夢では、いつ「詰み」が訪れるかも判断できない。


 追いかけまわされ走り回っていると、ハートのジャックが先回りをしている。咄嗟に飛び上がると無関係であろう料理人たちが作っているタルトを踏みつけてしまう。一瞬の隙に隠れようと視線を巡らせると侯爵夫人と話し終えたアリスが王城から出てくるところだった。


「アリス!!」

「ダメだ、声をかけるな。アリスにこれを夢だと認識させてしまえば、戻れなくなるぞ!!」


 誰だってつらい現実からは目を背けたいものだ。小さな女の子にしか発病しない不思議の国ワンダーランド症候群シンドローム以外にも、大人にしか発病しない夢遊病やヒーロー願望のある青少年にのみ発病する英雄病など現実逃避の病はいくらでもある。

 だからこそ、少し対処を間違えるだけで精神を破壊してしまう原因となるのだ。


 ぐちゃぐちゃに潰れたタルトを見てハートの女王は怒り始めた。それは、二人に向けてというわけではなく物語上のストーリーのようだ。機を見て逃げ出すも、グリフォンと、彼の背に乗ったウミガメが追いかけてくる。


「飛翔の八方。はためく翼。空に恋い焦がれる愚者を許せ。代償は我が魔力。大鷲の羽。幻想龍の鱗。願いが叶うのならば翼が欲しい。」


 二人の背に魔術式が描かれ、不可視の翼で空を駆ける。魔術の効果が切れる寸前というところで、拡声器を通したかのような大声でアリスの声が夢中に響いた。


「あなた達、ただのトランプでしょう!?」


 その一声を合図に、唐突に夢は終わりを告げた。


「Dr.マギカ…無事か!?」

「ヘモフィ、怪我はない!?」


 二人の意識が戻ると、ヘモフィは自室のベッドに寝かされており、レンドも仮の毛布の上で寝ころんでいた。クロムが何とかしたのか、部屋の様子は思ったより荒らされていない。急いで全員がアリスの部屋に向かうと、そのには安らかな表情で眠っている彼女の姿があった。


 微かに身じろぎをした後、ゆっくりと瞼を開けて彼女が起き上がった。ヘモフィと両親が安堵のため息を漏らし、Dr.マギカも一息ついた。

 すでにあたりは日が沈みかけていて月が見え隠れしている。アリスが驚いたように目をぱちくりさせているが、それよりも話すべきことを思い出したかのようにヘモフィへと駆け寄った。


「聞いてお兄ちゃん。私ね、変な夢を見たの。猫が喋ってトランプが動くの。それでね、ウミガメとお話して、ウサギとネズミと帽子屋さんにお茶をごちそうになるの。けど、タルトを潰したトランプさんがいて、捕まっちゃうの……。ほんとうに、楽しい夢だったわ!!」


「それよりアリス、遊園地はいいのかい。」

「ううん、もういいわ。遊園地より楽しい夢だったもの!!どんなに早いジェットコースターよりも、どんなに長い観覧車よりも、どんなにかわいいお人形さんよりも、意地悪ななぞなぞとか、おかしくて笑っちゃいそうな裁判の方がずっとずっと楽しかったわ!!」


 嬉々として話すアリスを見て、ヘモフィは、彼女がもう二度と不思議な夢を見ないようにと願った。


「不思議な国の夢も楽しかったけど、今度は鏡の国に行ってみたいわ…」


 早くも次の夢へ空想をはせるアリスに、Dr.マギカは一つのまじないを掛ける。それは、奇妙な夢から彼女を守る魔術。一種の予防だ。


「今度は、お兄ちゃんも連れて行ってあげるわね!!」

「勘弁してくれ。もう夢はこりごりだ…」


 うんざりとした表情のヘモフィに同情しつつ、Dr.マギカはブラド家を後にするのだった。


 ……To be continued

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