第10話
6
私と弘樹くんが別れた理由を知りたいんだっけ?
そう切り出した私に小さく頷いた遥は「ただ……」と言い難そうに口をはさんだ。
「ただ、なに?」
「少し想像はついてるの。あたしのせい、なんだよね」
「それは……どうしてそう思ったの?」
「だって、二人が別れたのは、あたしが腑に落ちない、なんて言ってすぐじゃない。さすがに自分が余計なことを言ったかもって思うでしょ」
「あ、それ気にしてたんだ」
「ひどい。ずっと気にしてたのに」
「じゃあなんで今更なの?」
「だってそんなの聞き辛いし。でも、今回ばかりは聞かなきゃって思ったから」
「そっか。……うん、そうだね。確かに遥の言う通りだよ。あの言葉がきっかけで別れることにしたのは間違いない。でもね、遥に言われなくたって私はいずれ気付いてたよ」
「……兄さんとの交際が腑に落ちてないことに?」
「うん。その時にはきっと、やっぱり別れていたと思う。遥はそれをちょっと早めただけだから、そんな気を病んでいるような珍しい表情はしなくていいんだよ」
「珍しいとか言わないでよ。こう見えてもあたしは繊細なんだから」
「はいはい。で、聞きたいのはそんなことじゃないんでしょ」
むすっとした表情のまま「そうだけど」と遥が口をすぼめる。
「聞きたいのはどうして兄さんが振られたか。どうしてユキちゃんは腑に落ちなかったのかって話」
「腑に落ちないって言い出したのはそっちだと思うけど」
「あの時は……ユキちゃんの表情を見てなんとなくそう思っただけで、理由まで考えてたわけじゃないの」
「そっか。でも今はなにか考えているんだよね」
え、と困惑気味に遥が息をもらす。
確信があったわけじゃないけど、なんらかの推測があるように見えていた。
「だったら、まずはそれが知りたいな。私がどうして腑に落ちないと思っていたのか。遥の考えを聞かせてよ」
その予想はどうやら当たっていたようで、彼女は数秒迷うように視線をさまよわせた後、ゆっくりとためらうように頷いた。
「わかった。じゃああたしの考えを言うね」
自分から話すことになるとは思っていなかったのか、遥は少し考えをまとめるように黙り込む。その様子を眺めながらコーヒーに手を付けると、グラスを置いたタイミングで「ユキちゃんは愚痴が言いたかったんでしょ」と切り出した。
「それで兄さんと付き合うことにした。でも、上手くいかなくて、考えてたイメージとズレてた。だから腑に落ちなかったんだよね」
遥は言葉を切って、私の顔色をうかがう。
「どうしてそう思ったのか、説明してくれる?」
肯定も否定もせずに答えると、彼女は安心したように頷いた。
「ユキちゃんとあたしの恋愛観ってさ、全然違うでしょ。あたしは恋愛を楽しいと思うから彼氏を作るし、楽しくなくなったら次に行く。別れる前に新しい彼氏候補を探したりもするし、それが悪いとは思わない」
胸に手を当てて言った遥に「そうだね」と頷き返す。
「確かに遥の彼氏が途切れるところってあんまり見たことないものね。共感はできないし、若干引いちゃうけど、悪いことしてるとまでは言わないよ」
「毎度のことだけど、あんたのそういう正直なところ、嫌いじゃないよ」
「ありがと」
あからさまに遥が表情をしかめていた。皮肉なのをわかってるくせに、とでも言いたげな表情だ。
まあいいやと、遥が首を振る。
「逆にユキちゃんは夢見る少女でしょ」
「その言い方はない」
カッと耳が熱くなって、周りに会話がもれていないかと気になってしまう。周囲に人がいない席で心底ホッとした。
「相手が気になるから恋人になりたいと思うのであって、恋愛がしたいから恋人を作るのは違う、とか言っちゃうのは夢見る少女だよ」
「ほんと、それやめて」
「そんな考えのユキちゃんがさ、あの日兄さんと付き合うことになった、ってのがもうあたしにしてみれば……そう、腑に落ちないわけ」
「いや、あれは遥がセッティングしたんでしょ」
「だってダメ元だったんだもん。兄さんがユキちゃんのこと気になってるのはバレバレでもさ、あんたには全然その気がなさそうだったし。ちょっとでも打ち解けてくれたら面白いなって思っただけで、その日のうちに付き合うとか完全に予想外なわけ」
「待って今面白いって言った?」
遥はあっと口元を抑えた後、視線を泳がして誤魔化すように「あたしだったらさ」と言葉を続けた。
「例えば全然気になっていない男子に告られたとしても、付き合えば好きになるかもだし、ならなきゃ別れちゃえばいいって感覚でオーケーすることもあるんだけど、あんたは違うでしょ。なんでかなぁとは思ったんだけど、藪蛇をつつくのもいやだから、考えないようにしてた。でも、やっぱりあれは変だったなって」
「私が実はこっそり弘樹くんに恋してたって可能性もあるでしょ」
「あたしを誤魔化してたわけ?」
「あー、ごめん。ないわ」
恋愛事で遥を出し抜けるとは思えなかった。
「ね、自分でも変だって認めるでしょ。あの時のあんたには誰でもいいから恋愛をしてみたいって思うなにかがあったんだよ。そうとしか思えない」
「……そうだね。さすがに誰でもいいは言い過ぎだけど、あの時は誰かと付き合いたいと思ったし、その時弘樹くんがそばに居たからっていうのも認める。だから、私の相手は弘樹くんじゃなくても良かった」
ある意味自分の兄を虚仮にされたといってもいいはずだが、遥はそのことには関心がない様子で「じゃあ」と続ける。
「どうしてユキちゃんはそんなことを考えたのか。あんたみたいな子が恋愛自体に興味を持つなら、やっぱりなにかの影響でしょ。漫画とか、ドラマとか……友達とか」
あたしに影響されたんだよね? 遥は力強くそう言った。
「え? 漫画とかドラマとかどこ行ったの?」
調子の良かった遥が虚を突かれたみたいに固まってしまった。「えっと」と呟きながら視線をさまよわせる。
どうやらなにも考えていなかったらしい。とんだポンコツ探偵だ。
別に困らせたかったわけじゃないし、間違っているわけでもない。「別にいいよ」と遥に微笑みかけた。
「友達の影響ってことで」
「なんかすごく悔しいんだけど」
「出直す?」
「……いいよ。続ける。えっと、それでね、友達の影響ってのも違和感が強くて」
「ま、私の周りで一番恋愛脳だった遥が喧嘩三昧だったもんね」
遥は少し顔をしかめたが「そうだね」と頷いた。
「あたしと門野が幸せそうだったら、それもわかる。だけど、実際のあたしはあんたに愚痴ばっかこぼしてた。だから、あたしの影響ってことはないかなって最初は思ったの」
でも、違ったんだよね。遥はそう言いながら、私を真っ直ぐに見つめた。
「ユキちゃんは、愚痴をこぼしてるあたしの姿に影響されたんだよね。あたしみたいに愚痴を言いたくて、兄さんと付き合ったんだよね」
遥の目は真剣で、そのおかしな動機を咎めているといった表情ではなかった。
コーヒーを一口飲んでから「それで」と彼女を促す。
「ユキちゃんがどこまで冷静な判断で兄さんと付き合うことにしたのか、それはあたしにはわからない。でも、最初から愚痴を吐きたいって思ってたわけじゃないでしょ」
「さすがにね。あの時は、遥のことがちょっといいなって思ってただけ」
すべて、遥の言う通りだ。私は愚痴をこぼしたかった。愚痴をこぼして『あなたも大変だよね』だとか『それってひどいよね』って同情してもらいたかった。
「ユキちゃんは自分の本心に気付かないまま兄さんとの交際を始めた。でもあたしみたいに愚痴をこぼせなかった。それもきっとあたしのせい。あたしのこぼす愚痴が重たかったから」
でしょ? と遥が私の顔を覗き込む。私は答えられなくて、遥も返事は待たなかった。
「兄さん相手に文句一つ出ないなんてそんなわけないってあたしは思ってたけど、ユキちゃんにしてみればどうでもいい愚痴だからあたしの前でこぼせなかった、ってことなんだよね。だから兄さんとの交際に違和感を感じていって、そこへあたしが腑に落ちないって言った。で、ようやく自分の本心に気付いた」
一旦言葉を切った遥が自身も紅茶を口に運ぶ。
「真面目なユキちゃんはそれが許せなかった。友達に愚痴をこぼすために付き合った、なんて相手に失礼だから」
「その通りだよ。だから弘樹くんとは別れたの」
私の過ちに付き合わせるわけにはいかないから。
「ねぇ、ユキちゃん。愚痴一つ言うのにどうしてそんなことを考える必要があるの。確かにあたしの愚痴はちょっと重たかったかもしれない。でも、あたしはユキちゃんの話を聞いてあげるよ」
私をジッと見つめる遥の視線を受けて、胸の中に違和感が広がっていた。
この話は結婚する弘樹のために、どうして以前振られたのか知っておきたいというものじゃなかったか。
結論は既に出ている。悪いのは全部私。弘樹になんの落ち度もない。
でも、遥はその結論をスルーして、私の話をしている。彼女の中で、主役が弘樹から私にすり替わっている。
「ねぇ、やっぱりこの話さ、弘樹くんの振られた理由が知りたいとかは建前で、本当の目的は別にあるんでしょ」
遥は少し間黙り込んでから「そうだよ」と呟いた。
「ここまではあたしの答え合わせで、それは思った通りだった。ねぇ、自分は他人よりも幸せだから、文句とか愚痴を言っちゃダメだって思ってるでしょ。だから……楠木の件だって言い返せない。自分は内定が決まっているから、まだ就活の終わっていないあの子の愚痴は仕方がないって諦めているんでしょ」
「やっぱりその話だったの?」
思わずため息がこぼれる。
「だってこのままじゃあんた、誰よりも不幸じゃないと愚痴の一つも言えないってことになっちゃうよ。正直に言ってみて。そうだったら楽なのにって考えたことあるでしょ」
「…………」
私は答えられなかった。
「でも、ユキちゃんだってそれをおかしいと思ってる。愚痴を吐きだすために不幸になりたいなんて本末転倒だもの。愚痴を言うために誰かと付き合う。それがおかしいってわかってるから兄さんとは別れたんでしょ。別に、相手と自分を比べる必要なんてないじゃない。言いたいことがあるのなら、あたしが聞いてあげるから、そのおかしな考えはやめて」
最後は泣きそうな声になりながら、懇願するように遥が言う。
「遥の言いたいことは、よくわかるんだよ。私だっておかしいと思ってる。でも……」
楠木に言い返している様子を想像する。遥と楠木の取り巻きも加われば、恐らくゼミの皆を巻き込んでの言い争いになることは予想ができる。
その中で、どれだけ私の気持ちをわかってもらえるだろうか。
結局、私には内定があって楠木にはない。
彼女の方が同情されるだろう。
私は、きっとそれが怖いんだ。
「ごめん、やっぱり私には、できない」
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