第5話 融解
その青い軌跡を追いながら、先ほどの会話を再開する。別に涼も結構平凡な名前だが。そして詩丘という苗字こそ、ここら辺では聞かない。
「学校までの辛抱ですよ」
「実は、私は割と快適だけどね」
「そりゃ私服ですんで、そうでしょうよ」
「いいでしょ、着てみる?」
「いや、よしときます」
いっそ飛び込んでしまおうか。
いかんいかん。熱暴走だ。と、そんなこんなで、池を過ぎる。この藻で翡翠色の貯め池から、少し歩くと最後の坂道。これでようやく登校から解放されるんだ、とか歓喜していると、急に耳鳴りがした。ニイニイ蝉の鳴き声と共に、耳がグワングワングワン、揺れる。その反復に気を取られ、道の段差、アスファルトが割れたその段差、に気づかない。
「ぐわぁ」
「あ、危ない」
パンッっと、つまづいた、俺の胸板を思いっきり叩くように、詩丘さんが回り込んで、支えてくれた。そのまま、
「大丈夫かい。さっきから具合悪いけれど。—————— 今日は暑いし、熱射病だね。休んだら? 蛙みたいな声出てたよ」
どうやら俺は体調がすぐれないらしい。断定されたので間違いない。詩丘さんの言うことは、絶対! の言うことは絶対! 絶対! 絶対!絶 …! …対………。
「大丈夫です。ほら、回復、回復、ワンナップ」
「やっぱ休んだら? 変だよ」
「心配してくれるのは有り難いですが、今日休んだら、部活の関係で、文化祭の、みんな集まるの、三日後なんすよ。それに、こういうのちゃっちゃと終わらせたいタイプなんで」
「そうかい、なるほど。君は確か、今回の”主人公”だったね。でも無理は禁物さ。それに夏休みは始まったばっかりだ。時間ならたくさんある。たかが三日」
「されど三日です」
別に無理してないんだがなあ。過保護だよ過保護、過保護。あんたは俺の保護者か、そう思わなくもない。しかし言葉だけは、受け取っておこう。
「もしかしてさ、調子悪いのは、伏線だったりするのかい?」
両手を、俺の肋骨の中央に添えたまま、そんなことを尋ねる。ずっとその体勢のままで辛くないんだろうか、と体重を預けながら他人事のように思った。
「伏線? ……………… 伏線って、あれですか、虫の知らせみたいな」
なら違う、そんなのオカルトだ。現実と相容れない。伏線だってそう。現実と相容れない。
「そうともいうけど、因果関係の因、と言った方がここでは正しいね。紙川君の言い方だとまるで根拠のない予感に聞こえるからさ。ここら辺、私、うるさいよ」
「そうですか」
『そうですか』、とは言ったものの、何故うるさいのか、虫の知らせじゃダメなのか、全然理解していない。よくわからない人だ。この世界は小説でもドラマでもないから伏線もクソもないのに。あの立ち眩みは伏線でも何でもないね。断言しよう。因果関係は現実でも存在するが。
「そうだよ、主人公君」
—————— 主人公君。
その言葉と同時、詩丘さんは俺を突き放すように、両手に力を込めて押し返す。よろけることはなかった。けれど体は元の位置には戻らなかった。前へ進みだしたからだ。
主人公君。なるべく前に出ない後方支援型の俺としては、主人公という役を務めるのは初の試みだったりする。そして、これで最後だろう。前に出ること自体、ソーラン節を踊って以来だ。誤解を生みそうなので補足をするが、主人公ってのは”秋の文化祭” での話。だって、この世界は作り物じゃないから主人公なんてのは、作中作以外ありえないだろ。
んで、その出し物、秋の文化祭のの出し物、それは俺のクラスに限れば自作映画のことを指すのである。
1,鼻が痒いので拭う。
2,汗が垂れてきてた。
3,内側から燃えるようだ。
これからの道を確認すると、そこには曲がりうねった通学路が続いていた。蝉の鳴き声が遠く、右の雑木林は風を含んで涼しげに、影で
「絵に描いたような田舎道。こんな通学路、あったらいいな」
ノスタルジィを刺激され独りごちる。芝居がかった俺の奇行に詩丘さんが応じた。歩行しながら木々を指を指して、こんなふうにである。
「そこにあるじゃん」
まったくもってその通り。まっとうな指摘であった。
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