08-11 決着(2)


 地面に隠されていた魔法陣が黄色く光るのを目にし、ジュリアスは同じ位置に設置しておいた別の魔法陣を起動した。ジュリアスが準備しておいたのは中にいる者を閉じ込める、捕獲用の魔法陣だ。


 転移してきたカリュディヒトスが魔法陣の中に入ったのを確認し、ジュリアスは通信用の魔道具を起動した。


「私のほうに出ました。ザークシード様はこちらへ。他の皆は城に戻ってください」


 状況を理解したらしいカリュディヒトスがジュリアスを睨みつける。ジュリアスは「いつまでも出し抜けると思わないでくださいね」と言って眼鏡を押し上げた。 


 転移魔法は行ったことのない場所に飛ぶことはできない。その理由は、事前に転移先に魔法陣を設置しておく必要があるからだ。転移先の魔法陣を壊されてしまうと発動に失敗するし、移動距離を長くすればするほど消費魔力が爆発的に増える。長距離を移動するなら短く刻むのが現実的だ。効率のいい魔法とはいえず、制約も多いので、考案した父ですら「飛んで移動するほうが楽だよ」と言って使わなかった。


 ナターシアとフィオデルフィアの間を転移で移動するのであれば、できるだけ二大陸の距離が近い位置から飛ばなければ魔力消費が激しすぎる。そんな場所は限られるので、この約三年の間にカリュディヒトスがナターシア側に設置したと思わしき魔法陣はいくつか見つけてあった。ナターシア側のどこにいるにしても、フィオデルフィアに転移するために一度はナターシアの端の魔法陣を経由するはずだと踏んだ。


 あえてカリュディヒトスがナターシアに来るであろうタイミングは何もせず、事が片付いて逃げる時を狙った。来るときに無事使えた魔法陣なら油断するだろうと思えたからだ。


「……貴様らは、親子揃って儂の邪魔をする」


 苦々しげに呟かれた言葉を聞いて、ジュリアスは動揺しかけた心を落ち着けてから口を開く。


「どういう意味です? 父がグリード様と共に先代を倒したことですか? それともナターシアの結界のことですか?」


 カリュディヒトスは鼻を鳴らすだけで答えない。間違ってはいないだろうし、父のことを今更問い詰めても何にもならない。それよりも今の目的を聞くべきだ。


 そう己に言い聞かせたのに、


「貴様の父が最後に何の研究をしていたか知っているか?」


 カリュディヒトスのその問いに、また心を乱された。父の最後の研究をジュリアスは知らない。気になって研究室のノートやメモを読み漁ってみたことはあるし、皆にも話を聞いてみたが、結局ナターシアの結界関連としかわからなかった。


 母やグリードですら知らない父の研究をカリュディヒトスが知っているということは、父から聞いたかメモか何かを見たか、そのどちらかだ。父がカリュディヒトスに語るとは思えない。それならカリュディヒトスは、誰も知らない父のメモを見たということだ。


「それを知っているということは、あなたが父を殺したのですか?」


 ニコルに指摘されるまでもなく、昔から違和感はあった。机に座って死んでいたはずの、考えるときはとにかく紙に書きなぐる癖のあった父の最後の研究メモが、どうして一切残っていないのだろうと。ただその疑問をジュリアスは口にはしなかった。父が死んだ直後、母やグリードがひどく泣いていたことが強く印象に残っていたからだ。死の原因を調べる手段もないのに疑念だけ提示しても、彼らの心を乱すだけで何にもならないと思った。それでもニコルから改めて父の死について問われ、動揺はしたけれど。


 ふん、とカリュディヒトスが鼻を鳴らす。


「貴様の父はな、ナターシアの結界を応用して、ナターシアにあふれる魔素を地中に閉じ込める方法を模索しとった」


「魔素を……ですか」


 ジュリアスはかつて父から聞いたことがある。人間も魔族も元は同じ種だったと。ナターシアに溢れる魔素が、ナターシアに住み着いた者たちを徐々に変質させた結果、魔族と呼ばれるに至ったのだと。


 逆に魔素がなければ人と魔族はその差を失うのではないかと、父はそう考えたのだろう。魔素を地中に閉じ込めたところで、種として定着したものがすぐには変わるはずはない。それでも一つの手段として考えていたのだろうと思った。父はグリードと同じく、人も魔族も共に生きる世界を作るという、途方もない夢を追っていたから。


「魔族を人にするなど、馬鹿馬鹿しい。なぜ魔族が劣等種なんぞに合わせてやらねばならぬ。あのような脆弱な種は、魔族が支配してしまえばよい!」


「随分古い、化石のようなご意見ですね」


 ジュリアスはため息をついて目を伏せる。昔はカリュディヒトスのような意見は珍しくなかったと聞いている。むしろ力の強さで全てを決める魔族にとって、弱い人間を下に見る意見は主流ですらあった。過去の魔王の中には人を支配することを目的としてフィオデルフィアに侵攻した者も少なくない。


 しかしグリードが魔王になる少し前から、人の世の発展を認める魔族も出始めた。特にグリードが魔王になってからは、父とグリードが人の作り出した魔道具や技術を少しずつ取り入れてきたし、父が死んでからはジュリアスがそれを引き継いで進めている。十代以下の若者たちはかつての魔族ほど人を見下しても敵対視してもいない。


 確かに人間の戦闘能力は高くない。しかし、さまざまなことに工夫をこらして生きている。人間の書いた本を読むたび驚きを感じる。細かな学問体系や、独特なアイデア、技術、考え方。それはナターシアにはないものばかりだったから。父が集めた本以外にも、ジュリアスはカルラに頼んで様々な分野の本を買い求めて読んできた。

 

 魔族はもっと人を知り、学ぶべきだ。人には人の、魔族には魔族の強みがあるのだから、互いの良さを活かしつつ共に生きられればいい。父とグリードの、幼い頃に憧れた二人の夢が叶えばいいという意味ではなく、ジュリアス自身の願いとして、そう思う。そしてその思いは、フィオネやレオンと交流を重ねるうちにさらに強くなっている。


「若造どもは、いつも夢ばかり語りおる」

 

 はん、とカリュディヒトスが鼻を鳴らす。彼と議論しても時間の無駄のような気がして、ジュリアスは反論するのをやめた。それよりは話をもとに戻そうと、息を一つ吐き出す。


「先ほどあなたの語った、人を魔族が支配する構図の形成があなたの目的ですか?」


 ジュリアスにとってその問いは質問ではなく確認だ。カリュディヒトスが最終的にこの争いをどこに着地させたいのか、ずっと疑問だった。だが先の彼の言葉で、これまでのカリュディヒトスの行動が腑に落ちたのだ。人を魔族が支配するのなら、その頂点は魔族の王でなければ構図としておかしい。ずっとカリュディヒトスが人と魔族の対立をあおっているように見えたが、グリードが人間たちと戦わなければならない状況を作り出そうとしていたのだとすれば、納得はできる。くだらない、とも思うけれど。


 カリュディヒトスはやはり鼻を鳴らすだけで答えない。苛立ちを感じたが、違うなら違うと彼なら言うだろう。感情を乱すのはカリュディヒトスの煽りに乗るだけだ。もういい。最低限、聞くべきことは聞いた。これ以上は意味がないと理解している。それでもなお、ジュリアスは問いを重ねてしまった。


「先の質問の答えをまだ頂いていません。父を殺したのはあなたなのですか?」


 わかっている。今更それをはっきりさせることに意味はない。理解しているはずなのに、カリュディヒトスが父について触れた時から、ずっとジュリアスの頭の中に幼い頃の情景がちらついている。


 研究室で机に向かう父の背中を眺めるのが好きだった。集中している時はジュリアスが話しかけても一切返事をしない父だったが、一通り思考を終えたあとは、新たに生み出したものをいつも語ってくれた。その時間が、子供の頃のジュリアスにとっては宝物のようで、大好きだった。大好きだったのに。


 カリュディヒトスが顎を上げてふんと笑う。その反応に、ジュリアスは両手を強く握った。


「ああ、そうだとも。ついでに机の上と周囲に散らばっていたメモの類は、全て儂が燃やしてやった」


「……っ」


 奥歯を強く噛み、ジュリアスはカリュディヒトスを睨みつける。魔力によって生み出された風が、ジュリアスの周囲に小さな竜巻を作り出す。カリュディヒトスは捕獲用の魔法陣から動けない。風の刃なら、事を済ますのは一瞬だ。


「よせジュリアス!」


 腕を前に出しかけたジュリアスの肩を、後ろからザークシードがつかんだ。いつからザークシードが背後にいたのかジュリアスにはわからない。頭に血がのぼっていた証拠だと冷静に分析する一方で、ジュリアスはザークシードの手を振り払おうとした。


「止めないでください。あいつは父の仇です!」


「わかっている。途中からだが、聞いていた」


 ジュリアスを見つめるザークシードの目にも、怒りの炎が燃えている。それに気が付いて、ようやくジュリアスの頭が少しだけ冷えた。


「ジュリアス、この魔法陣はお主が離れても構わんのか?」


「はい。問題ありません」


「ならば後は私が引き受ける。お主は城に戻れ」


「お断りします。いつまでも子供扱いしないでください。私もザークシード様と同じく、一人の将です」


 ジュリアスはそう言って、己の肩をつかんでいるザークシードの腕を強く押す。ザークシードは少し困ったように薄く笑った。


「子供扱いする気はないが、友人夫婦の大事な一人息子の手を汚させるわけにはいかんな。理由はどうあれフルービアが知ったら悲しむ。下がれ」


 母の名前を出されてジュリアスは言葉に詰まった。敵討ちなど望む両親ではない。それに、ジュリアスが直接手を下したのだと知ればおそらく母は疑問に思う。その疑問から真実に辿りついてはほしくない。父は病死したのだと信じて疑っていない母を今更動揺させたくなかった。父の死から立ち直るまでに母は数年を要したのだから。ジュリアスが目をそらすと、ザークシードはジュリアスから手を離した。


「……せめてここで、見届けさせてください」


「わかった」


 ジュリアスが三歩下がるのと入れ違いに、ザークシードが前に進み出る。ザークシードが背負っていた斧を握るのを、ジュリアスはただ黙って見ていた。


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