第63話 止まない雨はない


「私?」


 そう、探偵とは、あの短編を手渡された詩丘さん自身だったのだ。

 その時、浸す水滴一つ一つに、雲間から覗く太陽の欠片たちが、囁いた。塔屋の影が光線を受けて、濃くなる。俺は影側に居て、片や詩丘さんは、光の射す方で雨を受けている。見える肌に、つたう雨粒の筋を、つくりながら。


「でもなんで?」


 こっからは純粋に俺の妄想。


「……………… 探偵ってのは、どこまでも架空の存在なんです。どんな事件でも必ず解決してしまう超人的な力を持ってるんだ。だから坂田さんは、そんな彼らを物語の持つ万能のメタファーに置いた。現実を遥かに凌駕して、そのギャップが現実とに陰影をつける、日常の単調さに気づかせてしまう罪な存在。当時、小説に傾倒していたあなたは現実を見限ろうとした。だから坂田さんは、その幻想を破壊するべく、虚構の欠陥を探し出した」


 『ほらね、私たちにしか出来ないこともあんだよ』と。そしてそれが条件を読むことだった。超人にも不可能な、知り得ないことを知る事だった。メタフィクション。それは今となっては陳腐な、ありふれたネタなのかもしれない。だが、いち高校生にとっては、きっと大きな発明だったに違いない。


「……………… 自殺したいとか、宣言したからね。坂田ならやりそうだ」

「—————— 自殺してやるって、そもそも学校生活が終わることが原因だったんですか。 いや違う、その場の勢いで自殺すると宣言しただけだ。俺は、あの短編があなたに解けなかった理由が、分かった気がする。それは自殺宣言自体が、物語と現実の差から来る苦悩とは、なんら関係なかったからだ。だから坂田さんの慰めは的外れで、あなたは真意に気付けなかった。それは軽はずみな発言の罰だ。なんであれ、死ぬなんて言うもんじゃない。違いますか?」


 詩丘さんは、きっとあの日、あの時、ただ上手くいかない今を、投げ出したかっただけなんだ。坂田さんに甘えたかっただけ。優しい坂田さんは、詩丘さんの主張する苦悩を解消しようとあれを執筆した。だが、その目論見は外れることとなる。苦悩しているという大前提が間違っていたのだから。証拠に、詩丘さんは今も生きている。


「違わない。あれは自分の我儘だった、認めるよ。でもね、世の中欠陥だらけ、徳を積んでも報われないし、どこまでも不公平、そんな現実に嫌気がさしたのは本当さ。自殺とは行かないまでも、正直、学校生活は早く終われと思ってたね。ここだけの話、文芸部に入部したのは、単に坂田が優しくて好きだったからだよ。そうさ、順序が逆だった。私は、始めは物語に逃げてなんかなかった、坂田に出会って、それから小説が好きになったんだ。それは、すぐに逆転して、最後には、坂田の気持ちをないがしろにしたけどね」


 自分の正義を貫いた結果、迫害を受けた嘉陽さんのエピソードは、彼女の実体験をもとにしたに違いない。詩丘さんは言い切ると、力なく後ろ向きに重心を傾けた。背後には、策が撤去された屋上の終わりがある。いよいよ、お話の終わりが否応なしに近づいてきたようだ。その分を埋めるため詰め寄り手を掴む。朝、こけそうなところを支えてくれたお返し。


「坂田さんは、屋上でこう言ってやるつもりだったんだ。詩丘さんの信じてるものは現実の廉価版だって。どんな探偵も、物語の枠を超えられない。現実を見てよ、私たちは縛られない」

「でも! だからどうしたんだよ。お話が不完全、そんなはったり、現実に価値があることの証明に、……………… ぐ、なってないじゃないか! 詭弁だ! それに、それ自体を、メタフィクションが否定する、から。じゃあ、でも、……………… うっ」

「坂田さんだって完璧じゃない。当時、高校生だった彼女に綻びのない理論を期待するなんて酷だぜ。詩丘さんはひどい人だ」

「でも、そんな。……………… あ、はっ。じゃあもう私、生きてる価値も、ないんじゃないかな。もう私、死んでもいいかな。やっぱり、坂田がメタフィクションを使ったのは、皮肉サタイアなのかな。つまり、この物語は二重否定なのかな。事実は物語の下位互換なのかな」


 飛躍、拒絶、ないし諦め。死にたがりなんて悪癖だ。俺達の間で理論だった話はもう成立しそうにない。少し前から滅茶苦茶だった。いつかは拒絶されると思ってた。


 そんなもん、砕いてやる。


 俺は坂田さんじゃない。だから坂田さんが言えないような、悪いこと、沢山言えんのさ。人のSOSを、シニシズムで一蹴するような量産型主人公じゃないから。冷たく突き放して、はい終了じゃ救えない。だがら、掴んだ手を離さず、よりずっと強く握り返す、道を見失った彼女を先導するため。


「結局、坂田さんも不完全だ。あなたの想像するような超人じゃない。一人の尊重されるべき人間なんだ。現実の価値までは証明できなかっただけだ。じゃあ、俺がケリをつけてやる! ”現実に価値なんてない”、それを求めるあなたは、どうしようもなく間違っている。 それが結論! 今決めた! 俺が、今!」


 あれも正しいこれも正しい。そんなどっちつかずは、中立なんて高尚なものではなく、ただの保身だ。そこに墜ちるくらいなら一つに絞って、俺はその答えに責任を持つよ。不公平でも理不尽でも、そのほうがよっぽど正義だ。独善的でもいい、俺が正義だ。


「人間の能力は有限で不完全なんだ。そんな材料を希釈した文章や小説、社会には、どうしようもなく欠陥がある。詩丘さんは、そこに期待しすぎた。とらわれた。それはきっと罪なんだ。赦し続けるしか道はないんです、生き続けるためには」


 悲しいけど、これすなわち、詰まらない生き方。


「そうかい、でもそれは決めつけに過ぎないよ。坂田はいいかい、自殺なんだ。アハハハハ」

「一体、なんの話ですか。もう、意味わかんねえよ!」


 つないだ手に力を込めて怒鳴りつける。なにかが壊れた。どこか歯車を掛け違えた演説が始まる。


「だって、だっておかしい。だで、ぅぐ、だって、くっぅぅ、あり得ないよ! 渡した短編が本人の死を予言してて、そこで地震が起こって、偶然土砂降りで、さ、さぁ。し、知ってる? ミステリーで、偶然は三つ以上重なっちゃいけないんだよ。それで事故だったら、アンフェアなのに! だから、嘘だ。おかしいよ、ねぇ、おかしぃよ!!!」


 夕立が会話を埋めて、聞こえない所がいくつかあったが、概ねこのような内容を叩きつけた。そうして、叩きつけられて粉々になった破片を寄せ集めてみると、今もなお、物語を諦めきれてないことが刺さる程、理解できた。坂田さんが自殺を使ってまで何かを伝えたかったといった、とても刺激的な贋作メタ・リアリスムを殺したくないらしい。世界の無法さ、理不尽さについて、埋め合わせをしてほしい。その願いが、事の順序を歪めていた。新聞などを総合すると偶然は重なってない筈だ。これは狂気だ。


「この世界は推理小説じゃない。目を覚ましてください。現実は極めて公平にできたアンフェアだ。この無秩序ナンセンスを、受け止めて生きるんです。でなきゃ、あなたは狂ってる」


 人生に物語を求めることなんて、見えないものを見出すと同義。現実は無秩序で予定調和なんてない。ブランコじゃない、あざなえない。完全な無秩序で、現実と筋だった対話なんて出来そうにない。人生に意味はある、そんな妄想は卒業してください、詩丘さん。


「じゃあ、坂田は、……………… 坂田は、ごめ、う゛ぅ、っくう……………… 、あっ」


 それ以上は続かなかった。果たしてこれで良かったのか。綺麗な解決なんて用意されてないのかもな。


「安田って知り合いがいるんですけど、今度紹介します。そいつが言うにはね、人生クローズアップで見て悲劇でも、ロングショットでみると喜劇だそうですよ。チェスで言うギャンビットだと思って、前に進んでくださいな」


 いよいよ雨も佳境に入る。止まない雨がないのは言うまでもないが、この雨が降り止むには、もう少しかかりそうだった。

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