第7話
3
「ほら、あの子、もう余裕しゃくしゃくって感じよね」
「いいなあ。あたしらもコネがあったら、もっと気楽に残りの学生生活を楽しめるのにね」
食事中に昼のピークタイムは過ぎ去ったようで、気付けば食堂内に静けさが漂っていた。そんな中、私に聞かせるように飛んできた陰口で背を向けている楠木たちのグループがまだ居座っていることに気付いた。
向かい合っている遥が私の肩越しに楠木を睨み付けるのがわかった。
ため息をついて、彼女が首を振る。
「ここで話を続けるにはちょっと周りの目が鬱陶しいね」
遥の言葉に後方の楠木を意識する。
「うん。なんかいやだよね」
「ユキちゃんは午後からの講義ってなかったっけ」
「ないよ。今日は朝だけ」
「あたしも。だったら今から時間大丈夫?」
大丈夫、と答えると「じゃあコレ片付けてさっさと行こ」と遥が自分の皿を指差した。
「そうだね」
少しだけ残っていた料理を食べ終えると、トレーを手に取って席を立つ。楠木たちを視界に入れないように、遥と並んで学食を後にした。
私と楠木との間に起こったトラブルは、彼女たちが言っていたように内定を巡るものだ。
私たちは一つ同じ企業の選考を受けていた。私にとっては幾つも応募しているうちの一社に過ぎなかったけど、楠木にとっては特別な一社だった。
年上の恋人が働いているんだと、彼女自身が言っていた。恋人と同じ会社で働きたいなんて浅はかな考えだと思った。でも、彼女がどんな動機で志望していようが私には関係ない話のはずだった。
結局、楠木は二次面接で落ち、私は三次、最終面接へと進み内定をもらえた。
リーマンショックから始まった就職難はもう何年も前に落ち着いている。けど内定先を指折り数えて選り好みできるわけじゃない。そんな時代は、私たちは映像でしか知らない。
だから、ようやくもらえた一社の内定に私はホッと胸を撫で下ろしていた。
内定をもらった翌週のことだ。
福多幸恵の内定は、彼女の親が裏で手を回した。つまりあの女はコネ入社だ、との噂が学内で流れたのだ。
寝耳に水だった。
出所はハッキリしている。楠木だ。正確には、楠木が『彼氏から聞いたんだけど』というていで話を触れ回っていた。
その『彼氏』と私たち同級生は誰も会ったことがない。人から聞いただけの、根拠なんて何一つないくだらない噂話。けど、私はその噂をすぐに否定することができなかった。
私の父は大手商社でエリア部長の立場にいるらしい。役員候補だとも聞いたことがある。なら、新卒の内定一つぐらい、やろうと思えば裏から手を回せるはずだ。
ただ、父が独断でそんなことをしたとは思えなかった。父は私の生活態度や進路について口を出してこない。それは私の教育について放り投げているわけじゃなく、母の希望を第一に考えているからだ。
だから、私の内定に父の持つコネが絡んでいるのだとすれば、なかなか内定の決まらない娘に気を揉んだ母が、父に頼み込んだとしか考えられなかった。
確認するしかないと思った。
「ねぇ、お母さん。私の就活でなにかした?」
意を決して訊ねてみたものの、母はきょとんとした様子で、なにを聞かれているのかまるでわかっていなさそうだった。その反応で確信する。
私の内定は、コネじゃない。
でも、それがどうしたのだろうという気持ちが胸の内からこみあげてきた。
自覚があるのも変な話だけど、私は母に溺愛されている。私の幸せのためなら彼女はなんだってするという確信がある。例えば中学二年生の時のこと。目標を失った私は勉学へのモチベーションを大きく下げてしまい、三年生になって内部進学は難しいと言われてしまった。そんな時でも母はあっさりと公立高校への受験を認めてくれた。私立中学の学費なんて馬鹿にならなかったはずなのに。
私が気にしているのはそこなのだと気付く。
私にはコネを用意できる立場の父がいて、私のことを第一に考えてくれる母がいる。
楠木が流した噂の真偽なんてどうでも良かったんだ。彼女の行為には気が滅入るけど、私はコネをもらえるような子で、楠木はそうじゃない。これは、そういった話。
噂を強く否定しようとすれば証拠を出せと楠木は言い出すはずだ。彼女が明確な証拠を出せないように私だってコネを使っていないことの証明はできない。そうなれば周囲を巻き込んでどちらが悪魔を証明するかという議論になるのは明らかだった。
言い争いになったらどれだけの人が私の味方をしてくれるだろう。楠木は第一希望だった会社に落ちて、私はその会社から内定をもらっている。恵まれているのは私の方で、叩きやすいのも私の方だ。
そんな私に誰が同情してくれるのか。
だから、楠木の嫉妬からくる暴走は仕方のないことだと諦めている。
遥は友人の陰口をコソコソと叩く楠木が許せないらしく、一度私を引っ張って文句を言いに行ったほどだ。結局遥と楠木が言い争っただけで私はなにも言えなかった。それから遥は私の態度にも腹を立てているように思う。
そんなことがあったから、また楠木の話が持ち出されるのだろうかと身構えていた。でも、遥が今気にしているのは弘樹のことらしい。
何年も前の話だけど、こちらはこちらで苦い記憶だ。私が過ちを犯したという話で、彼に落ち度はない。
大学を出て駅へと向かう。十分ほど電車に揺られれば県の中心部だ。降りた足で繁華街へと向かい、何度も利用したことのある喫茶店に入る。全国どこでも見かけるチェーン店で店内は広く、ランチタイムの過ぎた平日ということもあって客はまばらだった。
それぞれアイスコーヒーとアイスティーを注文し、トレーで受け取る。周囲に客がいない奥の席を利用した。
コーヒーに口を付け、一息ついてから私は切り出した。
「それで? 私と弘樹くんが別れた理由を知りたいんだっけ?」
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