第14話

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 私たちの仲が修復不可能なほどに決裂してしまったのは卒業間近のことであったが、実際のところ四年生の夏には私の心は彼女から離れていた。

 立川法子は誰よりも真面目で責任感の強い女の子。それまでの私は彼女の一番の親友であることがただ誇らしかった。

 そんな私が心変わりをするに至ったきっかけは、夏からさらに少し遡った春のことだった。


 一年生の時に友達になってから、私と法子の間では毎年楽しみにしていることがあった。それはゴールデン・ウィークの頃に上映されるアニメ映画。毎週放送されているアニメの年に一度の劇場版。

 法子の家は私の家よりも厳しくて、食事中にテレビを付けてはいけないし、基本的にアニメも見せてもらえなかった。週に一度のそのアニメだけが例外で、だから私も法子もそのアニメが大好きだった。ただ、他のアニメも見せてもらえていた私に比べると、法子の方が強い拘りを持っていたかもしれない。

 その劇場版を私たちは毎年一緒に見に行っていた。

 蓮実市に映画館はなく、映画を見ようと思えば三つ離れた市のショッピングモールにまで行く必要があった。電車で行こうと思えば私鉄からJRへの乗り換えも必要でおよそ四十分ほどかかる。

もちろん小学生二人だけで行くなんて許されず、私の母が車で連れて行ってくれていた。

法子の家は母親と、母方の祖父母との四人暮らしだ。母親は仕事が忙しく、祖母は足を悪くしているらしい。そのせいか、あまり家族で遠出することはなく、どこかへ連れて行ってもらったことも少ないと法子は言っていた。親同士もそういった家庭環境をなんとなく把握し合っているのだろう。『法子ちゃんのママにも連れて行ってもらえないかな』といった内容のことを母が口にしたことは一度もなかった。

「いい子にして、迷惑をかけてはいけないよ」

 娘にそう言い聞かせて送り出す母親の姿は真面目な法子に瓜二つだった。

 この春も、同じように私たちは映画に行くのを楽しみにしていた。二人ともいくつか習い事があったからお互いの予定をすり合わせて、母が車を出せる日を相談する。結局、その年は連休の初日に観に行こうという話になった。

 一週間ほど前から新聞に掲載される映画館情報をチェックする。そこから来週の上映時間を予想して仮の予定を相談する。そのなにもかもが楽しかった。

 当日になって法子の家から電話がかかってきた。「もしもし、福多です」と名乗ったのに『幸恵ちゃん?』と呼びかけられて少し驚いた。

 聞いたことがある声だと思い、すぐに法子の母親だと気付く。

 彼女はまず最初に謝ると法子がおたふく風邪にかかってしまったことを教えてくれた。

「のんちゃんは大丈夫なんですか」

『うん。朝病院でお薬をもらったから少しは楽になったみたい。でもしばらくは安静にしていないといけなくて』

 おたふく風邪ならそうだろう。一週間ほどは熱が引かないはずだ。

 ごめんね、幸恵ちゃんと彼女はもう一度謝った。

『法子もすごく楽しみにしていたから、幸恵ちゃんと一緒に行けなくて残念がっていたわ』

 最後に「お大事にしてください。休み明けに教室で会えるのを楽しみにしています」と伝えて、私は受話器を置いた。

 あの映画はゴールデン・ウィークの一ヶ月程前から上映している。連休明けにはもう公開期間が終わっているはずだ。

 法子が行けなくなったことで、改めて胸に問いかけてみると、私自身はそれほど映画館での鑑賞に拘っていないと気付いた。どうせ半年もすればレンタルビデオ店にて貸し出されるし、一年待てばテレビ放送もしてくれる。それを待って見るのでも、一向に構わなかった。それよりも、法子と二人で映画を見て、モール内のカフェでアイスでも食べながら映画の感想を言い合う、あの時間が好きだった。

 母はどうする? と聞いてくれたけど、少しだけ迷って行かないと答えた。数日前に行けないことがわかっていれば、答えは違ったかもしれない。でも、今はとてもそんな気分にはなれなかった。

 連休初日だというのに、いやな始まり方だ。

 けど、おたふく風邪にかかってしまった法子の方がもっとやるせない気持ちのはずだ。

「のんちゃん、大丈夫かな」

 一言、小さくそう口にした。


 連休が明けると、法子はいつも通り登校していた。教室に入り、久しぶりの学校に気だるげな表情を覗かせるクラスメイトたちの中で、私の姿を見つけた法子は笑顔を見せる。

「幸恵ちゃん! 久しぶり!」

「久しぶり! 風邪はもう大丈夫なの?」

 うん、と頷いた法子は小さく「ごめんね」と付け加える。

「映画行けなくて」

「風邪だったら仕方ないよ」

 私のなぐさめに、法子は教室を見回して「本当に」と呟く。クラスメイトを見つめる視線はどこか恨めしそうだった。

「どうしてせっかくの休みをおたふく風邪なんかで潰されなきゃならないんだろ。映画だって、すごく楽しみだったのに。悔しくて悔しくて。もう公開も終わっちゃったよね」

「――うん」

 やるせないような法子のため息に私の声も沈む。念のために確認した今朝の新聞では、上映されている映画の一覧から既に消えていた。

「そう言えば、幸恵ちゃんは映画、どうしたの?」

 何気ない風を装っていたが、訊ねる彼女の声が少しだけ震えている。

「行かなかったよ」

 私の返事に法子は「そっか」と声をもらす。どこか、ホッとしているような表情だった。

「本当に、ごめんね。私のせいで我慢させちゃったよね」

「気にしないで。レンタルできるようになったら一緒に見よ」

 法子が頷いて、嬉しそうに「ありがとう」と答えるのを聞きながら、彼女はなにを怖がり、どうして安堵したのだろうと不思議に思った。

 もし、私が彼女の立場だったなら――

 私のことは気にせず映画を見てきて欲しいと考えるはずだ。

 でも、その感情が少しずれてしまったら――

 私は風邪で辛い思いをしているのに、楽しみにしていた映画を見に行けなくなったのに、あの子は気にせず映画を楽しんでいるんだろうか。

 そんなことを考えてしまうこともあるかもしれない。

「どうしたの?」

 少し、ぼうっとしているように見えたのだろう。法子が覗き込み気遣ってくれる。私は慌てて「何でもないよ」と答えた。

「もうすぐ朝礼だから、席に戻らないと」

 頷いて私たちは自分の席に着く。

 朝礼で担任の先生の話を聞き流しながらも、さっきの考えが頭から離れなかった。

 もし私が映画を見に行っていたら、彼女はなんと言っただろうか。

 きっと言葉では「どう、面白かった?」と聞いてくれるだろう。でも、本音だと『私は辛い思いをしているのに、映画に行けなかったのに、幸恵は行ったんだ。なにも気にせずに。私だって行きたかったのに』って思うんじゃないだろうか。

 法子は私に、どうして行かなかったのか、理由を聞かなかった。

 彼女の中でそれは、我慢することだった。

 私は別に我慢をしたわけじゃなかったのに。

 もし、私たちの立場が逆だったなら。『幸恵ちゃんも風邪で辛いだろうから、私も映画に行くのを我慢したよ』と、言ってくる法子を私は想像してしまった。

 どの立場でも、法子は自分が損をしていると主張ができる。

 彼女にとっては、自分が辛い思いをしているとわかってもらうことが大切で、私がどんな思いで映画に行かなかったかは、どうでも良いんじゃないだろうか。

 そんなことを考えていて、気付いてしまった。これまで法子の話をたくさん聞いてきたけど、私の話を聞いてもらったことはほとんどないということに。

 法子は自分のことをよく話す。

 自分が周りに比べてどれだけ頑張っているかという話。どれほどちゃんとしているかという話。それから、誰かへの不満や愚痴、そのせいで真面目な自分は損をしているという話。

 私は法子ほど真面目じゃないし、努力だってしていない。テレビを見ていて夜更かしをしてしまうこともあるし、授業中に欠伸が出てしまうことだってある。

 だから、誰よりも優等生な法子がこぼす不満は、そうだよねと頷けるものが多かった。逆に私が彼女にこぼせる不満なんてないに等しかった。

 でも、ひょっとしてそれはおかしなことだったんじゃないか。彼女は自分の辛さに同情して欲しいだけで、他人の気持ちなんて気にしていなかったんじゃないか。

 私は、彼女の同情してもらいたい相手に丁度良かっただけなんじゃないか。

 それは、真面目で責任感の強い親友に憧れていた私が初めて抱いた、小さな違和感だった。

 その年の七月、小さな違和感は膨れ上がり、うだるような暑さを感じながら、私の心は初めての親友と決別することになる。

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