《番外》バレンタイン



「バレンタイン? それ何?」


『言うと思ったよ!』


 カルラが首を傾げると、通信機ごしのアカリの声が大きくなった。バレンタインデーとは好きな男にチョコレートを渡す日だとか、手作りすることもあるだとか、本命と義理があるだとか、熱く語り始めるアカリの説明を聞き流す。突然二人っきりで話したいというから何かと思えばそんな話かと、カルラは肩を落とした。相談事かと思ったのに、心配して損した気分だ。


「いや、魔族にそんな風習ないしさ……」


『魔族になくても人間にはあるんだよ! フィオネもルシアも知ってたよ。つまりニコルも知ってるはずだよ』


「うちに何か作れって言うてる?」


『言ってる』


「そう言われても、旅中やと調理器具も材料もあんまないしなあ」


『じゃあ買うのはどう? 町は? 近くにないの?』


 食い下がってくるアカリの声を聞きながら、カルラはため息をつく。ちょうど近場の町で食料を買い足したり、売れそうならナターシアから運んできた魔石や素材を売ったりしようと思ってはいた――が、用事が増えるのは面倒くさい。かといってただ却下しても、アカリは納得してくれなさそうだ。


「ほな近くの町で一緒に店入って選んでもらおか」


『違う、そうじゃない。一人で! 買ってきて! 二人っきりの時にあげるの!!』


「え、めんど……」


『恋人たちにとっては超重要イベントだからね!?』


 それはアカリ基準で重要だというだけでは――とカルラは遠い目をしたが、反論しても意味がなさそう、というより火に油を注ぎそうなのでやめておく。


「わかったわかった、考えとくって」


『考える気ないよね!?』


「はいおわりー、またなー」


 まだ何か言っているアカリの声を黙殺し、カルラは容赦なく通信を切った。なんであの子は恋愛の話になると、自分のこと棚に上げて他人の世話ばっかり焼きたがるんやろか、と考えながら。



   ◇



 目的地の町に入ることができたのは夕方だったので、カルラたちはいつもどおりの分担で別れた。ヤマトには馬を休ませられる場所に連れて行ってもらい、ニコルには宿の確保を頼み、カルラとユラは食料の買い出しだ。


 町を歩いていると、ピンクや茶色でたくさんのハートが描かれた看板やのぼりが目につく。あまり気にしたことはなかったが、思い返してみると毎年冬になるとああいった広告を見かけたような気もする。


「長、どうしはりました?」


「こないだアカリがな、好きな男にチョコレートをあげる日について熱く語っとったんやけど、あれかあと思うて」


 ピンクの看板の一つを指差すと、ユラの顔もそちらを向いた。アカリの話を覚えている範囲で説明すると、看板を見つめていたユラが何か考えるような表情になる。そんなユラを見て、カルラはユラの肩を軽く押した。


「よし、ヤマトに何かうてこか」


「あっ私はその、別に。ヤマトは甘いもの食べへんし」


「ええからええから」


 ユラの手を引いて店に入ると、店内は見事に女性客しかいなかった。しかも客のほとんどは二十代以下で、皆それぞれ浮かれた顔をしている。そんなに男に渡したいもんかねえと首をひねりつつ、店内の商品を眺める。近くにあったカラフルな箱の値札を見て、「高……」と思わず小声が漏れた。


 ユラは店の端の一角で立ち止まり、小さな特集コーナーらしきものを眺めていた。口を挟むのもどうかと思って見守っていたが、ユラが全く動かなくなってしまったので、ユラの傍に寄って彼女の視線を追ってみる。そこにあったのは〝甘いものが苦手な彼に!〟というポップと、ビターチョコやブランデーチョコの数々だった。


「……ええんちゃう?」


 そっと声をかけると、ユラは「でも、食べへんかもしれへんし……」と不安げにこぼす。長く二人を見てきたカルラとしては「ユラのプレゼントをヤマトが食べへんわけないやん?」と返したくなるのだが、贈る側としては不安になるものなのかもしれない。


 まだ二人が十歳になるより前。甘い豆を見よう見まねで作ろうとしたユラが失敗し、まだ固いわ甘すぎるわでかなり残念な代物が出来上がったことがあったのだが、ヤマトは何も言わずに平らげた。あのヤマトなら、苦手な甘ったるいチョコレートでも何でも、ユラのプレゼントである限り完食するだろう。カルラがヤマトに甘味を渡したところで、彼は一口も食べずにユラに横流しするだろうが。


「どれでもええと思うけど、気に入ったやつをうといで」


「長は何も買わはらへんのですか」


「えっ、……う、うーん」


 頭をかいてごまかし、ユラの肩を軽く押す。店の外に出てから、買い物は明日でいいからヤマトに渡してこい言うと、ユラは難しい顔になった。


「私がいると長が何も買えなさそうなので行きますけど、それは長の邪魔をしたくないだけであって、私はまだあの人とのこと認めたわけではないですから! いやその、長が幸せならええかとも思いますけど、やっぱり皆の長を突然人間の男に持ってかれるのはなんか納得できないっていうか!」


「ややこしくてわからん。ヤマトの用事が終わってまう前によ行け」


「……、はい」


 ユラを送り出し、彼女の背が見えなくなってから、


「他人の世話ばっかり焼いてどうすんねんって、うちもアカリのこと言われへんな……」


 とカルラはため息をつき、出てきたばかりの菓子店を振り返った。



   ◇



 待ち合わせに指定した町の外れにある公園に行くと、まだニコルしか来ていなかった。ニコルは公園の端にぽつんと置かれたベンチに座って本を開いている。もともと〝用事が済んだら集合〟というゆるい約束しかしていないし、ユラとヤマトはまだ来ないだろう。むしろゆっくりしてきてくれればいいと思う。


 日は落ちきっていないが、空気は昼間よりも冷たさを増し、植えられた木々や遊具が長い影を伸ばしている。カルラがニコルに近づくと、ニコルは本を閉じて立ち上がった。


「ユラはどうしました?」


「予定変更してヤマトんとこ行かせた。買い物は明日にするわ」


「そうですか」


「……で。ほい、これ」


 カルラは後ろ手に持っていた小さな箱をニコルに差し出した。手の平に乗り切るサイズの箱には、小ぶりのチョコレートが二粒入っているだけだ。たくさん買っても食べ切れないだろうと思ったし、なんとなく気恥ずかしかったので、これしか買えなかった。


「僕に、ですか?」


 きょとんと目を丸くして小箱を見下ろしたニコルを見て、やはりバレンタインとらはアカリが力説したほど有名でも重要でもないイベントではないのかと、カルラは首をひねる。


「いらんかったら、うち自分で食べるけど」


「あ、いえ、いただきます。ありがとうございます」


 はっとした表情をしたニコルが小箱を受け取る。


「微妙な反応をしてしまってすみません。まさかもらえると思っていなかったもので、その、びっくりしたというか……嬉しくて」


 ニコルが空いているほうの手の甲で己の頬を隠すようにしたけれど、そこにある赤みを隠しきれてはいない。急に落ち着かない気分になり、カルラも視線をさまよわせた。「あ、そう……」としか返せず、言葉に詰まる。ややあって、ニコルが手を下ろして笑った。


「お返しの品に希望があればどうぞ。指輪でもいいですよ?」

「指輪?」



 つけたことがないなと思いつつ、己の指に何かがはまっている様子を想像してみる。うーんと唸りながら、カルラは腕を組んだ。


「戦うときに邪魔ちゃう? あ、でもつけて殴るのはアリか? じゃあ攻撃力の高いやつ」


「武器じゃねえよ」


 真顔になったニコルを見て、カルラは「おっそうか?」と頭をかく。


「魔族には指輪を贈る慣習はないのでしょうか」


「うーん、ナックルをプレゼントしたいっていう相談なら受けたことあるな」


「武器から離れてもらっていいですか?」


 軽く睨まれてしまい、少し考えて、カルラはぽんと手を打った。


「あ、指輪いうたら防具か。すまんすまん」


ちげえよ。なんで発想が実用一辺倒なんだよ」


「ん?」


 カルラが首を傾げると、同じようにニコルも頭を傾ける。


「魔族は装飾品を身に着けないのですか?」


装飾品そぉーしょくひーん? ナターシアでそんなん着けてたら〝どうぞ殺しに来てください〟って言うてるようなもんやん。自分の強さを誇示するために、奪ってきた装飾品を見せびらかす奴なら昔に見たことあるけど。あ、待てよ、グリードはんが魔王になってからは知らんな」


「……………………、そうですか」


 ため息をついたニコルがベンチに座り直す。結局何だったのかカルラにはよくわからないが、何かを諦められたことだけはわかった。


 そういえば人間の商人は宝石や装飾品を扱っていたなと、昔聞いた話を思い返してみる。女性商人なら扱ってみないかと、取引を持ちかけられたこともある。ナターシアで装飾品や宝石が売れるとは思えなかったので断ったが。


(指輪……指輪……?)


 カルラは腕を組んで首を傾げる。そうだ、思い出してきた。人間は着ける指によって違う意味を持たせているのだったか。その話を聞いたときに〝人間の考えることはよーわからん。どの指にはめようが同じ輪っかとちゃうんかい〟と目が点になったのを覚えている。


 人間の商人が何種類かの指輪を見せてもくれた。小指に着けるナントカリング、恋人に愛の証として贈るナントカリン――グ?


(ん? さっきの流れで〝お返し〟って言うたらそういうアレ!?)


 一気に上半身の血が沸騰するような感覚に襲われて、カルラは両手を頬に当てる。外気は冷たいのに顔が熱い。心臓もうるさい。視線に気付いてそちらに目を向けると、ベンチに座って脚と腕を組んだニコルがカルラを見上げていた。


「……意味、やっと通じました?」


「えっ、いや、えっと……どうやろ……」


 今思い出した話を紐づけていいのか自信が持てなくて、カルラは両頬に手を当てたまま目だけそらした。十年以上フィオデルフィアで行商をしていても、いまだに人間の常識がわからなくて戸惑うことがあるからだ。多くの商人が支払いに使う〝手形〟を文字通り〝手の形〟と勘違いした頃よりはマシにはなったが。


「その反応を見る限りだいたい合ってると思いますけどね。とりあえず表情がよく見えないので、その手をどけてもらっていいですか?」


「こんなん見んといてくれる!?」


 慌ててニコルに背を向ける。しかしニコルは立ち上がってカルラの前に回り込んできた。


「そのうち慣れて照れなくなるでしょうから、今の間くらい見せてくださいよ」


「こんなん慣れるか……?」


「何十年も一緒にいたら、さすがに慣れるんじゃないですかね?」


 ニコルがカルラの頬に手を伸ばしてくる。頬を押さえていた手を軽く引かれ、カルラは迷いながらそれを離した。途端にニコルがふっと笑ったので、体温がさらに上がったのを感じて目をそらす。


 慣れるというなら早く慣れたいような、そうでもないような、複雑な気持ちになるのだった。



---

●おまけ●


『ねえねえカルラ、今日バレンタインだけど覚えてる? ちゃんと何かあげた?』


「いや、その……、アカリは? 今日どないしたん?」


『今は私が聞いてるの!』


「……、うーん、あんたが教えてくれへんならうちも言われへんなー」


『ええー? 私はねえ、とってもとっても大忙しだったよ。まず先週のうちからバレンタインとは何かを触れ回ったでしょ。ルシアにはトゥーリにチョコをあげるように説得して、その上でルシアに〝いいから作るな絶対買って〟って言い聞かせたでしょ、……そうだあれ大変だった……。それから、フィオネのチョコをジュリアスに届けるためにこっそりキルナス王国に行って』


「ちょっと待て、あんた一人でフィオデルフィアに来たって言うてる!?」


『あっ、いや、えっと、それはジュリアスにこってり絞られたからもういいの!』


「全然ようないんやけど」


『それで! 一番大変だったのはね、ディアドラからザムドにお菓子を渡させることだったよ。結局二人とも理解してくれなくて、ただ飴を食べて終わったんだけど……ホワイトデーにリベンジする』


「なあアカリ。うち、あんたの苦労話にはあんまり興味ないんや。結局あんた自身はどないしたん? 誰かにチョコあげた?」


『…………え? あれ? ――あっ!!』


「〝あっ〟て何やねん!」


『ちょ、ちょっと急用を思い出したから切るね!』


「……忘れとったな……」




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