第2話 冒険者は奉仕者たれ
「リーナのことはほっておけ」
「え……放置するんですか?」
「……好きに注文していいから大人しくしてろ」
「わーい!」
金に困ってはいないし、酒場の食事代などたかが知れている。
酒場に金を落として安全が買えるのであれば安いものだと、リーナを餌で釣って席へと戻す。
面倒な見習い神官は食事で釘付け。
残りは荒ぶる猫の対処だ。
「それで、なにをそんなにイラついてるんだ」
「……正直、その子のことを問い詰めたいんだけど」
「面倒くせぇ」
本音をポロリと零すと、ユキの視線の圧が強くなる。
けれど、肘を付いてそっぽを向く彼の態度から話す気がないと察したのか、嘆息して肩の力を抜く。
「もう、いいわ。……後で問い詰めるから」
「問い詰めんのかよ……」
見え透いたどん詰まりに歩いていくような気分となったゲーベンは、憂鬱な気持ちになる。
とはいえ、目の前の
「問題はクラージュよっ。なんなのよ一体……! なっさけない!」
「は? クラージュがなにしたんだよ?」
意外な人物の名前にゲーベンは驚く。
彼の知る人物の中で、クラージュはもっとも問題を起こしそうにないタイプの人物だ。
むしろ、仲裁を買って出て、怒る相手を宥める側。
ユキがこれほど怒るぐらいの事をクラージュがやらかした、というのはどうにも想像しづらかった。
「えっと、ゲーベン、さんは淫魔のこと、知ってる、よね?」
「まぁ、最初の事件に関わったわけだしな」
当事者と言ってもいい。
今思い出しても身の毛もよだつ気配を纏った淫魔ルスラン。
彼女のことを忘れるというのは、なかなかできそうにない。
「その淫魔が事件を起こしてる、のも?」
「知ってる」
「じゃぁ、領主の館を、占拠してるの、も?」
「……なんだって?」
どこに消えたかと思えば、まさか領主の館を拠点にしているとは。
俄かには信じたくない事実に眉をひそめる。
「町で騒ぎを起こしてる淫魔が、元々アリストクラットの領主が使っていた館を占拠してる、の」
「その討伐依頼を私たち『勇気の剣』が任されるはずだったのよ!」
ユキが怒気を込めて叫ぶ。
彼女の言葉の意味するところを理解したゲーベンが、怪訝な顔つきになる。
「あん? 依頼受けてねぇのかよ?」
「断ったのよ! クラージュがね!」
意外な事実を苛立ち交じりにユキが肯定する。
――クラージュが困ってる人を見捨てるか?
『幻想の森』の事件であれ、アパートメントの事件であれ、たとえ自分が不利になろうとも困っている人がいるならばと立ち上がったのがクラージュだ。
そんな男が、既に被害者も出ている淫魔討伐依頼を断ることが意外だった……が、ゲーベンはすぐさまその考えを否定した。
そして、思い出すのは淫魔と相対した後に彼が零した言葉だ。
『僕はね、ゲーベン……魔族が、怖いんだ……っ』
顔を真っ青にし、震える姿は勇敢さの欠片もない、恐怖に怯える幼子そのもの。
クラージュの天秤は、誰かを救うことよりも、魔族への恐怖に傾いたということであった。
事情を知らなければ情けないと言うかもしれないが、あの尋常ならざる様子を知るゲーベンとしてはフォローを入れたくもなる。
「事情はわかったが、クラージュの昔のことを考えれば仕方ねぇんじゃねぇか?」
「聞いたん、だね。クラージュの住んでいた村が、魔族に滅ぼされた、こと」
「軽く、な」
パーティ外のゲーベンですら知ることになったのだ。
長年パーティを組んでいるユキとシュティルが知らないはずがなかった。
――だったら、もう少し気遣ってもいいものだが。
魔族を恐れる理由を知ってなお、ユキが憤っているのはなぜなのだろうか。
「私だってそんなことわかってるわよ! あいつが怖いってのも理解できる! けどね、被害者は出てるのよ? 困っている人がいるの。冒険者だっていうなら、見捨てていいはずがないじゃない……!」
冒険者は奉仕者たれ。
これは冒険者ギルドが設立当初から掲げている理念だ。
無辜なる人々をモンスターという脅威から護るのが冒険者であると戒めるための言葉だ。
理想だ。そして、綺麗事だ。
冒険者ギルドに所属する者の中でギルド理念を知っている者がどれだけいるか。いたとしても、一夜の酒の肴になるぐらいで、実践しようなどと思う者はほとんどいないだろう。
冒険者というのは、結局のところ一攫千金を夢見た命知らずでしかないのだ。
誰かを救うなんて理想を胸にモンスターと戦う者など、一握りでしかない。
そんな理想を当たり前のように語るユキに、ゲーベンの頬が知らず緩む。
「冒険者なら……か。そんな立派な矜持を掲げてる冒険者なんぞ、ほとんどいないと思うがな」
「知ってるわよ、そんなこと。村から出てきた時は、理想と現実の差に落胆したもの。けど、そんな中でクラージュだけは違うと思ってたのよっ」
憧れていた人物のだらしない部分を見て幻滅したかのような、クラージュにしてみれば理不尽な非難。
子供のような言い分に、ゲーベンは声を上げて笑った。
「意外と子供っぽいな、ユキは」
「うっさい!」
指摘されたユキも自覚はあるのか、頬を赤らめて怒鳴り返すも最初の頃の勢いはない。
大笑するゲーベンの態度に、ユキは増々赤くなってしまう。
暫く笑っていたゲーベンは目尻に浮かんだ涙を拭いながら、息を整える。
「そんだけ信じてたわけだ。クラージュのことを」
「……仲間なんだから当然でしょ。悪い?」
「いや全く」
悪いなんてことがあろうはずもない。
むしろ、嬉しいのだとゲーベンは笑みを深めるのだが、褒められ慣れていないのかユキは居心地が悪そうだ。
「淫魔討伐依頼はどうなったんだ?」
「別のパーティ、が、受け、たよ」
シュティルの返答に、ゲーベンは渋面を作る。
「……大丈夫なのか? 相手は魔族だぞ? 報告したが、戦っていなくても肌で感じるヤバさがあったぞ」
「知らないわよ」
むくれてしまったのか、ユキは不貞腐れたように唇を尖らせる。
「……複数パーティにお願いするって、言ってたから、大丈夫だと、思う、けど」
「なら一安心だ……と思いたいが、な」
数を揃えてどうにかなるものなのか。
現状、この町に最上位であるSランク冒険者はゲーベンのみだ。
集まった冒険者も良くてAランク。悪ければBランク以下となる。
淫魔ルスランの恐ろしい点は魅了だ。けれど、魔族であれば個人の能力とて軽視できない。
嫌な予感が当たらなければいいが、としかめっ面を作っていたゲーベンだが、視界に端に映るむしゃむしゃととご飯を食べるリーナの、シリアスな空気を壊す姿に気が抜ける。
ゲーベンの視線に気が付いたリーナが、リスのように頬を膨らませたまま顔を上げる。
「ふぁい? ふぁんへふか?(訳:はい? なんですか?)」
「……度胸だけは一人前なんだよなぁ」
――ほんと、バカが大物のどっちだよなぁ。……見た目は前者っぽいけど。
数日後、他のパーティによる淫魔討伐が失敗に終わった知らせが、ゲーベンたちに届く。
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