第4章 アパートメントの怪奇 と 女に堕ちる貴人の冒険者

第1話 閉じられたアパートメントと銀髪の女神官


 冒険者ギルドに併設された酒場でゲーベンは、ユキとシュティルの二人と朝からお酒に興じるところであった。

 給仕に注文を終えて円卓に突っ伏するゲーベンは、疲労困憊を絵に描いたようにだらけきっている。


「はぁ……疲れた」

「大変、だった、ね?」


 昨日は口を開けば猥褻わいせつなことばかり発する変態少女を抱え、人通りの多い町中だというのに犯す犯すと叫ぶ変態集団に追われ続けていたのだ。

 肉体疲労というよりも、精神的疲労が激しく、ゲーベンはしばらく……というより二度と変態には絡みたくなかった。率先して遭遇したい奇特な人物がいるか定かではないが。


 労いの言葉をかけるシュティルとは違い、ユキは冷めた目を向けて大層ご立腹であった。


「なにが大変よ。あんな可愛い女の子にキ、キスされてっ。鼻の下伸ばしてたじゃない」

「鼻の下なんて伸ばしてねぇし!」

「じゃぁ嬉しくなかったて言うの?」

「……」

「ほら!」

「どう答えても問題じゃねぇか!」


 リリィと名乗る少女のお礼と称した舌を絡めるディープキス。

 嬉しかった気持ち良かったと言葉にするのははばれ、思い出して反芻したいかと問われれば否と答えるぐらいには羞恥心を沸き立たせる出来事であった。

 言動から痴女的であったが、助けられたからといってそこまでするとは、耳年増というわけではなく、名実共に身も心も痴女なのかもしれない。


 とはいえ、キスという幸福、または被害を受けたのはゲーベンだけだ。

 少々過激なシーンを目撃したからといって、ユキに怒られる謂れはない。

 だからと言って「ユキには関係ない」と突っぱねれば、昨日のように生死を賭けた鬼ごっこになるのは必定だ。

 ゲーベンはやや納得いかないながらも、口を閉ざすのが利口だと唇を尖らせるに留めた。


「ユキ、も、そんなに怒らないで、ね?」

「怒ってないわよ。ただイライラして目の前の変態をぶん殴りたいだけよ」

「それを怒っていると言わずなんて言うんだよ」

「変態駆除」

「俺は害虫かなにかか!?」


 駆除指定生物として扱われ、流石に黙っていられないとゲーベンは怒りで立ち上がる。

 ユキもユキで上等だと立ち上がるのだから、小さな火種は際限なく燃え盛る。

 しかも、よくよく酒場で喧嘩するものだから、最近は周囲の冒険者たちが風物詩として扱っている節があり、無責任に煽り立て、しまいには賭け事まで取り仕切るのだからたちが悪い。

 今も喧嘩か喧嘩かと、騒ぎを聞きつけた冒険者たちが目を輝かせ始めていた。


 このままではいつもの流れ――ゲーベンが負けてユキの椅子にされる――で終わってしまうと、シュティルは申し訳なさそうにしながら彼らのじゃれ合いに割って入る。


「あの、気になってたんだけ、ど」

「あん? どうした?」

「クラージュさんの、様子を見に行くって、どうなってるのかな、て」

「……あ」


 財布を落としたことに気が付いた。

 そんな風な間の抜けた表情を浮かべるゲーベンのいる席に、並々葡萄酒が注がれた杯を三つ、営業用の笑顔で給仕が運んでくる。


「お待たせしました~。こちら葡萄酒になります~」

「あぁ、全部こっちで貰うわ」

「あー! せめて一杯だけでも飲ませてくれよ!?」


 卓に置かれる前から回収されてしまった命の水葡萄酒を見て、ゲーベンは嘆いて伸ばした手を力なく降ろすのであった。


 ――


 酒場から追い出される形でゲーベンが向かったのは、町の中でも住居が密集している地域だ。

 クラージュの住む場所は周囲の治安が良く、建物の作りもしっかりとした物が多い比較的裕福な者たちが住んでいる。

 二階建てや三階建てといった縦に長い住居が石畳の道に沿う形で隙間も開けずに並ぶ。


 その中の一つ。三角屋根の石材で建てられたアパートメントの入口の前で、ゲーベンは肩を落として立ち止まった。

 

「休まる時間が欲しい……」


 心からの嘆きを口から零し、ゲーベンはやたら大きな玄関扉にある獅子を模したドアノッカーを鳴らす。

 ただ、しばらく待っても返答はなく、誰かが出てくる様子もない。


 不思議に感じつつも扉を開けて入室すると、全ての鎧戸が閉じているのか室内は光一つ差し込まない暗闇が広がっていた。


「暗っ。なんで灯りが点いてねぇんだよ。管理人もいねぇし」


 扉から覗き込んだ左手には、管理人室であろう部屋が小窓から伺えるが、そこには誰もいなかった。

 早朝というには遅く、昼間というには早い。絶妙な時間帯だが、日が高く明るい時間に管理人がいないというのにゲーベンは首を傾げた。

 ――手紙の受取とかどうすんだ、これ。


 とりあえず、開け放っていた玄関扉から手を離し、ゆっくりと室内に入っていくと、

 バタンッ!!

 と、大きな音を立てて扉が閉まった。


「っ、なんだ?」


 あまりに大きな音を立てて閉まったものだから、ビクッと一瞬体を跳ねさせたゲーベン。

 ――まさか、な。

 屋敷の暗く怪しい雰囲気も合わさって、妙な悪寒に襲われた彼は玄関扉に手をかける。

 押して、引く。けれども、扉はびくともしない。

 まるで、扉を模したトロンプ・ルイユだ。

 けれども、実際にはそんなはずはなく、建物内に入る時はあっさりと開いたのだ。

 ゲーベンが建物内にいることこそがその証明。


「……どうなってる?」


 またなにかに巻き込まれたのか。

 頬を引き攣らせながら、いやいやそんなまさか何度も事件に巻き込まれるわけがないと、陽気で能天気な人のように「アッハッハッハ」と高笑いを上げながらお手上げとばかりに両手を広げて首を振る。

 ……陽気さを装っても、笑い声は掠れて消えそうであったが。


 けれども、ないないと否定し続ける彼の耳に届くのは、明らかに日常とは逸脱した、不幸を告げる鐘の音。


「――キャァアアアアッ!? 助けてくださいー!」


 つまり、切羽詰まった甲高い女性の悲鳴であった。


「あー! 新しい人影発見!」


 暗闇の中から現れたのは、銀色の長い髪をふわりと広げる、白い神官服を着た少女であった。

 神官服同様白いベレー帽を被った少女は、勢いあまってゲーベンの胸板に顔をぶつけそうになりながらも、慌てて勢いを殺して急停止。

 触れるか否かの瀬戸際で、少女は威勢良く顔を上げる。


「そこの人! あなたは頭が狂っていませんか!?」

「ねぇ? 俺の第一印象って変態か狂人の二択しかないの?」


 幼さを残すネオンブルーの大きな瞳を向けてくる小柄の少女の質問に、ゲーベンはさっそく心が折れかけた。

 明らかに消沈した様子のゲーベンに、少女も自身の言葉が相手にどのような意味で伝わるのか察したようで、一歩彼から距離を取ると両手を突き出して否定する。


「申し訳ございません! そういうつもりは一切なくってですね! ただ、なんと言いますか、私、今ちょっと追われてまして」

「……なんだろうか、この、既視感というかなんというか。聞いたし見たかのような状況は」


 視界に映る光景が、過去の光景と重なる既視感。

 それも、遠い昔ではなく、つい昨日、まだ記憶に新しい光景と重なり合っている。

 頭が痛くなってきたゲーベンは額を押さえる。

 衝動的な逃走本能。けれども、そんな彼の判断を見越してか、逃走ができないように玄関扉は開けることができない。

 ――これが試練だ運命だと宣う神がいるのなら、全員尻の穴から短剣突っ込んでやる。

 天を仰ぎ見ながら、ゲーベンはこの後に起こるであろう騒動を予見する。


「で、女が追われてるってなると……」

「女を寄越せぇえええええっ!?」

「だよね! 知ってたわこの流れ!」

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