第5話 報酬は大人のふか~いちゅー

 ――


 倒壊した建物の瓦礫の山。

 これだけ大規模な倒壊でありながら、唯一原型を留めている木箱の一側面が音を立てて崩れると、中から汗と埃に塗れ、体を火照らせた男女が出てきた。


「もう……突然押し倒すなんて。お兄さんのえっち」

「お前の卑猥な言動に慣れてきた俺自身が怖い」


 あたかも行為の後のように、汗ばみ艶の増したリリィがゲーベンにしなだれかかる。

 むにゅりと腕が柔らかな谷間に埋もれるが、賢者の如く達観したかのようなゲーベンは、何の反応も示さない。


 ゲーベンが倉庫の柱を壊した時、元々倉庫に残っていた木箱に壊れないよう細心の注意を払って事前に強化魔法を掛けていたゲーベンは、唯一安全地帯となった木箱の中にリリィを押し込むと、自分も飛び込み蓋を閉めたのであった。(何個か失敗して木箱が砕けてしまったが)


 耐久性に不安はあったが、どうにか無事切り抜けた。

 どちらかといえば、崩壊している最中、身動きの取れない真っ暗な木箱の中で、やたら体を絡めて密着してくるリリィのせいで、理性が崩壊しないようににするほうが大変であった。

 胸や体の柔らかさもさることながら、男を誘惑する女性特有の甘い香りにゲーベンは頭がのぼせてクラクラしていた。

 ゲーベンが木箱を出た時、よくぞ手を出さなかったと自らを褒め称えていた程だ。


 そんなゲーベンの態度にやや不満そうなのはリリィで、唇を尖らせながら瓦礫の山に目を向けていた。


「死んじゃいましたかねぇ?」

「さぁな。加減出来るようなもんじゃねぇし、そんときゃそん時だろ」

「淡泊ですねぇ」

「そこまで責任取れるか」


 男達の反応はおかしなモノがあったが、やっていることは犯罪だ。

 そんな相手にも気を遣えるほど強ければ別だが、あいにくゲーベン一人の戦闘能力はたかが知れている。自身の命と暴漢の命を天秤にかけるほど、ゲーベンは愚かではない。


「認知してくれないんですかぁ?」

「お前と子作りした記憶はない」

「子作りだなんてぇ。お兄さん大胆」

「はっ! こいつの言動に釣られてつい」

「リリィの色に染まってきた証拠ですねぇ」

「不本意!」


 自身の発した言葉にショックを受けるゲーベン。

 着々と己の色に染まっていることに、リリィは笑みを浮かべて嬉しそうだ。


「くだらねぇこと言ってないで、町に帰るぞ。瓦礫が崩れても面倒だしな」

「は~い」

「返事はいいんだ――」


 二次災害を起こさないよう、注意を払って歩こうとした時、瓦礫の山から片腕が潰れた血みどろの男が起き上がってきた。

 ――あの崩壊で無事だったのか!?


「女を寄越せぇええええええええっ!!」

「――っ! くそ……っ!?」


 男が血で濡れた手をリリィに伸ばす。

 間に合わないとゲーベンが焦燥に駆られた瞬間、ドクンッと大きく心臓が跳ねた。


「あぁっ……あ…………」

「なん……だ?」


 巨大な何かに睨まれたような感覚に、ゲーベンの全身から汗が噴き出す。

 男も同じなのか、リリィに触れる直前、呻きながら身動きを止めていた。

 何かいるのかと潰れそうな心臓を押さえていると、視界の端を見慣れた女戦士が横切った。


「寝てなさい」

「あがっ……!?」


 両手に短剣を握ったユキが、呆然と立ち尽くしていた男を斬り捨てた。

 それがトドメとなったのだろう。血をまき散らし、瓦礫の山に体を倒すと遂に男は事切れた。

 男を倒し、クルリと振り返ったユキは、ゲーベンが無事であることに安堵を示すも、直ぐに不機嫌そうに唇を結んだ。


「何やってんのよあんた」

「何って」

「お兄さんの熱いモノを体で受けとめていました」

「はぁあっ!?」

「嘘に決まってるだろうが間に受けるな!」


 頬を赤らめるリリィに、怒るユキ。

 いつものノリに安堵しつつも、ゲーベンが考えるのは先程の心臓を掴まれたかのような感覚だ。

 ――何か居たな。巨大なモンスターを前にしたかのような、恐ろしい気配だった。

 今は微塵も感じないが、あの気配が勘違いだったとはゲーベンは思えなかった。


「あんたならやりかねないじゃない!」

「俺の信用はそこまでないのか……」

「お兄さん……リリィが慰めてあげますね? なでなで」

「股間を撫でる馬鹿がどこにいんだ!?」


 バカみたいなやり取りで心が落ち着き、忘れるようにゲーベンは首を左右に振る。

 平静を取り戻したゲーベンの目の前で、何やら神妙な態度を取るリリィ。


「でも、お兄さんにお礼をしなければなりませんから」

「あ、あー」

「何? あんたこの女の子を助ける代わりに、体で払わせようとしてんの!? この変態がっ!」

「してねぇよ!」


 馬鹿野郎と否定するが、リリィは満更でもない。


「お兄さんとなら、セックスしてもいいですよぉ?」

「ゲーベン!」


 リリィのとんでも発言に、ユキが顔を真っ赤にして怒る。


「キレるな! このリリィって女は卑猥な事ばっか口にする痴女みたいな女なんだよ!」

「そんな男に都合の良い女がいるわけないでしょ!?」

「いるんだからしょうがねぇだろがい!」


 事実存在してしまうリリィという変態痴女。

 現実はいつだって人々の想像を超えていくのだ。


「私の体ではお兄さんはお気に召さないようですねぇ。残念です」

「言い方。言い方気を付けろ? それだけで俺の心労は半分以上減るから」


 無念そうに体を抱くリリィに、これ以上心の負担を増やすなとゲーベンは言い含める。


「仕方がありません。子供っぽいので好きではありませんが、お兄さん」

「あん?」

「ちょっと失礼しますね」


 何を考え付いたのか、踵を上げて背伸びしたリリィは両腕をゲーベンの首に巻き付けて瞳を閉じると、んっと顎を上げ――



「――ん……ちゅっ……」

「……っ……っんは…………!?」



 ――自身の唇とゲーベンの唇を重ね合わせた。



 意識の間隙を突いた奇襲に言葉も出ないゲーベン。

 その隙を突いて、リリィは柔らかくも蠢く舌をゲーベンの口内に侵入させる。


「~~っ!!??」

「……れろぉ……ちゅぱっ…………はぁっ」


 舌と舌が絡まり、水音を奏でる。

 ゲーベンの歯を舐めるように動く舌は、まるで一つの意志を持った生き物のように彼の中を這い回って、歯一本一本を撫で上げる。

 幾度も濡れた紅色の唇を押し付けられたゲーベンは、不意の暴挙と背筋を襲う気持ち良さに半ば放心状態となっていた。


 一頻り堪能したのか、ちゅぱっと卑猥な音を立ててリリィは唇を離した。

 唾液で濡れたリリィの唇が、ゲーベンの唇との間に透明な糸を作り出す光景は、あまりにも淫らで卑猥であった。

 リリィの行為によって放心状態になってしまっていたゲーベンは、ぞくぞくと背筋を走る快楽によって意識を取り戻すと、先程まで触れ合わせていた唇を手で隠し、耳から首まで真っ赤にしながら慌てて後退った。


「ななな、なにしやがる!?」

「なにって、お礼の……舌と舌をねっちょりと絡める大人のふか~いちゅーですよぉ?」


 れろっと唇の唾液を舐めとるリリィの艶のある行動に、唾を飲んだゲーベンは上手く言葉が出てこない。


「ちゅーっておま、おまっ……」

「……ゲーベン」


 瞬間的に南国から雪国に移動したかのような気温差を感じ、ゲーベンは快楽とは別の意味で背筋がぞくっとする。

 海の底から聞こえてくるような、底冷えする冷気を伴った声。

 ゲーベンが振り返れば、目元まで濃い影が掛かったユキは手が白くなる程強く柄を握り、二本の短剣を抜いていた。

 拭わなかったのか、刃先から血がぽたり、ぽたりと滴り落ちている。

 人を喰らう鬼に出くわしたかのような、あまりにも恐ろしい気配と光景に、真っ赤だったゲーベンの顔は一瞬にして青褪めた。


「ゆ、ユキ?」

「……殺すわ、あんたを」

「なんで怒ってんだよ!?」

「――うっさい! とにかく死ねぇええええええっ!!」

「理不尽!」


 目を吊り上げ、血を付着した短剣を振るって襲ってくる鬼女から、ゲーベンは兎のように逃げ出す。


「逃げるなぁああああっ!!」

「逃げるに決まってるだろうぉっ!? だぁあっ! 今日は走ってばっかだ! 俺は魔法使いだぞ!?」


 鬼と兎の追いかけっこ。

 ユキが先行したために置いてかれてようやく追いついたシュティルは、助けに来たはずなのに鬼のような形相のユキがゲーベンを追いかけている光景に目を丸くした。


「どういう、状況?」


 困惑するシュティルの目の前で、(ゲーベンの)生死を賭けた追いかけっこは、彼が力尽きて地面に倒れ伏すまで続けられた。

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