第48話 羽化
「チェーホフの銃。なんすか、それ」
「えっと、ミステリーのトリックというか、約束事ですかね。ジンクスとは違うんですが。 …………… 作中で出てきた小道具は必ず使われるべきなんです。逆を言いますと、意味のない小道具は描写されるべきではない。だって、そんなのミスディレクションにしても陳腐ですから。フェアであるためのルール、推理小説での暗黙の了解です。つまりですよ、あの殺虫スプレーは使われるべきなんです」
ははぁ、何となく難しそうだ。
「でも学級長、これ文化祭の出し物ですよ。世間一般に見せる推理小説とか、世界目指してますとか、そんなんじゃなくて田舎の文化祭に出すだけだから。……………… 正直、そこまでガチで考えてなさそうだ。何が言いたいって、スプレーが必ず使われるかは、保証できないってことだな」
「確かにそうですね。推理小説のルールの多くは、その作者の主義思想でしかありませんし。絶対じゃありませんから詩丘さんが守るとは限らないと。それは一理ありです」
「っわかったぜぇい!」
だから安田よ、急に叫ぶな。学級長も肩を跳ねさせた。学級長、あいつ怖いよな、その気持ち分かりますよ。俺は安田に尋ねる。
「分かったって、何がだよ」
「分かったぜ! 殺虫スプレーの、その意味がよ! そして、この事件の犯人がよ!」
ドヤ、と自慢げに指を立てる。ここからは安田のターンだった。
[安田の推理]
「ズバリ! 犯人は主人公だぁ!」
そう宣言すると、人差し指を俺に向けた。いや、俺じゃねぇ。午前に俺が演じてたキャラクターだ。でもまあ、ノリたくなるのが学生の性でね。俺は流れから、卑屈になる犯人を演じることにした。
「そうかい、刑事さん。聞かせてもらおうじゃんか」
今、刑事の右側でニヒルに唇を歪めるこの人物こそ、実は友田慎太郎その人である。
「まずなぁ、嘉陽さんの傍に落ちてたのはなんだぁ? さぁ、吐け!」
台本を見るまでもない、嘉陽さんの隣には殺虫剤と決まっている。確かに印象的なアイテム。あの学級長に言わせると、チェーホフの銃である。
「殺虫スプレーが落ちてたが、で? それがどうかしたか? おいおい、スプレーで俺が殺しました、なんて言わないでくれよ。無理やり吸わせるとか言い出すなら、お前を殴る」
嘘混じりけない、傷害罪である。
しかしスプレーか。吸入を強制することも出来るかもだが、相当な力技になるだろう。だが、安田刑事はチッチッチッチと、さっき突きつけた人差し指を縦にして左右に振った。雑妙にうざい動作だ。何の証拠もなく逮捕されると愉快だろうから、そうなって欲しいと願う。
「問題は、な・に・い・ろ・の、スプレーだったか、だ」
それが重要と言わんばかりに溜めて溜めて、何色を強調する。えっと何色を指定されたっけな。記憶力が曖昧なので、ページをめくる。なんでぱっと思い出せないのだろう。そんな細かいことを覚えてるような小さな人間じゃないことまでは、はっきりしている。
「キイロ、でしょー」
「正解! さすがぁ、七咲さん、演劇部!!」
「別に演劇部は関係ないだろ」
そう、ツッコまずにはいられなかった。そうか、黄色だったか。
「やったー!」
「じゃぁ、表彰式と行きましょうかぁ」
「早く話を進めろよ」
「っちぇ、つれねぇな。先を越されたからって、そうカッカすんなよぉ。もしかして悔しいのかぁ? らしくねぇ。まあ、聞けってことよ」
端役であることに徹していたのだが、もう終わりだ。推理が終わったら矛盾を突いて、安田の理論をぶち壊すことに決めた。俺に任せろ。
「しゃあねえな、聞いてやるよ」
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