第6話

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 私が藤村遥と再会し、彼女の兄である藤村弘樹と出逢ったのは、高校に入学したその日のことだった。


 入学式が終わり、自分に割り当てられた一年生の教室へ向かう。机は出席番号順に並べられており、自分の席を確認すると鞄をその上に置いて一息つく。教室を見渡せば、同じ中学から進学したと思われる生徒たちの小さなグループが幾つも出来あがっていた。

 この高校に中学生だった時の同級生は一人もいない。そのことでちゃんと馴染んでいけるかどうか不安に思っていると「あれ、福多さん?」と私の名前を呼ぶ声がした。

 驚いて振り返ると無邪気に微笑んでいる女の子がいた。同じセーラー服を着ているはずなのに、早速着崩しているのかスカート丈が短くまるで印象が違って見える。肩まで伸びた髪は栗色に染められていて軽くパーマもかかっていた。その目を引く容姿に呆気に取られていると「おーい」と彼女が私の顔の前で手を振った。

「福多さんでしょ。だよね?」

「えっと……そうだけど」

 気圧され気味に答えると、彼女が「やっぱり」と嬉しそうに胸の前で手を合わせた。

「あたし、藤村遥。覚えてないかな。同じ小学校だったんだけど」

「あっ」

 言われて思い出す。何度か同じクラスになったこともあるはずだ。私のよく遊んでいたグループの子じゃなかったから気付けなかった。

「うん、覚えてる。……いや、ごめん。思い出した」

 少し考えて言い直した私に目を丸くした遥は「なにそれ、福多さん面白いね」と可笑しそうに口元に手を添えた。

 小学校当時からおませな女の子だったイメージが蘇ってきたが、中学生活を経てますます磨きがかかったようだ。よく見ると爪にもマニキュアが塗られており、蛍光灯の光をラメが反射させている。彼女一人にどれだけの校則違反が詰め込まれているのだろうか。

「藤村さん以外にも第三小学校だった人っているの?」

「あ、それ気になっちゃう?」

 ぐいぐい来る遥に少し引きつつも「うん」と伝える。チラッと教室内を見回してみたけど、他に見覚えのある生徒はいなかった。

「えっと、ハスチューからは四人合格したんだけど、後の三人は第二と第四から来た子だから福多さん知らないんじゃないかな。それに、三人とも別のクラスみたいだね」

 ハスチューというのは蓮実中央中学校の略称だ。蓮実中央に通っていた第三小学校出身者のうち、この高校に入学したのは藤村遥一人だけ。そのことを確認しながら「そうなんだ」と答える。残りの言葉は少々上の空だったかもしれない。

 だから、遥がひょいと私の顔を覗き込んで「ひょっとして、立川(たちかわ)さんがいるかもって心配してた?」なんて言い出した時には心底驚いてしまった。

「え……なんで」

 でも、その推測は図星だった。

 立川(たちかわ)法子(のりこ)は私や遥と同じ第三小学校の同級生で、小学生だった私の親友だった。でも、些細なことから私は彼女と一緒にいることがいやになって離れていった。それまでは大切な友達だと思っていたから気分は沈み込み、心配してくれた母が中学受験を勧めてくれたのだった。

 紫苑学園の高等部へ内部進学せず、公立高校に入学すれば法子と再会する可能性だってもちろんあったはずだ。受験対策へと学習内容を変更する必要があり、考えている余裕はなかったかもしれないけど、今まで気付けなかったのは迂闊だった。ただ、それをあっさりと指摘してきた遥に一番驚いていた。

 私は名乗られるまで気付かなかったほど遥とは交流がなかったし、法子にしても遥と仲が良かったとは思えない。なのに小学生の頃、険悪になっていた私たちの関係を思い出して、私の恐れを言い当てられるものだろうか。

 私の困惑を感じ取ったのか、遥は安心させるように頬を緩ませた。

「大丈夫。立川さんはこの高校じゃないよ。あの子は頭がいいからもっと上の公立校だもん。で、どうしてあたしがそんなことを覚えているかって言うとね」

 そこで、遥は悪戯っぽく微笑んだ。

「あたし、立川さんが大っ嫌いだったんだ。真面目だけが取り柄で、口うるさいし、面白みもないし。そんな立川さんとくっついてた福多さんは、だからそれ以下よね。真面目な子として思い浮かべるには存在感もないし、まぁ、嫌いな子の腰巾着って感じ?」

 言われた内容は自分でも正しいと感じられた。でも、それにしたってあんまりな言い草だ。なにを言いたいのかわからなくて、強張った表情で遥を見つめてしまう。視線に気付いた遥が少し慌てた様子で両腕を突き出すと目の前で大きく振った。

「ああ、ごめんごめん。気を悪くしちゃったかもだけど、もうちょっとだけ聞いて?」

「そこまで扱き下ろしておいてもうちょっとだけは虫が良すぎない?」

「これ前振りだから!」

 その主張に大きくため息をつくと、イエスのサインと受け取ったのか「でもね」と遥が続けた。

「卒業の直前でさ、あんたたち大喧嘩していたでしょ。隣のクラスにまで叫び声が聞こえてたんだよ」

「ああ、あの時ね」

 受験の結果が出て、法子と違う中学に行けるってわかったら、もうこらえられなかった。あっさりと心のダムは決壊して、抱えていたものを全部ぶちまけてしまった。

「あたしは別にあんたらと仲良かったわけじゃないから、最近一緒にいるところを見かけないなってぐらいにしか思ってなかったの。喧嘩してることも知らなかったし、なんで言い争ってるのかわからなかった。でも福多さん、思い切り啖呵切ってたでしょ。腰巾着だと思ってたのに、この子こんな風に意見を言えるんだ、面白いなって思ったの」

「面白いって……」

 少なくともあの時、私は切実に叫んでいたのだけど。

「それでね、興味が半分、敵の敵は味方ってのが半分で仲良くなりたいなって思ったわけ。でも福多さんは私立中学に行っちゃったから、残念だったなって。だから今再会できて嬉しいし、パッと思い出せたのもそういうわけ」

「その割には随分とあけすけに言うよね……」

「適当に誤魔化して付き合ってもらう方が福多さんは好き?」

 挑発的な視線で首を傾げられて「そうでもないけど」と答えていた。

「だと思った」

 嬉しそうに表情を崩すと、両手を胸の前で合わせる。

 賑やかな高校生活になりそうだと、諦めと安堵がない交ぜになったため息をつく。「そう言えば」と、遥が顎に人差し指を押し当てた。

「福多さんと友達になれたのは嬉しいんだけど、高校で一緒になるなんてホントに思ってなかったんだよね。だって福多さんの入学した中学って一貫校じゃなかった?」

 内部進学せず、わざわざ偏差値の劣る公立校を受験することにそれほど多くの理由はないはずだ。訊ねてから遥も気付いたようで、気まずそうに視線を逸らした。

「ごめん、つい……」

 どうやら悪気があったわけじゃなさそうだ。

 見た目の派手さとは裏腹に、この子は頭の回転が速い。それに、ちょっとした仕草や表情にも自分が可愛く見えるような計算が働いているように思える。さっきから無茶苦茶に言われていても、なんだか仕方がないと許してしまえるのはそのせいかもしれない。

 にも関わらず、思ったことをそのまま口にしてしまう素直さも持ち合わせている。この子のそんな個性が私は気に入り始めていた。

「気にしないで。私の成績が悪かっただけだから。ちょっとレベルが高過ぎたみたいでついていけなかったの」

 そう言った私に遥は何故か感心したように大きく頷く。

「でもこの高校だって県立で四番目くらいでしょ。ついていけなくてここに来れるなら、やっぱり私立ってレベル高いんだね。むしろあたしの方が良く来れたなって思うもん」

 自虐しながらフォローしてくれた遥は、確かに思い出してみると勉強が得意な小学生だったというイメージはない。

「あ! 今、その通りだなって思ったでしょ! 失礼だぞー」

「え、あ、ごめん」

 謝りながら思わず認めてしまったけど、私の返事はどうでも良かったらしい。「だから遥頑張ったんだもん」と彼女は頬を膨らませながら自分の話を続けていた。

「あたしらの県さ、ほとんどブレザーじゃない? セーラーってほとんどないし、その中でもここが一番かわいかったんだよね」

 腰をひねりながらスカートをひらひらさせる様子に、彼女がようやく制服のことを言っているのだと気付いた。

 確かに胸元の赤いネクタイが彼女にはよく似合っていた。でも……

「そんな理由で?」

 つい口にしてしまってから、あっと思ったけど、遥は特に気にした様子もなく「そうだよ」と答えた。

「あたしにとってはそれが一番だもの。なんだ、福多さんは違うんだ。紫苑学園って確かブレザーでしょ。だからここを選んだのかと」

 少なくとも紫苑学園にそんな価値観で行動する子は居なかったように思う。それが少しばかり新鮮だった。

「それにしても紫苑学園かー。みんな賢くて、きっと家柄もいいんだよね。ねぇねぇ、格好いい男子とかっていた?」

「……藤村さん?」

 呆れていたら「ジョーダンジョーダン」と遥がニッコリと笑う。

「ま、しばらくは前後の席なんだし、いろいろ聞かせてね?」

 どこまでが冗談なのかわからず、曖昧に微笑んで答える。ちょうどチャイムが鳴ったので席に着いた。そう言えば小学生の時も、同じクラスだったら出席番号が隣り合わせだから、四月は毎回前後の席になっていたっけと思い出した。


「幸恵ちゃん、一緒に帰らない?」

 生徒たちと担任の自己紹介で初日が終わる。手元に残った教科書など、大量の配布物を前に、さてこれを持ち帰るのかとげんなりしていたところへ遥が声をかけてきた。

「そうしよっか」

同じ小学校でも、当時はほとんど関りがなかった。なのに再会から僅か半日足らずでちゃん付けの名前呼びになっていることに少し驚いてしまう。

 けど、その距離の詰め方はいやじゃなかった。新しい環境で、知り合いが誰もいないことを覚悟していた私にとってはむしろありがたかった。

 最初は小学生だった時の同級生がクラスに居たことを警戒していた。私が私立の一貫校に進学したことを知っているはずだし、だったらどうして内部進学しなかったんだろうと詮索されるかもしれない。偏差値の高い私立中学に進学しただけに、結局そこで落ちこぼれたのだという話は、やはり少し恥ずかしかった。だから誤魔化すように自虐したけれど、軽く流してくれたことで救われていた。

 学校と駅の間は自転車通学だ。自転車置き場で前かごに鞄を放り込んでストッパーを外すと、ぐらりと前輪が揺らめいた。

「大丈夫?」

 気遣うような声だが、遥もハンドルの操作に手こずっている。初日の配布物や教科書で膨れ上がった鞄はママチャリの天敵らしい。

「さすがに今日は押して帰った方がいいかもね」

「だねー」と、遥が笑って頷いたところに「よっ」という声が降ってきた。

「あ、兄さん」

 声の方向を振り返ると男子生徒が自転車を押しながら近付いてくるところだった。

 兄の弘樹(ひろき)だと、遥が簡単に紹介する。遥の一つ上で、この高校の二年生とのことだ。

「兄さんのかごに鞄入れさせてよ」

「やだよ。俺だって新しい教科書とかあるんだから」

 遥が「ケチ」と唇を尖らせる。

 顔立ちは遥とよく似ているが、染めた形跡のない黒髪ときっちりボタンを留めている制服は遥とはとても対照的だった。

 弘樹が私に向き直り困ったように笑う。

「コイツは結構甘やかされて育ったからさ、わがままなところがあるんだけど、仲良くしてやってくれると助かる」

「ああ、はい。今のところ大丈夫ですよ」

「今のところってなに」

 隣で文句を垂れた遥に弘樹が吹き出す。

「ああ、うん。ちょっと安心したよ」

「え? なんで今ので安心したわけ?」

 そう言って兄に突っかかる遥がなんだか可笑しくて、私の頬も緩む。

「ちょっと幸恵ちゃんまでー」

私に矛先を戻しながら、彼女もなんだかどうでもよくなったのだろう。気が付けば三人で笑い合っていた。

 それが私たちの出逢いだった。

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