出産?悪魔と人の子

「産みたくないって…どういう意味?」


 物悲しそうなサキュバスの発言は、自分の意志ではないことが伺えた。彼女の真意は子供の誕生を祝福している。あの純真な青年との甘い生活を夢見ている。

 しかし彼女は、産まないと言った。


「私がこの子を産んでしまったら…あの人は、どうなるの?お腹の子はどう育つの!?」

「そ、それは……」


 涙を流す悪魔を前にシルヴァは困惑する。

 人の愛を知った彼女は、これ以上悪魔としての仕事はこなせないだろう。そして、夢魔を匿い、悪魔との子を儲けた男も無事では済まされない。夢魔の名にふさわしく、夢物語なのだ。


「お願い、私はどうなってもいい。だから、あの人は…」

 きっと、レンドの魔術なら、男の不妊の原因である精子無力症を治せるのだろう。魔術に頼らなくても、シルヴァの知識と技術を駆使すれば、青年の遺伝子情報を持った人工精子をつくることだって出来る。


 今ここで、悪魔を殺したとしても、患者の願いは全て叶えられるのだ。自分やレンドが理想とする医者像から離れることはない。なにより、リスクを背負うことがない。


「残念だけど、私悪魔殺しは出来ないのよ。レンドは嫌がるだろうから諦めて。それに、いくら妊婦の憂鬱マタニティブルーだとしても、我が子を殺すなんて言わないこと。母親失格よ」

「……アハハ。悪魔の私が、そんな人間らしく悩むなんてね…」


 口の端から牙を覗かせ軽快に笑う。

「ねえ、ドクター。あなた子供がいるの?」

「ええいるわよ。七歳になる娘がね」


 目を閉じながらサキュバスは問う。

「かわいい?」

「そりゃもちろん」


 余りの即答に、また笑った。それにつられるようにシルヴァも微笑む。出産の準備を整えながら、二人は様々なことを話した。

 生まれてきた子供を連れていきたい場所。最近スズの野菜嫌いが悪化していること。仕事が忙しくかまってやれないこと。悪魔の生態について。


「ねえ、私の子が大きくなったら、その娘はお姉ちゃんになってくれるかしら?」

「そうだといいわね。けど、あまり仲良くしすぎると、レンドが怒るわよ」

「アハ、あの目で睨まれるかと思うと、少し怖いわね」


 腕や首筋に器具を取り付けられながら、また笑った。

 簡易分娩室のドアがノックされ、レンドが入ってくる。手招きでシルヴァを呼びつけると、サキュバスには聞こえないように防音の魔道具アーティファクトを起動させた。


「男の精子を調べてみたが、例のウイルスが付着していた。おおかたお前の予想通りだ」

「ありがとう。これではっきりしたわね。確実に人為的なものよ。誰かが私たちの診療所を狙っている」


 それは、二人の中でひそかに組み上げられていた仮説。ただの偶然にしては重なりすぎていて、あまりにも意味深なウイルスは、隠す気も見せず、見つかることを望んでいるような雑な作り方であり、二人は辟易していたのだ。


「はぁ、とりあえず、外にいる奴を片付けてきてくれる。もちろん、妊婦に影響のありそうな魔術は使わないで」

「言われなくても分かっている。すぐに戻るさ」


 そう言ってレンドは、白衣をひっくり返して着直し、玄関に向かった。無論、彼の衣服も魔道具アーティファクトである。魔樹師ようの外套ローブと白衣が剣ようになっているのだ。


「夜遅くにすまないな。俺は日本国自衛隊特別騎士団のササキだ。この辺りから悪魔の異臭が漂ってきたので調査に来たんだが…中に入れてもらえるかな?」

「あ、いや…えと…その…」


 遺憾なくコミュ障ぶりを発揮しながら、俯いたままぼそぼそと話す。あまりにも聞き取りにくいが、ササキが近づこうとすると、委縮してさらに声が小さくなった。


「と、とにかく…ここに悪魔は居ない…」

「そうはいっても、きちんと確かめなくてはならない。なにか原因となるものがあるんじゃないか?見たところ魔術師のようだし…。悪魔そのものでなければ取り締まりの対象ではないぞ?」


 レンドの持つ魔術媒体に原因があると予想しているようだが、ササキの勘は全く外れている。そもそも、彼は悪魔の素材が必要になるような魔術を使わない。


「ここは…病院だ…。患者が寝ているから帰ってくれ…」

「だったらなおさらだ。悪魔付きの者がいるに違いない。治療は不可能なんだから私が斬り殺すぞ?それとも聖職者を呼んでいるのか?護衛は?」


 全く引かないどころか、もじもじとした様子のレンドに苛立ちを見せ始めていた。

「はぁ。これ以上抵抗を続けるのなら、国家反逆罪とみなしますよ!!」

「ちょ…ちょっと待ってくれ…。えーと…」


 痺れを切らしたササキは腰の刀を抜く。

 黒目黒髪の姿に若干反った刀を握る様は、まるで旧時代の『サムライ』を思わせる姿であり、無駄に着込んだ白甲冑がなければ、伝承に言われる『佐々木小次郎』のようだ。


「最後の警告だ。悪魔と関わりの無いと言う証拠を見せろ。さもなければ斬る!!」

「フハハハ…。最初からそうであってくれればいい。そうだ。敵か味方か、患者か冷やかしか。その中途半端な人間に向けた態度がわからないから困るのだ。はぁ…やっと好きに喋れる。だって、お前は敵だものな?」


 一陣の風が吹く。

 全身を絞めつけられたように、ササキの顔は蒼白に染まり脂汗を垂らす。あまりにも明確で直接的な殺意を前に、百戦錬磨の騎士でさえ怯えた。


「無力の円環…」

「ぬぐ!?!!」


 先ほどまでの弱々しい表情が噓のように、レンドが意地悪く笑う。ほんの少し手を向けただけで、幾千もの魔術が展開された。その全ては、たった一人の敵に向けられている。


「その鎧、国家魔術師が特別な魔術を仕込んだやつなんだろう?アズマユウリに伝えておけ。兄弟子はもっとすごい魔術を使っていたぞと」

「…!!貴様、あずま様の存在はトップシークレットのはずだぞ…。なぜ知っている」

「あーあ。だから愚鈍なバカはいけないね。教えてやったじゃないか。俺はあの男の兄弟子なんだよ。」


 ササキの全身を取り囲うように投げ捨てられた魔術紙スクロールが宵闇に輝く。

「刃斬の円環!!代償は我が魔力。斬り捨てろ」

「秘儀・燕返し!!!」


 夜空を舞う無数の短剣が、ササキの鎧を貫く。すでに魔術の効力を失っているため、ただ思いだけの鉄くずを背負っているのと変わらない。

 だが、ササキは不敵な笑みを浮かべたまま鎧を脱いだ。


「ここからの俺は、!!」

「そうか、まあ俺には関係ないな」


 甲冑を脱ぎ捨てたササキの腹に、レンドの手が押し込まれる。

 いつの間にかつけていた白い手袋の甲には、一際難解な魔術式が描かれていた。ほんの一瞬、フラッシュのように輝いたかと思うと、霧のようにササキの姿が消えさった。それは一発限りの強制転移魔術。


「さようなら、騎士サマ。」


 余りに情けなく、呆気ない幕引きだ。


 診療所に戻ると、すでにサキュバスの陣痛が始まっているようで、青年が祈るように目を伏せていた。

「すまない、始まってからどのくらいたっている?」

「ついさっきです。無事に生まれてくれればいいんですが…」


 分娩室を見つめる男の顔は暗い。それもそのはず、もし生まれたのが悪魔であったら、と考えると素直に喜べないのだろう。そして、いまさらになって怖気づいたのだ、


「命って、何なんだろうな」

 レンドが呟く。


「悪魔が生まれたなら、だれも祝福してはいけないのか?人間が生まれたのなら、全員が喜ぶのか?たしかに、一人の人間として見れば、悪魔と人間の命に差異はあるだろう。だが、常に死を見続けてきた医者として言うのなら、生き物の誕生は、それだけで神秘的で偉大なものなのだ。それに、父親なら、悪魔相手でもどんと構えて、子供の憧れでいるべきだろう?」

「……そう、ですね。父親が迷ったら、家族は柱を失いますからね…。」


 それから、約二時間後

 病室から漏れ出すように、一人の赤子の声が響いた。

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