第17話
7
「私にそれを聞いて、立川さんはどうしたいの? おかしいと言われた理由を知ってどうしたいの?」
「私は……」
「自分の言動を反省して、言ってきた子と仲直りがしたい? 自分は別におかしくないって説得するための材料にしたい?」
言葉に詰まった法子に対して、矢継ぎ早に問い質す。
それとも、と私は続けた。
「そんなことで暴言を吐かれた自分が可哀そうだってなぐさめたいの?」
「福多さんは、『そんなこと』だと思っているの?」
強い視線でそう問いかけられて、不本意にも狼狽してしまう。私の知っているこの子は、決してそんなことを聞くような子じゃなかった。
あれから九年も経っている。人は変わるということだろうか。
けど、と頭の片隅で反論が持ち上がる。
法子はまたおかしいと言われたのだと、そう言っていた。だから相談に来たと。
言動と印象のちぐはぐさが私の心に違和感を積み上げていく。
「……私にとっては『そんなこと』じゃなかったよ」
彼女の狙いがわからないまま、私は答える。「そっか」と法子の声がもれる。
少し迷った様子を見せてから「私はね」と法子が話し始めた。
「自分で言うのもどうかと思うんだけど、これでも真面目に生きてきたつもり。お父さんが居なくて、だからこそ余計に。私が問題を起こしたら『ほら、あの子は片親だから』って蔑まされるのはお母さんだから。誰から見ても恥ずかしくない生き方をしてきたつもりなの」
ためらいがちに法子は自分をそう評する。
「うん、知ってるよ」
彼女の責任感の強さや、真面目さを愛する心がどこから来るか、それは私も知っている。
少しだけほっとした様子で、法子はアイスコーヒーに口を付けた。
「でも、そんな私をあなたはおかしいって言った。嫌いだって言った。まだ小学生だった私にはすごくショックだった。その少し前からあなたが距離を置こうとしているのはわかっていたけど、でもそんなに嫌われているなんて思ってもいなかった」
当時のことを思い返しながら「だろうね」と答える。
私だって、あの大喧嘩の日まで法子を嫌いだと思っていたわけじゃない。
四年生の夏の出来事は、ただどうしようもなく彼女の隣にいるのが息苦しくなって、距離を置きたいと思っただけのことだった。
だから、と法子は机の上に乗せた掌をギュッと握りしめた。
「そんなことを言われなければならない理由がわからなかった。受験に落ちた直後だったし、どうして福多さんはこんなひどいことを言うのって恨んだりもした。すごくいやな気持ちでもう忘れたかった。なのに、私はまた言われてしまった」
考え込むようにグラスに視線を落とした法子の、次の言葉を私は待った。
「だから、そうだね。福多さんが教えてくれるなら、私が考えるための材料にしたい」
駄目かな、と少し不安げな様子を覗かせて法子が言った。
「……いいよ。話してあげる」
また、違和感。あの頃のままの法子なら自分がどうしたいのか、結論を決めた上で話を聞こうとしたはずだ。だから私は誘導尋問のように幾つかの推論を投げ付けた。
彼女がそれらに飛び付くのなら、その場で帰ろうと思っていた。
やっぱりあなたはなにも変わっちゃいないのね。なら、私の話を聞いても無駄だと思う。とでも捨て台詞を吐いて。
けど、彼女は飛び付かなかった。
むしろ私の方がそう結論付けていたのかもしれない。
小さく頭を振って考えを切り替える。彼女がどんなつもりかは、すぐにわかるはずだ。
「立川さんって私の気持ちを想像したことある?」
「そりゃあ、もちろんあるよ」
「だったら、答えてみてよ。今私が、どんな気持ちであなたといるか」
法子はしばらくの間目を細めて考え込んでいたが、やがて小さく首を振った。
「ごめん、わからない。仕方なくだとか、ウンザリしているだとか、もしかしたら多少は興味を持ってくれているのかも、なんていろいろ考えてみたけど、やっぱり正解なんて想像できない」
「本当に……」
私は大きく息をついて、法子の顔を正面から捉える。
「なんだか印象が変わったね」
そう? と法子は少し嬉しそうな表情を見せた。
「昔のあなただったら、きっとなにかしら決め付けていたでしょ」
四年生の時の、映画に行く約束が流れた時のことを覚えている? 私が問いかけると彼女は「もちろん」と返事をした。
「あの時は、ごめん」
表情を歪めて法子が謝る。
次の年には映画に行く話すら私たちの間には出なかった。あの流れた約束が、私たちにとって最後の約束だった。
「ねぇ、立川さんは今どうして謝ったの?」
「そりゃあ私のせいで観たかった映画を我慢させてしまったんだから、申し訳なくて――」
何気なく口にした言葉の終わり、法子はハッとした様子で口元を抑えた。
「もしかして、それがきっかけだったの?」
「そうよ。ねえ、立川さん。私、映画を我慢なんてしていなかった。私はあなたと映画に行きたかったから、観に行かなかったの。それを我慢させてしまったって謝られたのはすごく違和感があった」
それに、と愕然とした様子の法子を見据えて続けた。
「きっとあなたはこうも考えていたでしょ。もし、幸恵ちゃんが映画を見に行っていたらどうしようって。私は風邪で辛い思いをしているのに、楽しんでいたらどうしようって」
「そんなことは……」
ない、と彼女は言わなかった。額を抑えて首を振る。
「ひょっとすると、確かにそんなことを考えていたかもしれないけど」
「立川さんは映画に行けないことが辛くて仕方なかったんだよね。だから、私が映画に行くのを我慢してくれたと思って、嬉しかったんでしょ。あなたの考えはいつだって自分一人の中で完結しているんだ」
私の指摘に法子はなにかを考え込むかのように黙り込む。
「そのことに気付いてしまったら、それまでの立川さんの言動全てが、そうだったんじゃないかって思えてしまった。誰々が真面目にやってくれない、役目をさぼる、責任感がない。だから私は迷惑を被っている。ひどい目にあっている。その話を聞いた私や文香に同情してもらうことが、あなたにとっての満足だった。ねぇ、その時の私の気持ちがあなたにわかる? 親友だと思っていた子に、悲劇を演出するための舞台装置として使われていたと想像してしまった私の気持ちが」
法子は目を伏せて、なにも答えなかった。
「それでも別に、私はあなたを嫌いになったわけじゃない。憎かったわけじゃない。けど、あの時の私はただあなたと距離を取りたくて、だから受験をしようと思ったの。私が受かったの、紫苑学園だよ。あの頃の私は、本当にすごく頑張ったの。でも、あなたはそれを想像してくれなかった。それどころか『いつの間にか怒らせていた親友に、当てつけのようにより難しい中学に合格されていた可哀そうな私』というストーリーに、あなたは私を巻き込んだ。許せなかったんだ。自分だけが頑張っている、辛い思いをしているって主張することも、私の気持ちを想像もしないで決め付けた世界の中で責め立てて来ることも。我慢がならなくて、あなたはおかしいって言った。今だって、あの時の感情は間違ってないと思ってる。あなたの言動はおかしかった。私は絶対に認められない」
言いたいことを言いきった私は息を整えてからグラスに残っていたアイスコーヒーを飲み干した。それから短く「反論は?」と彼女にふっかける。
「あるなら聞くけど」
「いや、反論なんてないよ。腑に落ちたもの。確かに私にはそういうところがあると思う。そっか。確かに私は、少しおかしいのかもしれない」
でも、と伏せていた視線が私に向けられた。
ニッコリと微笑まれたその表情に、私はどうしてだか無性に鳥肌が立った。
「それって、福多さんも同じだよね?」
「は?」
なにを言われたのかわからなくて、素っ頓狂な声がもれた。
「福多さんだって、自分の苦しみをわかって欲しかったんでしょ。辛さを共感して欲しかったんでしょ。あなたも不幸なんだねって同情してもらいたかったんでしょ」
小学生の頃と比べて、かなり変わったように感じていた彼女の印象が大きく揺らぐ。
目の前に座る彼女の目が鼻が口が、まるであの頃の幼子のように頭の中で置き換わる。
「なにが……言いたいの?」
その言葉を無視するように「だからあの時」と彼女は懐かしむような視線で私の心を覗き込む。
「私に、震災の犠牲になった親戚の話をしてくれたんだよね」
まるで金縛りにあったかのように言葉を発せなかった。
「あなたにも辛い出来事があったんだね。生まれた時、大変だったんだね。もしかしたらここに居られなかったかもしれないなんて、すごく怖いよね。そう言ってもらえると思ったんでしょ。自分の境遇を同情してもらいたかったんでしょ。あなたは、会ったこともない、生まれた時には死んでいた親戚を、自分の不幸の舞台装置として利用したんだ」
ついさっき、私自身が法子を責め立てた言葉を、今度は彼女が引用した。
「ねぇ、亡くなった人たちに申し訳ないとは考えなかったの?」
「私は……」
言った相手が悪かったね、と法子が笑う。
「文香とかを相手に言っていれば、きっとすごく同情してくれたと思うよ」
文香に言ったって意味はなかった。あれは、法子が私の気持ちを想像してくれるかどうかを確かめるためだったんだから。
ああ! でも!
この話だったら法子だって同情してくれるかもしれないって、私は考えていたかもしれない!
「福多さんは私のことが羨ましかったんでしょう? 誰かへの不満を見つけて、愚痴をこぼせる私のことが。辛い思いをしているのはいつだって自分だと言い張れる私のことが。無遠慮に、ぶしつけに、相手からの共感を引き出せる私のことが。結局、私たちは同じ穴のムジナなの。その自己表現が私は器用で、あなたはちょっと不器用だっただけ」
私と、法子が同じ。
「でもそれって、そんなにおかしなことかな。自分の境遇に同情して欲しいなら、多少の演出は誰だってするでしょう? 自分が辛いことをわかって欲しい時に、相手がそれ以上に辛いことを経験しているかもしれないなんて、考えなくていいんだよ」
ねぇ、改めて聞かせて欲しいんだけど。混乱した頭の中に法子の声がスッと入り込んでくる。
「私たち、別になにもおかしくなんてないよね」
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