第3話 獅子という名の兎の群れ

 ――


「はぁ……はぁ……くっそ。流石に、きっつい」


 陽は高く、見上げれば雲一つない快晴だが、建物に挟まれた路地裏に陽の光は届かない。

 薄暗く、淀んだ空気が漂う路地裏で、ゲーベンは建物の壁に背を預け、乱れた呼吸を整えていた。

 彼の両腕には未だにリリィが抱えられ、どこから取り出したのかちょんちょんとハンカチーフで、ゲーベンの顎を伝う汗を甲斐甲斐しく拭っていた。


「羽より軽い空気のようなリリィを抱えて息を切らせるなんて、お兄さんは体力がありませんね」

「お前のっ、自尊心がぁ、高いことだけはぁっ、分かったぁああっ!」

「はぁはぁ言って、リリィの体を抱きしめて興奮しちゃってるんですね?」

「もー捨てよーかなこの女!」


 路地裏に捨てても許されるのではないか。

 ゲーベンは半ば本気で考え始めたが、ぎゅっと体を寄せてきたリリィが潤ませた瞳で彼を見上げる。

 胸板にむぎゅっと潰れる柔らかな感触に、運動による熱さとは違う理由で頬が赤くなる。


「一回抱いたら直ぐにポイッだなんて、酷い人ですねぇ」

「ほんと言い方気を付けろよ!? 仕舞いには捕まるぞ! 俺が!」

「牢屋の中でおせっせするのも乙なものですよぉ」

「一人でやってろ!」

「自慰行為は得意です」


 任せろとスカートの間に伸ばそうとした手を、ゲーベンは慌てて止める。


 ■■


 一方、同時刻。

 昨日と同じ飲食店でテーブルを囲むユキとシュティルは、甘い菓子と紅茶に舌鼓したつづみながら、今頃クラージュ宅にいるであろうゲーベンを会話のネタに花を咲かせていた。


「そろそろ、クラージュの家に付いた頃かしらね」

「そうかも、ね」


 思い耽るようにユキはワッフルに伸ばした手を止め、クラージュの自宅のある方角へ視線を投げる。

 ユキと二人だけだからか、珍しくとんがり帽子を外しているシュティルは、暗い緑色の長い髪を風でなびかせ、微笑ましそうに翡翠色の瞳を細めた。


「しんぱ、い?」

「別に?」

「ふふ。そういうことに、してあげる」

「……言うわね」


 生意気だというように、シュティルのエッグタルトを奪おうとすると、


「――ゆっきさーん!」

「うひゃああああああああああああっ!?」


 不意に背後から大きな声と共に肩を掴まれ、ユキは大きく女性らしい悲鳴を上げてしまう。

 彼女の悲鳴に周囲の人々の注目が集まってしまい、ユキは羞恥で顔を赤く染めあげる。

 そして、突然の蛮行を行った不埒者を、キッと睨み付けた。


「お、驚かさないでよリサっ!」

「うふふ。可愛らしい悲鳴頂きました。ゲーベンさんに聞かせたかったです」

「怒るわよ?」


 ふー! ふー! と威嚇する猫のように息を吐き出しながら、ほっそりとしたくびれが際立つ長いスカートを履いた、私服姿の受付嬢のリサへ厳しい視線を向けた。

 彼女の反応が面白かったのか、楚々と口元を押さえながらクスクスと笑うリサは、空いている椅子に勝手に座ると、ユキの皿からワッフルを一つかっさらう。

 驚かされた上に菓子まで持っていく自由気ままな悪戯猫に、縄張り荒らされたがごとくユキは警戒心を剥き出しにする。


「どうか、したの?」

「いえいえ。ユキさんをからかいに来ただけですよ」

「私は今用事が出来たけどね?」


 据わった目でユキは腰の得物に手を伸ばす。

 感情の抜け落ちた彼女の表情に、ここら辺が引き際かとリサは空気を変えるようにごほんと咳払いを一つ。


「冗談は置いておきまして」


 今にも噛み付いてきそうなユキの剣呑な圧力を受け流すように、リサは本題に入る。


「『獅子の牙』っていう名前に聞き覚えあります?」

「『獅子の牙』?」


 聞いたことのない名前にユキが眉をひそめる。


「なにそれ。冒険者パーティ?」

「違いますよ」

「えっと、確か、冒険者を辞めた人が集まった、集団? じゃ、なかった、け」

「頭の良いシュティルさん大正解!」


 流石だと拍手をして褒め称えるリサ。

 恥ずかしそうに帽子で顔を隠すシュティルの正面では、瞳から光を消そたユキが恐ろしい目でリサを見ていた。


「ねぇ? その言い方だと答えられなかった私が頭悪いみたいじゃない」

「ミミズの這ったような字のユキさんに言われましても、ねぇ?」

「村じゃ字書ける人の方が珍しいのよ! いいじゃない書けるんだから!」


 人の恥部を晒して何が愉しいかー! と叫ぶ暴れユキを、シュティルがどうどうと宥める。


「落ち着いて、ね。練習してるんだから、上手くなる、よ」

「ふーふー!」

「もう、そんなに興奮しないでくださいよ。話が進まないじゃないですか」

「誰のせいよ!」


 お前のせいだと言われたところで、リサは堪えた様子もなく素知らぬ顔だ。

 スライムのような手ごたえのなさに、反応するだけ損だと苛立たし気に背もたれに寄り掛かる。


「たくっ。で、『獅子の牙』ね?」

「そうです。冒険者を続けられなかった人達の一部が、集まって名乗っているチーム名ですね」

「あぁ……あいつらのことね」


 ユキの頭の中で、ゴロツキとそう変わらない男達の姿が思い浮かぶ。


「なんだ、知ってるんじゃないんですか」

「『獅子の牙』なんて大それた名前知らないわよ。似ても似つかないし。モンスターと戦うのが怖くて冒険者を辞めて、だからといって盗賊に身を落とすような悪辣さもない中途半端な奴ら。臆病者の集まりでしょ」

「ユキさん辛辣ですねぇ」


 そう言いつつも、リサも否定はしない。

 英雄や勇者、それとも一国一城の主になることか。田舎の若者が大きな大望を抱き、冒険者になることはありふれた出来事だ。

 刃の欠けたいかにも粗悪な剣を握り向かった初めての冒険。胸を躍らせていたのは最初だけで、戻ってきた時には理想と現実の差に打ちのめされる。

 死なないだけマシ。挫折から立ち上がるか、蹲ったままでいるかが冒険者としての資質の差。

 『獅子の牙』という張りぼて己を大きく見せる男達は、立ち上がらなかった者達だ。

 数を頼りに安全な町だけで威張り倒す。

 立ち上がり、戦い続けたユキからすれば、彼らは情けない臆病者でしかない。


「昔、数人でナンパしてきたから、ボコボコにしたのよ。大人数じゃなきゃ女に声もかけられないとか、情けないわよねぇ」

「一人で声をかけてきたら、デートぐらいしてあげたんですか?」

「するわけないでしょ。ぶん殴って終わりよ」

「結果、変わらない、ね」


 数を頼りに声を掛けてきた男達を、ユキは一人で血祭に上げていたのだ。

 いくら大の男が集まろうと、モンスター相手に戦い続ける冒険者と、初めての冒険で逃げ出すような者達では格が違う。

 結果、トラウマになったのか、彼らが町でナンパをすることはなくなっていた。

 記憶するのにも値しない、くだらない話だとユキは言う。


「で、その猫だか兎だか知らないけど、そいつらが何よ? なんかやったの?」

「うーん。大したことではないんですけど」


 何やら溜めるリサに、ユキとシュティルは訝し気な顔付きになる。

 そもそも何故そんな話を自分達にしたのか。

 不思議に思っていると、明日の朝食の献立でも話すかのように、リサはあっけらかんと口にした。


「女の子抱えたゲーベンさんが町中で彼らに追い掛けられているって報告が来たんですよ」

「……はぁああっ!?」

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