第54話 〈error #1〉


「お邪魔しまーす」

「お邪魔します」


 扉をくぐると、紙の匂いが鼻腔に送り込まれる。そこには、埃が空中で静止してそうな静謐な空間が、こじんまりとした長方形に包装されていた。本と本棚、手前には長机。そこのパイプ椅子に腰を掛ける。机の上にはコーヒーメーカーが設置されていた。書類を扱うのにコーヒーは禁忌だろ、思わなくもない。

 勝手に一杯飲んで一息つこうとした、その時、本棚と本棚の間からピョコっと、女生徒が顔を出した。腰まで届きそうな長い髪が、創作でありがちな資料室の番人、がかってる。実在したんだ。


「安田君じゃぁ、ないですか」


 素っ頓狂と言うほどでもないが、女生徒の高音にそんな印象を受けた。もちろん、呼ばれた安田が先に反応する。


「ん? おぉ?」


 安田は、どうして女生徒が眠たげに見つめているのか、測りかねているようだ。聞いたか? 『安田君じゃないですか』、だとよ。つくづく、こいつの名は知れてるよな。


「もしかして、あんときのぉ」


 その反応、忘れてるだろ。見りゃわかるんだよ。


「そう言うことになるのかな? そうそう、あの時の。思い出してくれた?」


 ん? こっちも歯切れが悪い印象。安田はアドリブで凌いでいること確定だが、案外、この先輩も同じ境遇に置かれてるのかもしれない。


「いやぁ、あんときはお世話になりました」


 『あの』とか、『その』とか、漠然とした会話が進んでいく。いかにも隠し事があるように聞こえるが、そうじゃないことはお見通しだぜ。


「いえいえ」


 とツンとして、返す。ハハハ、面白い人だ。俺もなんか話したくなってきたんで、質問。大人びているから恐らくと、目星をつける。


「もしかして、三年生ですか?」

「そうです。最上級生なので、あなたたちの先輩です」

「先輩なんですよね。だったら、今年は受験じゃないすか。夏休みは勉強詰めなイメージあったんですが、案外、そうでもないんですね」


 なんでこの人、資料室に居るんだろう。


「えっと、そうだそう、……………… そうだな。指定校推薦とったからだよ、フフーン」


 なら随分早く決まったもんだ。なんか羨ましいね。気の抜けた雰囲気に寄らず、ってな。こんなのは、最後まで、ひーひー焦ってそうなのに。それは俺らこそ、だろうが。


「じゃあ、時に、なんで安田くんは学校にいるのかな?」

「いやぁ、先輩、実はですね。文化祭の出し物で映画を撮ることになりましてぇ。それ自体は午前で終わったんすけど、えっと視聴者へのぉ……………… ん?」

「挑戦な、」

「そうそう、それをクリアしないと、作業が前に進めないんですよ。それで、制作者を求めて三千里、ってぇ」

「ほー、映画撮影ですか。文化祭、懐かしいな、もう何年前だろう」


 懐かしいとしきりに言う先輩であったが、あなたからしてまだ去年のことなんですが。たった一年前である。


「映画製作ならアレだね」

「アレぇ?」


 先輩は本棚の隙間に消えようとする。が、ちょっとまった。


「ついでに、新聞いいですか。EMP兵器・核保有の是非、みたいな記事、お願いします」

「君、パシルねえ。名前なに?」

「紙川涼です」

「ほー」


 覚えられてしまった。そして、今度こそ隙間に消える。そんな動作は石に入り込む沢蟹に似ていた。と、直ぐ、巻き戻しのような動きで出てくる。紙の束を、小脇に抱えてな。—————— はやっ。


「その本棚、全部把握してるんですか?」

「んー、なんでー?」

「早かったんで」

「そうだよ。夏休み、誰も遊んでくれなくて暇だし、ずっといたからね」

「マジすか」

「マジです」


 持ってきたものを、机にワッと広げる。まず、新聞紙から。紙面にはEMP爆弾が図解されていた。その線だけで出来た緻密な断面図は、壁に飾ってもいいくらいだ。


「あ、これ、結局勘違いだったんだよね」

「あー、ありましたねぇ。俺が中学んときかぁ」


 何度見ても忌々しい。この記事は、見たことあるぞ。当時のグループワークで課題として加工し、さらに七咲や当時の知り合いと全国スピーチコンテストに持ってったからな。結果は優勝。

 後日、極端な思想を持つ平日でも暇な大人が、職員室に電凸してきて混乱を極めた。そんなことが連日続いたある日、帰りの会で担任が『今日は皆さん、お話があります』と切り出した。『国まで自己の所属を拡大しないと、優位性が確保できない人間は悲しいものです』だったかな、『同じ所属を名乗るなら不の面も責任を持つべきです。正の面を都合よく貪る大人に成ってはいけない』とも言っていた。『権威を個人にまで遡れる人になりなさい』と。

 変わった先生だった。今思うと教育者としては失格な発言だ。諸手を挙げて賛同できないが、先に述べたここら辺は響いたのだった。ただ当時は、他人の思想を聞かされて、子供ながら居心地悪く感じていたかな。

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