第62話 紙川涼は探偵じゃない
[最適解]
「お礼なんかじゃありません。坂田さんは、そんなことを伝えるために死んだんじゃない」
「そう、なるほど」
「ついに解けました。この物語の真相が」
「じゃあ、教えてもらおうか。フフ、探偵さん」
探偵さん。その使い潰されて古くなった言葉と、身の引き締まるような、重力に身を任すだけの、冷水に抗ってみる。
「嫌です」
「嫌って、そんな」
「拒否します」
「でも、言わないと伝わらないよ」
「それでもです。それでも」
「それは一体どういうことだ、ちゃんと説明してくれよ」
険しい表情を見せる。そんな顔されたってな。
「つまり、俺は探偵じゃないってことですよ。紙川涼は探偵じゃなかったんだ」
そうさ、俺はただの平凡な高校生だ。それだけでは前に進まないのでヒントを出そう。
「ヒントは出します。整理しましょうか。まず、かされた課題は探偵を探すことでした。しかし、一体なぜ坂田さんは探偵を指定したのか」
「出題者に対してのワイダニットってことかい」
小石を弾くような反響。
「そうです。事件を紐解くには、まず犯人を洗い出す必要があった。ただ、ここで注意するべき点は、犯人を確定するのに、物証はいらないという点なんです」
「そんな、あり得ない。物証がなければ犯罪者を成立させることは出来ないよ。不可能だ、それ。仮説があって、それを支持する物証があって、それで初めて犯人がいるんだから」
はて、なんでそう思うのか。それはこの現実世界でしか通用しないのに。物語の世界と現実では、常識や法則に大きな隔たりがあるんだ。だから、それが真理であると補強してくれる材料が欠落した決め手だってあり得るんだ。無条件でそうだったと規定するもの。そう、条件だ。
「何も作中の人物の視点で解く必要はなかったんですよ。条件を思い出してください」
「まさかだけど紙川君。君は条件を使って解け、と言いたいのかい」
「そのまさかです」
「ダウト、その条件は主人公を含めた四人は知り得ない。それを推理に採用すると、彼らは知り得ない情報を知ってることになり探偵が破綻するからね。無理やり採用すると、探偵候補から全員が除外されてしまうんだよ。あの四人からは誰も選出できない。だから条件は罠なんだよ」
「そうです、作中の人間は知り得ない。しかし、この場合、彼らが探偵から除外されることが、ある種の仕掛けとして機能してたんだ」
「わかんないよ。じゃあ、これは無理なんだね。解けないんだね。それでいいんだね?」
詩丘さんは拗ねたように、投げやりに言った。泣きそうな困り眉と上目遣いに、俺はほんのちょっとだけ嗜虐審を感じたから、なんとなく雑に返してみる。
「そうでもないすよ」
「矛盾してるじゃないか!!!」
やらかした。
声がお空に吸い込まれる、そのイメージは風船だった。螺旋を描きながら天まで伸びていく、『年下には冷静でありましょう』を引っ提げたアドバルーンが、遥か上空で弾けた。その間がプツンと終わると、次に雨音が砂嵐のように現れる。その怒号のような流れ。
「コホン。……………… それが通るなら、逆に君の主張は通らないな」
「いいですから、条件を使って犯人を仮組してください」
「なら、じゃ、そうだ。『登場人物があの四人に限られる』、となると主人公以外、犯行に及べない。嘉陽を殺せない。だって鈴谷をはじめとする三人は、空間ごと固まってたんだから」
主人公以外は謎の力によって動きを封じられていた。鈴谷と会って以降、信用できない語り手の仕掛けは死んでるため、それを事実としても問題はない。しかし問われてるのは探偵であり、まだ解けていない。
「それにさ、彼らが動きを封じられてなかったとしよう。それでも、『死亡時刻が五時前後』だから、数学教室にいた二人は殺せない。鈴谷もギリギリ無理だね。屋上に行って帰って来る時間を考えると尚更だ。死亡時刻を遅らせる仕掛けがあったかもだけど。ダウト。物語として完結してる以上、受け取り手が見いだせないトリックは、メタな視点から削除される。そう考えるのは、ちょっと強引かな。でも、そう考えるほか、ないんだけれどさ。―――――― まあ、どの条件も使えないけど」
「そもそも、作中で嘉陽さんと接触したのは、主人公だけだ」
「そうそう、でもそれも同じ。けれど探偵は知り得ない」
うっかり見落としがちだが、主人公を除いた三人は、主人公の供述を知り得ないのである。主人公の語りが警察へ向けた供述であるためだ。だから、主人公の供述を持ち出して、犯人と断定することは不可能。かといって警察は探偵ではないので、探偵は警察ではない。
「固定観念にとらわれてるだけだ。そもそも、この話は、条件を知らないと答えがでないように出来てる。すなわち探偵は、条件を理解してないと、成立しない」
「なら、探偵は成立しないが正解じゃない? 解無しが答えだよ」
「そんなことないですよ」
知り得ない事実を知ってる人が居なければ、この一連の会話は生まれなかった。
「現に俺たちは、知ってるじゃないですか」
「そうだよ、紙川君。真相は、主人公と私たち以外、知り得ないんだよ」
ハッとして、俺を見る。二人の間に水の壁がそびえていた。ごうごうとした流れは白銀の幕で、その終わりは遠すぎて見えない。
「————————————!!!!!」
あと一歩。
「補足を入れさせてもらうと、俺たちではないんです」
候補から俺が消えた。なぜなら、すべては詩丘さんに向けたメッセージだから。あの短編が渡された当時は、彼女しかいなかった。
「じゃあ探偵って」
ごうごうと轟音が現れて二人を閉じ込める。本降りに突入してたらしい。見えていたのに、聞こえてたのに、あまり意識には登っていなかった雨が、己の姿を騒がしく主張した。―――――― すぐ止むさ、夏の雨なんてそんなもんだ。だから、気にしない。
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