第5章 怯える勇者と淫魔との戦い

第1話 淫魔の事件と食いしん坊な見習い神官


 アパートメントでの淫魔との一件から三日。

 ここ数日、町で起こっている事件によってギルドは殺伐とした空気が蔓延している。

 ピリピリとした空気が漂う酒場で、ゲーベンは一人酒も飲まず一枚の依頼書に目を通していた。


「淫魔の討伐依頼……か」


 男性の失踪事件、殺人事件、暴力事件。

 町では男性の関わる事件が後を絶たないでいた。

 原因が不明であれば薄気味悪かろうが、こと今回の事件に限ってはハッキリしていた。


『私は淫魔族のルスラン。尊き我らが淫魔女王にお仕えする、淫魔の一人。――さぁ? 私を楽しませて』


 町の中心でそう宣言した妖艶なる淫魔ルスランが、類稀な美貌と魔力によって男たちを操り、町のあちこちで事件を起こしているのだ。

 混沌とし、凄惨なる光景を蝙蝠のような黒き翼をはためかせ、上空で愉しそうに眺め続けるルスラン。

 彼女を討伐しようと町の衛兵も動いたが、男は魅了されておしまい。女がくれば男共に襲わせ、最終的に殺させる。


 己の手は汚さず、一頻り暴れるのを見て満足したのか、操った男たちを引き連れて、ルスランはいずこへと去っていった。

 けれども、ルスランがいなくなった後も事件は収まらない。


 事を大きく見た町と冒険者ギルドが出したのが高額のSランク討伐依頼。

 冒険者であれば喉から手が出るほどの金額であったが、予想に反して依頼を受けようとする冒険者は少なかった。


 既に起こっている事件内容からその凶悪性は周知の事実。命知らずの冒険者とて、金のために命を捨てることはしなかったようだ。

 嫌な事件だとゲーベンが顔をしかめていると、横合いから重苦しい場の雰囲気に似つかわしくないやたら明るい声がかけられる。


「この前のルスランという淫魔! 人目もはばからず暴れてるみたいですね」

「殺人に、行方不明者多数……しかも、加害者、被害者はどれも男ばかり」

「な、何人もの男の人と関係を築くなんて、その、いけないことだと思います!」

「その通りではあるんだが……で?」

「で?」


 ハテナとゲーベンの正面で首を傾げているのは、いつの間に頼んでいたのか、円卓に並んだ肉や野菜を口一杯に頬張っる食いしん坊のリーナである。

 口の端に食べかすをつけたお茶目なリーナを見ながら、ゲーベンは頬をひくつかせる。


「なんでお前はここで飲み食いしてるの?」

「すみませーん! 鶏肉の香草焼きをお願いします! 後、果実酒追加で!」

「頼むな頼むな。誰が払うんだそれ」

「……? こういう席では男性が奢ってくれるのでは?」

「勝手に座ったあげくがめつい奴だなぁ」


 勝手に同じ卓について次々と注文をしている少女は、三日前にアパートメントの事件で一時関わった見習い神官だ。

 あれ以来、接点らしい接点もなく、話す機会もなかった相手が、何食わぬ顔で同じ卓に座ってご飯を食べているのだから、ゲーベンでなくとも一言物申したくなる。


「払ってくれないんですか?」

「自分の分だけ払う」

「でも、私お金持ってないですよ?」

「最低だな」


 見習いとはいえ神官だというのにこの金に対するがめつさはなんなのだろうか。

 ゲーベンの偏見かもしれないが、神官ならば清貧とまではいかずとも、欲を秘匿すべきだ。

 目の前では奢ってもらう気満々のリーナが、新しくきた料理を大層美味しそうに口へと運んでいた。金欲、食欲の権化である。


 あまりにも美味しそうに食べるものだから、毒気を抜かれてしまったゲーベンは、彼女の目的を聞くことにした。


「それで、なにしに来たんだ、お前」

「リーナちゃんです!」

「そういうのいいから」


 どんだけちゃん呼びさせたいのかと。


「そうですね。それはいずれ呼んでいただきましょう。これから、長く一緒にいるわけですし」

「一生呼ばねぇよ……長く?」

「はい!」


 なにやら不穏な言葉を復唱すると、リーナが元気良く返事をする。


「不肖リーナ! これからゲーベンさんに付いていきます!」

「……はぁあああっ!?」


 ゲーベンが驚きの声を上げる。

 彼の声に周囲が驚くが、気にしている余裕はない。

 ゲーベンは、なにやら面倒事を予感させるリーナにはこれ以上関わるつもりがなかったのだ。それがどうして長く一緒にいることになるのか。


「なに言ってんだお前!?」


 殊更声を上げて問い質すと、リーナはごくんっと口の中の食べ物を飲み込む。


「私、修行のために村から出てきたんですけど、一年経っても神聖魔法の一つも使えなかったわけです」

「急に自分語りを始めるなポンコツ神官」

「それが! ゲーベンさんの魔法のおかげで低級の神聖魔法とはいえ使うことができましたから! ゲーベンさんと一緒にいれば、神聖魔法に慣れる練習もできると考えたんです!」

「うるせぇ帰れ」


 つまるところ、彼女はこう言っているのだ。一人立ちするための杖となれ、と。

 たまったものじゃない。

 どうして会って間もない相手の面倒を見なければならないのか。


 ゲーベンは目の前で困っている人がいるならば、渋々ながら手を伸ばす程度には善人だ。けれど、未熟な見習い神官を一人前まで面倒を見るほど、お人好しではないのだ。


 煙たがるようにしっしっとぞんざいに手を振ると、駄々をこねる子供のように腕にしがみついてきた。


「いいじゃないですかー! リーナちゃん役立ちますよー?」

「よくねぇよ纏わりつくな」


 妙な奴に懐かれてしまったと、ゲーベンがため息をついていると、ギルドの受付側から荒々しい足音が響く。


「――あったまきたっ!!」


 怒り心頭と、リーナに続いて勝手に席についたのは、『勇気の剣』の軽戦士であるユキだ。

 彼女は赤髪せきはつを燃え盛る炎のように波打たせると、見て取れるほどに強く握った拳を机に叩きつけた。


「お、落ち着いて、ユキちゃん」


 彼女を追いかけるように慌てた様子で現れたのは同じく『勇気の剣』のメンバーであり、魔法使いのシュティルだ。

 黒いとんがり帽子とドレス。先端に宝石のついた杖を両手で握ったシュティルは、ゲーベンを見るとぺこりと頭を下げてユキの隣の椅子に腰を下ろした。


 ――こいつら、俺の回りを集会場かなにかと勘違いしてないか?


 遺憾の意を示したいゲーベンだが、今のユキは毛を逆立てた機嫌の悪い猫そのものだ。下手に触れればひっかかれるのは目に見えている。

 眉間に皺を寄せつつ、ゲーベンは極力刺激しないように声をかけた。


「いきなり来てなに荒れ狂ってるんだ?」

「悪いわね。イラつくことがあったのよ……」


 迷惑をかけている自覚はあるのか、珍しくも素直に謝罪をするユキ。

 バツが悪そうに泳がせたユキの視線が、ゲーベンの腕に抱き着くリーナでピタリと止める。


 ユラリ、とユキの赤髪が陽炎のように揺れる。


「……現在進行形でイラだちが増していくけどね? 誰? その子? どこで引っ掛けてきたのかしら?」

「リーナちゃんです!」


 はい! と手を上げ明るい声を上げるリーナ。

 前衛職の戦士であるユキに真っ向から敵意を向けられているというのに、鈍感なのか全く堪えた様子がない。


 リーナの態度に一瞬眉間を動かすユキを見て、ゲーベンはため息交じりに説明をする。


「引っ掛けたわけじゃねぇ。なんか知らんがいるんだ」

「へぇ……そうやって責任逃れしようって言うの?」

「そうじゃねぇよ」


 ゲーベンはめんどくさそうに否定するが、不審がるユキは彼の言葉だけでは信用できないらしい。

 追及の矛先はニコニコ笑顔のリーナにまで向けられる。


「ねぇ? 神官のあなた?」

「はい! リーナちゃんです!」

「そう、リーナはこの男とどんな関係なの?」

「どんな、関係?」


 ぽけーっと間抜けな顔で薄汚れた天井を見上げ、なにを想像しているのか。

 一瞬、瞳を輝かせたリーナは閃いたと自身満々にゲーベンとの関係を口にする。


「暗がりで激しい運動をして一緒に汗をかいた関係です!」

「ゲーベン……死にたいようね?」

「悪意しかないこの流れなんなの?」


 明らかにゲーベンを陥れようとする流れに、彼は肩を落として辟易するしかなかった。

 リーナとしては、アパートメントの出来事を簡潔に伝えようとしただけで悪意がない。

 ……悪意はないが、的確に味方の背中を刺してくるのは、敵意がない分避けようもなく質が悪い。


 救い船はないのかとシュティルを見れば、彼女は困ったようにとんがり帽子の鍔で目元を隠した。


「ゲーベン、さん。ちょっと、タイミングが悪い、よ?」

「俺がなにをした……」


 結局のところ運が悪いで説明がついてしまうのだが、ゲーベンとしては認めがたい事実だ。

 目に見えない、あるかどうかもわからない運気に人生が左右されているなんて考えたくもない。


 ゲーベンは悪い運命を払うように左右に首を振るう。

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