妊娠!!悪魔の出産

 スズとクロムが診療所裏手の森で遊んでいる最中

 ゴルディアが採取したウイルスのサンプルを成分分析していた。馬の血液や脳神経間を移動している変異細胞であり、シルヴァやリチといった科学者たちが考案したウイルスの形状に酷似している。

 分裂機能が低いということは判明したが、魔術的アプローチ含めて、他に解明できそうな点は見当たらない。


「自然発生にしては、疑問の残る部分が多いな」

「サンプルといっても、死んだ馬から取られているから、あまり調べられることも多くないしね」


 ファクトアにも同様のウイルスとの関わりがあったが、共通点は不明だ。

 前回は妖精で今回は馬。

 二人が頭を悩ませて実験や研究を続けていると、玄関の扉が開けられる。クロムを抱きかかえたスズが帰ってきており、外は太陽が沈んでおり、曇り空も見える。

 そろそろ夕食の時間だ。ウイルス調査を一度中断して、診療所のカギを閉める。ゴルディアが専用の充電器に向かっていき、クロムも猫用の寝床へ駆けていく。


 普段通りの夕食を終えて、寝支度を整え三人が寝室に向かうと、レンドが診療所の方を見ながら怪訝な顔を浮かべた。

「レンド…」

「分かってる。スズ、お父さんに急患が入ったみたいだ。決してこの部屋から出るなよ」


 彼が、家と診療所に施した防衛魔術が反応したのだ。シルヴァも、なにかしらの機械の力で侵入者を検知しているらしい。

 スズを彼女に任せて、レンドは白衣へと着替え直す。

 寝室のドアを閉めると、ドアノブに自身の藍色の髪を引っ掛ける。一時的な防御魔術だ。


 どうやら、侵入者は診療所前の玄関で立ち止まっているようで、魔術によって強化されたレンドの耳には男女の荒い息遣いが聞こえていた。ため息をついて窓を見てみれば、激しく打ち付けるような雨が降っている。

 おおかた、雨宿り中の男女が空き家の前で盛り上がっちゃったようだ。


「いや、違うな?本当に急患か…?」


 雨音に紛れて聞こえにくいが、男は診療所の戸を叩いている。女の息遣いも、息切れというより痛みをこらえているかのようだ。

 急いでドアを開ける。そこには、びしょぬれの二人がいた。

 中肉中背の男と、不審なフードや外套を着こんだ女。腹のふくらみから妊娠しているようだ。

 さらに男の手にはナイフが握られており、蒼白とした顔つきである。


「あんたが、ドクター・マギカか?」

「ああ、そうだが…」

「な、中に入れろ。俺たちは病人だ。お医者様なら…助けてくれるよな…」


 若干安堵したような口調になる男。だが、ナイフを持つ手は緩まない。

 二人を診察室に連れていくと、レンドの首元にナイフが添えられた。そして、ゆっくりと女がローブを外した。


「…悪魔か…」

「ああ、そうだ。夢魔サキュバス!!」


 夢魔、淫魔とも呼ばれる低級悪魔。

 男の夢に現れ精気生気を奪うと言われている。そして、悪魔というのは人間の欲から生まれる者であり、生物のように主産することはあり得ないはずだった。


 男物の外套を脱いだ女の頭部には、ねじれた黒い角が生えており、臀部からは独特な形状の尻尾が見え隠れしていた。なにより、顔つき、目元、口の牙、どれをとっても人には見えない。だが、不自然に膨らんだ腹だけが、本当の妊婦のようにかすかに脈打っており、その部分のみが人間らしかった。


「なるほどな。一つ聞くが、お前たちは性行為をしたのか?」

「……お、俺たちを通報しないのか?」


 日本では悪魔に魂を売ることは重罪とされている。サキュバスやインキュバスのように、というのなら違法にはならないが、彼らの存在を知っていて匿ったとなれば処罰の対象だ。


「患者なら処置を行うさ。悪魔だろうが神だろうがな。」


 レンドがそういうと、男はナイフを下ろした。

 張り詰めていた緊張の糸が途切れたのか、涙を零し始めながら話す。


「サキュバスには子宮がないの。放尿することもないから穴もないしね。口だって便宜上ついているけれど食べたり飲んだりすることはないわ。おしゃべりに使うだけ」

「あくまで彼女たちは、夢の中で活動するから、現実的な体は不要なんだ。」


 サキュバスもいつもと同じように男から精気を奪っただけだという。

 それは約一年以上前の出来事。

 夢魔の名にふさわしく、男の夢の中に侵入し『悪夢』をみせた。ここでいう『悪夢』とは文字通りの意味ではなく、サキュバスが見せる『性的夢想えっちなゆめ』のことだ。

 サキュバスに取り付かれた男は、約三日掛けて精気を奪われ続ける。一日で全てを奪わないのは、男が夢を見ている時間でしか活動できないためだ。もっとも、長時間眠る人間は一日で吸い尽くされることも会るが…。


 男の憧れともいえるシチュエーションであるが、判断力を鈍らせたり、睡魔を誘発させるために、普段より、崩れた夢であることが多く、けしてうらやましがるような夢ではない。

 


「私たちが奪うのは精気であって精液ではないわ。夢に介入する過程で刺激しちゃって射精する人が多いというだけだもの。だから、私たちが妊娠するなんてありえない…」

 あり得ない…はずだった。


「最初のうちは悪魔の力で誤魔化していたけれど、だんだん制御が利かなくなって…」

 男と二人で、隠れるようにこの町まで来たという。

 と噂のドクターマギカならば、と思ったのだ。

「お願いだ。サキュバスと、お腹の子を助けてくれ!!」

「生むつもりなのか…。いや、それもそうか。ここから堕胎させることなど不可能だからな」


 男の真剣な表情に気圧されるも、改めて問いかける。

「なぜ、お前はその悪魔を庇う?」


「俺は…精子無力症なんだ。そのせいで、妻にも迷惑を掛けた。あいつは、子供を育てるのが夢だったと言っていたのに何にもさせてやれず、旅立ってしまったんだ。だから俺は!!この子を育てたい。亡くなった妻の分も、我が子を大切にする。そのためなら、悪魔にさえ魂を売る覚悟がある!!」


 男にとって、サキュバスの懐妊はまたとないチャンスであった。

 たとえ生まれるのが悪魔の子供であっても、彼は育て上げるという。その真意が、人間としてなのか、悪魔としてなのかまでは図れないが、少なくとも生半可な気持ちではない。


「そうか。覚悟は立派だが、致命的に盲目だな。ここは魔術診療所であって、産婦人科じゃない。悪いが俺は出産までは専門外だ。」


 いかに天才魔術師であっても、カバーしきれない部分はある。

 外科、内科、小児、難病の手術から薬の処方まで、ありとあらゆる医療魔術を使いこなすが、そもそも、使

 そして、普通の産婦人科は悪魔の出産など立ち会わない。


「そ、そんな……」

「だが、あてはある。ドクター・シンスという女医だ。サキュバスの出産は、さすがに未経験だとは思うが、立ち合いの経験はある。」

「あ、ありがとうございます。ですが、その先生はどこに…?」


 サキュバスの体も限界を迎えつつある。あまり距離が遠くては、向かう前に陣痛が始まるだろう。

 だが、渦中のドクターシンスはレンドの嫁である。というか、診療所隣の自宅で寝ている。


「と、いうわけで呼んでくるから待ってろ」

 そういって、サキュバスを処置室のベッドに寝かせ、男を廊下で待たせておく。分娩室はないが、無菌室や形状変化病床を組み合わせれば、それらしくはなる。


「ふーん。悪魔ね…。」

 幸い、まだ寝ていなかったシルヴァに事情を説明すると、髪をまとめることも無く急いで診療所まで来てくれた。男から詳しい話を聞きながら白衣に着替えている。


「だいたいはわかったわ。向こうの部屋で精子のサンプルを取ってもらえるかしら。その間に奥さん…と呼ぶのが正確とは思えないけど、サキュバスの容態を見てくるわね。」


 四次元超音波測定器4Dエコーという、母体を傷つけることなく胎児の様子を観察できる機械マキナを用意すると、超音波発生器をサキュバスの腹部に押し付ける。

 モニターに映し出されたのは、人間の男の子。すでに赤ん坊として完成されており、羊水の中で気持ちよさそうに眠っていた。足で見えにくいが、へその緒らしきものも確認できる。


「…サキュバスって食事はどうしているの?」

「夢魔は食べないわ。ベヒモスやベルゼブブのような暴食の悪魔なら食事が出来るみたいだけど、普通の悪魔はそもそも『胃』がないもの」

「……そうみたいね。胃だけじゃなく心臓も肺も見当たらない。魔石と子宮だけね」


 魔石という悪魔の存在そのものを象った結晶以外の臓器は持たないはずだ。もっとも、今回に限ってはあるはずのない子宮があり、そのなかに胎児がいるのだが…。


「ねえ、私この子を産みたくないの…。何とかならないかしら」


 難しい顔をするドクターシンスに掛けられた言葉は、涙にぬれた悪魔の悲痛な願いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る