08-12 新たな日常(1)


「心配かけたか? すまんすまん」


 ベッドの上で、後ろに両手をついて座ったカルラが明るい声でそう言うと、部屋の扉の前に立っていた二人――ユラとアカリが、ぽかんと口を開けたまま固まった。カルラが重症を負ってから、まだ二日しか経っていない。ニコルにはカルラがおかしいのか魔族の回復速度とはそんなものなのか理解しかねたが、二人の反応を見る限り、おかしいのはカルラなのだろうと思った。


「ほっ、本当だよ! 死んじゃったかと思ったんだから!」


 先に我に返ったらしいアカリが涙まじりの声でそう主張する。カルラの返答は「ごめんってー」とやはり軽かった。ユラが俯いてへたり込んだので、ニコルはユラに歩み寄って膝をつく。「立てますか?」と声をかけたが、ユラは顔を上げない。ユラがアカリに支えられて立ち上がる。ニコルも立ち上がって二人を押した。


「では面会は終わりです。はい、出た出た。カルラはもう少し寝ていなさい」


 部屋の外に二人を追いやり、無言で扉を閉める。


「追い出さんでもええやんか」


「いいから寝ろ」


 カルラの顔色は戻ってはきたが、元が酷すぎただけでまだよくはない。昨日一日高かった熱も引いたばかりだ。本音を言えばまだ面会許可など出したくない。誰かが部屋の戸をノックするたびカルラが無理に身を起こそうとするので、昨日までは〝面会禁止。呼ぶまで誰も入るなノックもするな〟と扉に張り紙をしていた。食事や水も廊下に置いておいてもらう形で受け渡しをした。


 それが皆の不安を煽ったらしい。ニコルは外に出るたび質問攻めにあい、カルラも心配しているだろうから顔を見せるくらいはしておきたいと言うので、特別うるさかった二人だけを呼んだのだった。


 コンコン、と扉が控えめにノックされる。あとにしてくれと言おうとしたが、先にカルラが「入ってええぞー」と扉の向こうの誰かに声をかけた。よくねえよ寝ろよ、と考えながらニコルはカルラを軽く睨む。静かに扉が開いて、顔を覗かせたのはジュリアスだった。


「カルラ様、お加減はいかがでしょうか」


「どーってことないぞ。心配すんな」


 部屋に入ってきたのがジュリアスだった、というのはニコルにとっては意外だった。ジュリアスはカルラの容態について一度聞いてきただけだったし、何より彼は今回の事後処理で忙しい。カルラに目を向けたジュリアスがほっと息を吐いたのを見て、やはり意外に思った。通信機越しに聞いてきた彼の冷静な口調や魔族であるということから、彼は命を数で見るタイプかと思っていたが、そうでもなさそうだ。


「……救援を送れずすみません。カルラ様が苦戦されているのはずっと聞こえていたのですが」


 沈んだ声でそう言って、ジュリアスは視線をさまよわせた。カルラはバツが悪そうに微妙な笑みを浮かべる。


「あー……もしかしてジュリアスさあ、うちがリドーにボコられてる声、全部聞いとった?」


「……はい」


「恥っずかしいわー、さっさと忘れてくれる?」


 カルラは軽い口調でそう言ったが、ジュリアスは小さな声ではいと答えただけだった。あの時カルラには、胸以外にも手足や胴体に切り傷や刺し傷がいくつも刻まれていた。ただ、それらはそれなりに深くはあるが致命傷というほどでもないものばかり。相手を倒すことよりも、痛みを与えることを目的としたものばかりに見えた。


 双剣使いのことだから、間違いなく笑ってカルラをいたぶっていたのだろう。あんなの弄ばれたような、拷問を受けたようなものではないのかと、カルラを治療していたときに覚えた怒りがまたわきあがってくる。多数の傷をつけられたカルラは、胸の傷を受ける前にも少しずつ弱っていったはずだ。その時のカルラの声をジュリアスがずっと聞いていたのだとしたら。


 ――それは、精神的に堪えるな。


 と、そう思った。ニコルと合流したあとのジュリアスは、急いで化け物を片付けてグリードとニコルを送り出してはいたものの、見た目には変わらず冷静に見えた。誰かの弱っていく声を聞きながら冷静でい続けられる自信はニコルにはない。それにカルラの「もう終わりたい」という台詞も彼は聞いていたのではないかと思った。


「坊んー、らしくないぞー」


 カルラのからかうような声に、ジュリアスが視線をカルラに戻した。カルラは相変わらず笑っている。


「あん時にグリードはん以外が来ても怪我人が増えるだけやったやろし、そもそもうちは救援なんか求めとらん。ジュリアスが気に病む必要なんか何もないわ」


 やや間があって、ジュリアスは「……失礼します。ゆっくりお休みください」と頭を下げる。ジュリアスが退室した途端、カルラが倒れ込むようにベッドに横になる。カルラが疲れたような息を吐くのを見て、ニコルは枕元まで早足で歩み寄ると、短く問うた。


「体調は」


「めっちゃ頭痛い……あと気持ち悪い……」


「目を閉じてさっさと寝ろ」


 だから面会はまだやめろと言ったのに。あれだけ出血すれば、傷を塞いでも重度の貧血になって当たり前だ。苛立ちを息に乗せて吐き出してから、ニコルはベッドの脇に置いていた椅子にどかっと腰を下ろす。組んだ足の上で頬杖をつき、窓の外に目をやった。


 カルラがニコルには体調の悪さを素直に言うようになったのはいいことだが、それを他の者たちにも広げるにはどうすればいいのだろうと考える。誰にも弱みを見せないのは、誰のことも頼らないのと同じことだと思うから。


 ニコルに体調を素直に告げてくるようになったのは、二人の距離が縮んだから――ではなく、魔力を見れば体調不良はわかるので取り繕うだけ無駄だとニコルが言ったからだ。真っ赤な嘘だが、カルラは疑わなかった。


 カルラが白い炎を受けたときは魔力もダメージを負っていたから、回復したかどうかは見ればわかった。だが魔力が全快している今は、はっきりとはわからない。


 そもそも魔力の様子なんて精神的なゆらぎの影響も受けるし、実のところあまり当てにならない。ニコルはカルラの顔色や表情、ちょっとした仕草から判断しているだけだ。


 じっと見られていることに気がついて、ニコルはカルラを見下ろした。


「何ですか?」


「ニコルさあ、うちが怪我してからずっと怒っとる気がするんやけど、気のせいかなあ」


「はあ、いろいろ怒ってはいますけど、その話は体調が戻ってからでいいですよ」


「気になるから今言うてほしいんやけど……」


「頭痛がする人に話すことではないと思います」


「心当たりはあるけど、とりあえず言うてよ。気になって寝られんやん」


 ニコルは態度に出しすぎたことを反省したが、後の祭りだ。どうしようか少し迷ったが、気が休まらないと言うなら軽い話だけしておくかと考え、ニコルは腕を組んだまま笑みを浮かべた。


「まず、他の人に会うのは体調が戻ってからになさい。またしばらく誰も部屋に入れないことにします。いいですね」


「うん」


 本当にわかっているのだろうかと疑いたくなったが、それ以上はやめた。青い顔をして寝ている相手に長々と説教するものではない。


「それから昨日、あなたがうなされていたので手を握ってみたところ、〝にいやん〟と甘えた声で言って静かになりまして。誰と間違えてんだとイラッとしました」


「え、ごめん。覚えてへんけど、たぶんうちの兄ちゃん……」


「まあ別に、僕が一方的にあなたに想いを寄せているだけですので、謝っていただく必要も弁解いただく必要もないですけど。嫉妬でイライラしています。態度が悪くてすみません」


 無言になったカルラに、「終わりです。寝なさい」と告げる。カルラは一度目をそらしてから、「そんだけ?」とまたニコルを見上げてきた。ニコルが怒っている理由に心当たりはあると言っていた。カルラの言う〝心当たり〟が、何を指しているかニコルにも想像はつく。体調が悪いときにする話ではないと思ったから触れなかったのに。


「その話、本当に今聞きたいですか?」


「いやー、とりあえず怒られとこかなって」


「ひとまず相手の怒りを吐き出させておこう、というところに反省の色が見られませんね。改善しようという気持ちも感じられません」


「ご、ごめんって」


 ニコルは長い息を吐いてから、カルラを軽く睨んだ。

 

「僕には〝もう終わりたい〟なんて言っておきながら、ユラが来た途端に目に光が戻ったのも腹立たしいですが、それは僕の嫉妬ですので謝っていただく必要はないとして」


「いや、それはその、あの子らは面倒見たらなあかんけど、あんたは違うやん……」


「立つのも難しいはずの体で双剣使いのもとに向かったことに一番怒っています。あの時、あと一撃でも受ければ今度こそ命はないと、理解できなかったわけではないでしょう」


「……うん、心配かけてごめん」


 心配をかけたことは謝っても、行動そのものは謝らないんだなと思った。もう少し自分を大事にしろとはニコルには言えない。ニコルにも自身の損害を厭わないところがあるからだ。即死さえ避ければ自分で治せると、他人が傷つくほうが嫌だと思っている。だから言わない。

 

「それから〝もう終わりたい〟ってなんですか? ああいう生きるか死ぬかの際では、生きようとする意志の有無が結果を左右することもあるんです。僕が何度蘇生魔法をかけても、すぐに生を手放そうとするあなたに、僕がどれだけーー」


 ニコルは言葉をそこで止め、手を強く握りしめた。違う、こちらの気持ちを押し付けるべきではないと思い直して。しかし「ごめん、もう言わん」と目を伏せたカルラに、「〝もう言わない〟と〝もう考えない〟は違うんですよ」とつい反射的に返してしまった。


「別にいつも考えてるわけとちゃうし、何か行動起こすわけでもない。迷惑はかけん。ほっといてや」


「放っておけません」


「なんでよ」


「あなたが好きだからです」


 びくと反応したカルラが目を開け、微かに頬を赤くして視線をさまよわせる。


「そ……っ、の、話は断った」


「あなたの体質と僕の年齢を理由にされていましたが、僕は納得していません。じゃあ何ですか? その理屈だと、僕が老いてからなら受け入れてくれるんですか? それなら四十年でも五十年でも待ちますよ」


「そういうことやない。なんでよ、あんたええ男やん。うちなんか相手にせんでも、他になんぼでも選べるやろ」


 ……ん? と引っかかりを覚えてニコルは首を傾げる。超がつくほどの童顔で背も低いニコルは、女性から男として扱われたことがない。子供にしか見えないとか可愛いとか言われたことなら、不本意ながら多々あるが。いや、一度フられているわけだし、カルラのことだからさして考えて発言しているわけではあるまいと、動揺を振り払う。


「そもそもですね、告白しただけで生涯まで考えるとか重いです。もともと聖職に一生を捧げる気でいましたし、考えていただく必要ないですよ。軽い気持ちで付き合いませんか」


 どうしてこんな話をしているんだっけな、とも、気持ちを押し付けるのはよくないと考えたばかりなんだけどな、とも思いつつ、話し始めてしまったものを止められもしなかった。ニコルはまっすぐにカルラを見つめたけれど、カルラは視線を返してはこない。ぼそっと呟くようにこぼした。


「あんたが死ぬ前にうちのこと殺してくれるんでなければ嫌や」


「だから重いっつってんだろ」


「う……」


 カルラが毛布の端を握ったのが視界の端に映る。やはりカルラはニコルに視線を向けてはこず、強く目を閉じていた。


「嫌や……うち、あんたのこと気に入っとんのや。これ以上仲良うなったら、失ったときに耐えられへん……」


 それはどういう意味なのだろうと、ニコルは目を丸くする。元々の話題からは完全にそれたし、体調の悪いカルラはいい加減寝かせるべきだと理性が言う。しかしカルラが元気になればまたフィオデルフィアに戻るのだろうし、そうなるとユラとヤマトが常に一緒で、二人になるチャンスなどほぼなくなる。今を逃すと確認する機会はもう巡ってこないのでは、という気がした。

 

 ニコルは椅子から立ち上がると、カルラの頭のすぐ横に手をついた。カルラの上にニコルの影が落ちる。目を瞬いたカルラが見上げてきたので、ニコルはその瞳をじっと覗き込んだ。


「今のがどういう意味か教えてもらえますか?〝いい男〟だの〝気に入ってる〟だの言われたらうぬぼれますよ。あなたも僕に、少しは想いを寄せてくれているのではないかと」


「違……わん、けど、あんたはもっと、普通の子探せや」


 ――違わない、のか……?


 再び目を丸くしてから、心の動揺を鎮めて、ニコルはカルラを見つめる。


「それが僕への気遣いなら、逆に邪魔です。僕は普通の女性ではなく、あなたが欲しい」


 カルラの髪に触れてみる。拒否はされなかったが、カルラは眉を寄せて視線をそらした。


「確かに僕はあなたと同じ時間は生きられませんが、だからって今の気持ちまで否定しなくてもいいでしょう? 案外あなたのほうが先に死ぬかもしれませんし、数カ月後には僕の顔も見たくないほど大嫌いになっているかもしれませんよ」


「……」


「タイムカプセルとして手紙を埋めるのはどうですか? 手紙なら、僕が死んでからも会えますよ」


「文字だけやんか」


「何もないよりいいでしょう?」


「嫌や、そんなんじゃ足らん。声かって聞きたいし、触りたいって思うやん。余計さみしくなる」


 カルラがぱっとニコルを見る。縋ってくるようなカルラの視線を受けて、衝動的にニコルはカルラの頬に手を添えた。


「え、なに」


「それはつまり、どこまでなら触れていいのかなと思いまして。キスしていいですか」


 少し顔を寄せてみる。カルラの顔が赤く染まっていくのを、可愛いなあと思いながら眺めた。


「ちょっ、待っ、手え早ない!? 確かにうちも好きやて言うたようなもんやけどっ」


「嫌ならちゃんと抵抗なさい。僕は腕力ではあなたに敵いません」


「うちの力で何かしたら怪我さすやん」


「即死しなければ自分で治すのでお気になさらず。急所だけ避けていただければいいですよ。どうぞ」


「でも……その……」


 カルラの手がニコルの服の袖をぎゅうと握る。しかしその手はニコルを押してはこない。視線をあちこちうろうろさせているだけだ。


「……いいんですね?」


 ややあって、強く目を伏せたカルラが小声で言う。


「寿命より前に怪我して死ぬんだけはやめてや」


「天命の尽きるまで、あなたの隣に在り続けると誓いましょう」


 ニコルはふっと笑ってそれに答えた。また間が空いて、不安げにそろりと目を開けたカルラが頷く。カルラの目を真っ直ぐ見つめてから、ニコルは己の唇をカルラのそれに重ねた。


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