08-12 新たな日常(4)
ルシアは馬車に揺られていた。
ネムが聖都から乗ってきたという四人乗りの馬車。ルシアが行きに乗せられていた馬車よりずっと豪華で椅子もふかふかしている。しかしルシアとアルバートが乗る前に教会の人が「このような粗末な馬車に王子殿下が乗られるなどと」とか何とか言っていたから、世の中にはもっと立派な馬車が存在するらしい。
ルシアの隣に座るネムは、馬車に乗るなり窓と自分の頭の間にやわらかそうなクッションを挟み、すやすやと寝始めた。今も寝息を立てている。向かいにはアルバートとラースが座っている。
アルバートは「君の身柄は俺が引き受けたから」と、最初はトロノチア王と同じ馬車にルシアを乗せてくれようとした。へえー王様かあと思っていたら、周りの人たちがやいのやいの言って却下になった。ネムもルシアと一緒がいいと主張したらしく、よくわからないうちにネムと同じ馬車に乗せられて今に至る。
初日に馬車に乗る前に、ラースと年配の男性から教団の人間がこんなところに連れてきて申し訳なかったと謝られたが、ルシアにはなぜ彼らに謝られたのかよくわからなかった。ラースも一緒に謝ってきた男性も、ルシアをナターシアに連れてきた人たちとは違ったから。それに連れてきてもらえたおかげで友達にもまた会えたし。
この二日間はルシアとネムとアルバートの三人で馬車に乗っていたのに、今日になって突然ラースが増えた。乗ってくるときに「マティアス司教様から代理で派遣されてきました。今日だけお邪魔します」と言っていた。
「で、アルバート殿下。ルシアちゃんの身柄の件でご相談なんですが、いかがです? 教団のほうで自宅まで送り届けることもできますよ」
ラースがアルバートを見下ろしてそんなことを言ったので、ルシアは二人に注意を向ける。アルバートはラースを見上げて腕を組み、首を横に振った。
「魔王の娘に頼まれたからな、このまま俺が引き受ける。そもそも教団の人間が彼女を拘束して連れてきたんだろう。任せられるか」
「ですよねー」
ラースがへらっと笑う。
「一応弁解しておきますけど、俺もマティアス司教様もルシアちゃんの件には関わってませんよ。それに教団で送り届けるとしたら担当はたぶん俺なんで、任せてもらえると俺がゴタゴタから逃げられて助かるんですけど」
「君の都合など俺は知らん。そもそも教団はどうする気だ。彼女はその、アレだろう?」
アレって何だろう、と不思議に思ってルシアは首を傾げる。しかし目の前で話す二人はルシアをちらっと見ただけだった。
「俺個人の見解としては十中八九そうですけど、教団としては女神のお告げなしに公に聖女を覆すのは無理でしょうね。ルシアちゃんは聖女の遣いだったってことにするか、ディアドラちゃんと一緒にいたのは聖女だったってことにするか、どちらかだと予想しています。後者の場合、異論が出ても見間違いで押し通すんじゃないですかね。あとは今回の聖女は二人ってことにするとか」
「そうか。俺個人で彼女を保護することも考えているのだが、いい名目がなくてな」
「まあ女神の加護がついてるので保護しなくても大丈夫じゃないかと。もちろん女神の加護も万能ではないですけど。ルシアちゃんも家に帰りたいよね?」
ラースが急にルシアに視線を向けてくる。きょとんとしたルシアは、「うん、帰るよ。ディアの手紙を受け取りたいもん」と言って首を傾げた。別れ際に告げたのは自宅のある町だ。帰らないと手紙を受け取れない。それに両親やトゥーリが心配しているはずだ。だよねとラースはまた笑って、アルバートに視線を戻す。
「あともう一件。トロノチア王のご様子はいかがですか?」
「そっちが本題か?」
「俺個人としてはルシアちゃんの扱いのほうが気になりますけどねー。ただ、今後のことを話し合わないといけないので、可能なら探ってこい的なことを言われまして」
「探ってこいと言われた割に、直球で聞いたな」
アルバートが苦笑気味に口元を釣り上げる。ラースは「だって面倒じゃないですか」と笑って肩をすくめた。肘掛けの上で頬杖をついたアルバートが外に目を向ける。ルシアも窓の外を見てみたが、街道の景色と、周囲を歩く教会の人たちが見えただけだった。
「正直俺もつかみかねている。これまでと変わらずご壮健でおられるし、基本的には問題なく見えるのだが、たまにふっと会話が噛みあわなくなることや、どう考えてもおかしいだろうと言いたくなる主張をされることがある」
「あ、すんなり教えてくださるんですね」
「俺も教団内に味方は欲しい。マティアス司教以外に言うなよ。他の司教の遣いなら話してない」
「もちろんマティアス司教様にだけお伝えします。うちの教皇様もそんな感じなんですよねー。あの人はもともとあまり喋らないので、違和感はそこまで強くないんですけど。うちは教皇様みたいになんかおかしくなってる人が多くて困ってます」
「何らかの魔法の効果が継続しているということはないのか?」
「うーん、その可能性も踏まえて何人かで見てますけど、まだ何とも。俺としてはもうこの際、教皇様には体調不良ということでご退陣いただいて、マティアス司教様が教皇をやってくんないかなーって思ってるんですけどね」
ラースが肩をすくめたのを横目で見て、アルバートがまたふっと笑う。
「そんなことを口にしていいのか」
「よくはないですけどー。ついでに言えば、トロノチア王国のほうもアルバート殿下に代わってくんないかなって思ってますよ。そしたら今の魔王とは平和にやりましょうって話も進めやすいでしょうし」
アルバートがぎょっとしたような顔をして、窓の外に目を向ける。「そんな台詞を誰かに聞かれたら不敬罪で処刑もありえるぞ」とアルバートが咎めるように言ったが、ラースは「誰も聞いてませんよー」と軽く流した。わたしが聞いてるのはいいのかなとルシアは思ったが、二人の話はよくわからない。トロノチア王国の王も、教皇も、ルシアにとっては知らない人だ。
「俺は王位は継がん。弟に任せる。あいつのほうが優秀だし、真面目で誠実だ。弟はいい王になる」
「残念だなあ。アルバート殿下は話しやすいのに」
「話しやすさだけで王に推すな」
へーそうなんだあ、と思いながらルシアはアルバートを見た。王子という立場も大変なのかなと、ぼんやり考える。
「君は教団の人間だが、魔王のことは信用しているのだな」
「まーそうですね。魔王の部下のお姉さんは可愛くていい人だし、ディアドラちゃんもいい子でしょ。ディアドラちゃんのお父さんならいい人だと思いません?」
「本人を知らない以上は何ともな。だが、今の魔王というのはナターシアからフィオデルフィアに俺たちを運んだあの男だろう。できるだけそっと降ろそうという意図は感じたな」
ディアのお父さんかあ、と、ルシアは何年も前に会った彼のことを思い出してみる。最初は魔力で顔が見えなくてびっくりしたけれど、話すときにルシアに視線を合わせて挨拶してくれた。「ディアと仲良くしてくれて、どうもありがとう」と言っていた彼は、娘想いのいいお父さんなんだろうなとルシアは思っている。
「それに、俺の同僚が――あ、慈愛の聖者って呼ばれてる奴なんですけど、ご存知ですか?」
「先日会った。破門になったと聞いているぞ。もう同僚ではないだろう」
「よくご存じで。そいつ、魔族や魔獣は全部敵だーってちょっと過激な思考の奴だったんですけど、不思議と魔王のことは信じているように見えたので。魔王が人間と不戦協定を結びたいと手紙をよこしたのを、各国に届けてたんですよ。人のためにやっているのであって魔王のためではないとか何とか本人は言ってましたけど、魔王が人の敵ではないと信じていなければやらないですよね。あいつが信じられたなら、俺も信じようかなって」
「魔王の書簡か。キルナス王国が騒ぎになったのを見て、うちの大臣たちがそれ見たことかと言っていたが」
ルシアには完全にわからない話になってきた。ネムは相変わらずぐっすり寝ているし、つまんないのと思いながら窓の外に目を移す。いつの間にか森に入ったようだ。木々が窓の外を流れていく。
外を見ていたら眠くなってきた。ふわと一つあくびをして、ルシアは窓に頭を寄せた。
◇
ジュリアスが食堂の扉を開けると、グリードとディアドラが座っていた。
ディアドラとアカリ。
グリードの娘が突然二人に増えて城の者たちも混乱していたが、数日経ち、新たな日常として定着しつつある。
グリードは食事に手を付けていないが、ディアドラは本を開きながらパンを食べている。アカリの姿が見当たらないので、グリードはアカリを待っているのだろうと思った。グリードがジュリアスに目を向けてくる。ジュリアスはグリードのそばまで歩み寄ると、口を開こうとした。が、
「遅くなってごめん!」
という声とともにアカリが部屋に入ってきて、ジュリアスはいったん口を閉じる。アカリは自分の席に座ろうとしたが、顔を上げることn読書と食事を続けているディアドラに目を移し、「あっ!」と大声を上げた。
「ちょっとディアドラ! それ、私の部屋にあった本でしょ!?」
「それがどうした」
「勝手に持ってかないでよ! さっきまでずっと探してたんだから」
「知らん」
「知らなくない。それはフィオネに借りた本だからダメ。汚れるから食べながら読むのもやめて!」
テーブルを挟んで言い合いをしている二人を見て、ジュリアスはため息をつく。
「……騒がしくなりましたね」
「ああ。だが、悪くない」
グリードが胸の前で指を組み、微笑を浮かべてディアドラとアカリの口喧嘩を眺めている。
「とにかく返して。読みたいなら同じ本を自分で買ってよ」
「うるさい。読んだら返してやる」
「だーめ!」
「あっ、返せ!」
アカリがディアドラから本を取り上げる。立ち上がったディアドラが、アカリから本を取り返そうと手を伸ばした。二人の体がテーブルにぶつかって、食器がガチャガチャ揺れている。スープもこぼれた。
「悪くはないが……少し困るな」
口ではそう言っているが、実際にはまるで困っていなさそうだ、とジュリアスは判断した。幸せだと、二人の娘を見つめる目が言っている。
ジュリアスは騒ぎ続ける少女たちに視線を向け、否定意見を返すのもなんだなと思い、そうですねと返答した。
(終)
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