第20話 職員室内部
突き抜ける風は、さながらニュートリノ。涼しい室内を見渡すと、いつもの面子が揃っていた。夏休みしてねえよな、ここ。
なんで通常を知ってるかって? 提出物を滞納すると督促状が届くので、毎日利用する羽目になってるからだ。もはや、安田も俺も職員室の備品の一つ。現状を改善しないと内申がまずい。フゥ、スリリン! とかふざけてる余裕もないのである。
「ぉお、紙川君。これはこれは、お久しぶりやな。夏休みの宿題、どうかね、わっはっはっは」
奥から、白髪のでっぷりした男が、のそのそと杖を突いてやってきた。この人は担任の
「宮沢先生。おはようございます。夏休みの宿題ですか。ぼちぼちって所ですかね。今日は宿題じゃなくて、家庭科の先生に用事があるのですが、いらっしゃいませんか?」
「ほうか、家庭科の先生と。さて、家庭科の、何先生に用があるのかな? わっはっは」
う゛、意地悪だ。覚えてない俺に非があるのは確かだが、はて何先生だったかな。すぐ後ろにいた山崎が、俺に向けて助け舟を出す。
「
と、ナイスだ山崎。
「安藤先生っす。安藤先生はいらっしゃいますか?」
「あぁ~、安藤先生ね。はいはいはい、分かりましたよ。—————— 少なくとも半年は、お世話になるんやから、名前くらいしゃんと覚えなさいよ」
後半は小声だった。それは、この教室にいる、安藤先生に聞こえないようにだろうか。安藤先生とこれ以上関係が悪化すると、単位を貰えなくなる危険性があるのは、周知の事実である。
「ハハハ、いや、すいやせん」、笑って誤魔化す。
「安藤ー先ー生ーーーーーーーーー!」
大きく息を吸って、そう叫ぶ。その方法なら、自分で探したほうが良かった。
「はいはい、宮沢先生、なんでしょう」
安藤先生がぬっ。机の上に作られた教科書の摩天楼、その屋上から、ゴジラのように顔を出す。コイツは、安藤久子。皆が想像する、老婆のイメージが実体化した家庭科の先生で、生徒からは親しみを籠めて、そのままおばあちゃんと呼ばれている。そのニックネームに思うところはないようで、むしろ独身だから喜んでさえいる。ちな、俺はこの先生が嫌いだ。ゆえに、ぶっきらぼうに尋ねた。
「家庭科のマネキン借りてもいいですか。文化祭の出し物で必要なんですよ」
「そうですかはぁ~。うーん、どう使うかに寄りますねぇ」
声には出さないが、くたばれ。破裂しそうな感情は、あと一歩のところで燻っていた。先生と相性最悪なのは有名だから、『ここは俺が説明しよう』と、山崎が前に出た。ボス、任せました。
「ええ、一つ頼み入りたいことがありまして本日は参りました。実は文化祭で死体をね、偽装シタイんですよ。なんちゃって」
「ホホホホ、なるほど。お化け屋敷でもするんですかね」
「いや、映画製作です。まあ、勿論、モノ本を使ってもいいんですがね。ちよっと、夏場は腐敗が激しいと思いまして。ココは一つ、家庭科前のマネキンを、どうか」
「ほほほほほほほほ、またまた山崎君は。いいでしょう、被覆室に使われてないマネキンがありますから、終わったら必ず元の場所に戻しておくように」
そういうと、水面に湯気が薄く張るコーヒーに口を付ける。暑いのに、よう飲むよ。見てて苦しくなる。だから嫌いなんだ。年だから自律神経が擦り切れてるのだろうか。
それにしても以外にあっさりオーケーが出たもんだぜ。気難しい先生だから予定では三十分粘るはずだったが。山崎には頭が上がらない。そして、職員室デスク団地に背を向け、俺達は鍵掛けに向かう。山崎に悪態でもつくか。
「年上キラーが」
「なんだ? それ俺のことか。おいおい、止めてくれよ、趣味じゃないんだから。どこかの誰かさんみたいに、裁縫の宿題バックレる不良じゃないから、冷たくされてないだけだが。おいよ、縫うの良かったら手伝うぜ。残ってんだろ」
「うむ、お願いする。たのむ、かがり縫いを教えてくれ」
あの縫い方は複雑怪奇だし、使い所を見出せないから嫌いだ。いや、嫌いを越えて怖い。理解できない事柄はおしなべて怖い。
「おうよ、今回のが終わったら手伝ってやる」
そして扉の近くにある木製の鍵掛が見えてきた。中腰になって探す。どれどれ、被覆室の鍵は? あった。
「どして鍵、全部同じ色なんだろうな? 前から思ってたんだが、分かりづれえよ、まったく」
山崎は、俺の後ろからそんな疑問を投げかける。全ての物事に理由がある訳ではない。これもそのたぐいだろう。そんな返答は期待されていない、というのは正論だから、もっともらしい理由をひねり出す。
「防犯のためじゃないか。計画を立てにくくしてんだろ」
「ふむ、なるほど。興味深い」
それより俺が気になったのは、”仲間外れ”の方だった。というのも、ほぼ全ての鍵は歴史を感じさせる傷のついた青色でプラスチックの楕円形な、ストラップが付いていて、その中心に貼られた白く新しい長方形のテープに、それぞれが担当する教室名が記入されているのだが、—————— いるのだが、ほぼすべてと言ったのは真っ白な仲間外れがいるからだ。屋上の鍵が白一点。他の奴らより新しく見えるぜ。それに学級長が持っていた、あのスペアと同じだ。仲間はずれ、コイツだけ。
そんな割とどうでもいい気がする疑問を抱きつつ、『失礼しました』の声に意図せずディレイをかけハモらせ、引いた扉を引いて閉め、俺達は職員室を後にした。
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