第12話

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「ねぇ、聞いて」

「どうしたの?」

 私たちの会話は、いつだってこの始まり方だった。


 幼稚園だった私と、保育園だった法子は小学校一年生の時に同じクラスになることで友人になり、それから初めての親友になった。

 父親は居ないらしいけど、母親は別の小学校で教師をしているという彼女は、それを証明するように真面目を絵に描いたような女の子だった。

 授業の五分前には席に着いていて当たり前。宿題を忘れてきたこともないし、授業では積極的に手を挙げる。そんな彼女と私は、一年生の時、学級係というクラスの係活動でペアになった。

 とは言っても、法子は自分からの立候補で、私は半ば押し付けられたようなものだった。

 係活動には教室で飼っている金魚の世話をする生き物係や、先生の配る学級だよりに絵を載せるイラスト係といった楽しそうなものから席替えの際にくじを作るといった楽そうなものまでいろいろあった。その中で私は教室の本棚を整理する図書係を選んだけど、希望者が人数オーバーしてしまいじゃんけんで負けてしまった。

 物心が付く前から家にはたくさんの絵本があったし、幼稚園の頃にはいろんな本を母がよく読み聞かせてくれた。だから何となく本の係がいいなと思ったし、教室の小さな本棚をきれいにしておくだけならそこまで大変じゃないはずだという気持ちもあった。

 それだけに負けてしまったのはショックだったし、二週目になると人気のない係ばかりが残っていた。昼休み前の清掃時間以外にも教室をきれいにしておこうというゴミ拾い係。分別日ごとに教室のゴミを捨てに行くゴミ捨て係。前日の宿題プリントを朝のうちに回収して先生に提出する宿題係など。学級係もその中の一つだった。

 学活の時間に司会をしたり、他の係や日直が仕事を忘れていたら注意をするクラスのまとめ役。説明だけを聞けばリーダーみたいでよさそうだったけど、入学したばかりの小学生でもその本質はなんとなくわかっていた。きっと、なんでも係のようなものだろう、と。

 だから一週目で法子が姿勢よくピシッと天井に向かって手を挙げた時にはすごい子だなと思ったし、彼女以外にやりたいという子がいなかったのも納得だった。

 それでもゴミの係よりはマシだろうと思い、私は二週目で学級係に立候補し、無事選ばれることになった。ただ、嫌々やる羽目になったゴミ拾い係やゴミ捨て係がまともに活動してくれるはずもなく、学級係の私たちが尻拭いをすることも多かったから、ゴミの係を選んでいた方がそれこそマシだったかもしれない。

 第一希望だったわけじゃないけど、それでも自分で立候補したのだから真面目に取り組んでいたと思う。他の係の子たちがちゃんと役割を果たしてくれていれば、かなり楽な係活動だったけど、もちろんそんなに上手くいくことはなかった。

「どうしてみんな、まじめにやってくれないのかな」というのは、その頃からの法子の口癖だ。

 二年生になると、私たちは別々のクラスに別れることになった。けど、法子は度々私のクラスに訪れており、その主な理由がこの愚痴を言うためだった。

 ねえ、聞いて。誰それがゴミ捨てに行くのをよく忘れるの。あの子が日直の日はいつも黒板が汚いの。どれだけ注意しても宿題をやってきてくれない子がいるの。

「中島(なかじま)くんが、なんど言っても全然てつだってくれないの」

 いろんな愚痴を聞いたけど、この『中島くん』に対する愚痴が最も多かったように思う。彼は二年生になっても学級係を続けた法子の相方だ。法子と同じで自分から立候補して選ばれたと聞いた。

 私は今度こそ希望通り図書係になることができていた。去年の学級係と比べれば気楽で楽しい作業であり、法子が苦労話をする度に「大変だね」と言葉をかけた。

 一年生の時に中島と同じクラスだった子に聞くと、そのクラスでは学級係の子もかなりいい加減だったそうだ。担任の先生も、低学年の子どもたちに真面目な係活動なんて期待していなかったのかもしれない。軽く注意はされても、きつく怒られているようなところは見たことがない、と教えてくれた。

 それを見ていた中島は『なんだ、学級係って思ったより楽じゃないか』とでも考えて立候補したのだろう。

 実際、私のクラスでは一年生の時よりゆるい係活動だった。それは学級係の子たちもおんなじだ。きっと法子が頑張り過ぎる子で、私もそれに引っ張られていた。

 法子のことをよく知らなかったのが、中島のミスだ。楽をできると思って学級係を選んだ子と、自分の正しさでみんなを注意しなければと考えている子が噛み合うわけがない。

「まじめにやる気がないのに、どうして学級がかりをやろうと思ったのかな。わたし、また幸恵ちゃんと一緒が良かった。幸恵ちゃんだったらもっとちゃんとしてくれるのに。あの子はなんにもしてくれないから、わたし本当に大変なの」

 のんちゃんはよくやってるよ。中島くんって本当にひどいよね。たまに言葉を挟みながら、相槌を打って法子をなぐさめる。くり返し同じような愚痴を聞かされるのはちょっといやになることもあったけど、真面目な法子が「幸恵ちゃんと一緒が良かった」と言ってくれるのは悪い気分じゃなかった。

「ねえ、聞いて」

 その日はいつもよりトーンが低く、顔も歪んでいた。何度も泣いた後のように目が赤くなっていて、それでも我慢がならないといった様子で肩を震わせている。私は慌てて自分の椅子に彼女を座らせると、腰をかがめてその表情を覗き込む。

「のんちゃん、どうしたの?」

 訊ねると、腫れたまぶたに涙がにじみ出た。

「あのね――」

法子の話によると、彼女は先週の水曜日午後から体調が悪く、もしかしたら学校を休むかもしれないからと同じ学級係の中島に金魚の世話を頼んだ。法子のクラスの生き物係はかなりサボり癖があり、これまでもその世話のほとんどを法子がやっていたらしい。自分が休んでしまえば、金魚たちは世話をしてもらえない。体調が悪いにも関わらず、責任感の強い法子らしいお願いだ。頷いた中島に法子は安心し、学校を二日間休んだ。

 どれだけやる気がなかったとしても、自分で立候補したぐらいなんだから、いざとなったら責任を果たしてくれると、法子はそれでも期待していたのだろう。中島にしてみれば頷くまで法子が粘着してくることは明白で、風邪を移されてもいやだからさっさと頷いたに違いない。そもそもやる気のない自分が信用されているなんて思っていなかった、なんてことも考えられる。

 結果として今日月曜日、体調の良くなった法子は元気に泳ぐ金魚の姿を見られなかった。

 一年生の頃も生き物係がサボることはあって、法子と一緒に世話をしたことがある。その時の印象では、法子が金魚に愛着を持っていたようには見えなかった。どちらかと言えば、エサやりも苦手だったように思う。それでも彼女が金魚の世話を放り投げなかったのは、クラスで飼っているのだから誰かがその命に責任を持つべきだと考えていたからに違いない。

 もちろん、まずは生き物係が責任を持つべきだし、法子は何度も注意をしていた。注意することを諦めたりもしなかった。それでも彼らがサボる時、法子はじゃあ金魚を見捨ててもいいとは絶対に考えない。

 だから、金魚が死んでいることに気付いて呆然とした彼女が泣いてしまったのは、命が失われたからじゃないだろう。きっと、自分が責任を果たせなかったからだ。

 彼女が怒り、腹を立てているのは生き物係や中島が金魚を死なせてしまったことじゃない。自分の責任を果たそうとしなかったからだ。

 当時の私がそこまで正確に分析できていたわけじゃないし、整理して話す技術もなかった。私にはただ法子の涙を受け止めることしかできなかった。

「あの子たちがサボるから、わたしがずっとめんどうを見てきたの。あの子たちの分もわたしが責任を持って世話してきたの。ちょっとわたしが体調をわるくした時くらい、手伝ってくれたっていいじゃない」

 うん、そうだね。みんなひどいよね、と私は法子に言葉をかける。

「藤村さんはほとんど世話なんてしてこなかったのに教室で泣いていたの。金魚が死んで悲しいなら、どうして世話をしなかったの? あの子がちゃんとしていればよかっただけなのに。『これまで世話をしてきたのに悲しい』なんて、どうして言えるわけ。水口(みなぐち)くんなんか『金魚がいなくなったら生き物がかりの仕事ってなくなるのかな』って、まるでラッキーみたいに言うのよ。信じられない。そもそも水口くんは一度もかかりの仕事をしたことがないんだから今までとなにも変わらないのに。責任をもってやるつもりもないのに、どうして生き物がかりなんてりっこうほしたのよ」

 生き物係の二人は、一年生の頃も私たちと同じクラスだった。だから、法子の仕事ぶりを知っている。自分がサボっていても、法子が尻拭いしてくれることをわかっている。特に『生き物係』なんていう命に関わる役割ならなおさらだ。だから、最初から法子に押し付けて楽をするつもりだったんじゃないか。

 それは随分と後になってからふと思い立ったことであり、仮に当時思いついていたとしても怒り心頭の法子にはとても言えなかっただろう。

「幸恵ちゃんだけだよ。わたしの大変さをわかってくれるのは。みんながみんな、幸恵ちゃんみたいにまじめだったらいいのに。そうしたらわたしもこんなに苦労しなくていいのに。怒らなくていいのに。どうしてみんな、こんなにもひどいのかな」

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