08-10 父と娘(4)
「……あれ?」
視界が白く染まったのは一瞬で、目を瞬いたらお父様がすぐそばにいた。私の手首をお父様がつかんでいる。
なんか変だ。自分の体を見下ろすと、さっきまでの土人形ではない。ディアドラの体に戻っている。女神は私をディアドラの体に戻すと言ったけれど、私はそのあと別のお願いで訂正したつもりだった。でも女神は私の願いを叶えてくれると言っていた。
と、いうことは――
「……なんだこれは」
すぐ後ろから高い声がして、振り向くとディアドラが浮いていた。私よりちょっと小さい。これはもしかして、私がこの世界で目覚めた時点の、十歳のディアドラなの?
「ディアが……二人?」
お父様がぽかんとした表情で私たちを見比べ、私から手を離した。ディアドラが私を睨みつける。
「ふざけるな! 私は私一人で十分だ!」
ディアドラが私に手の平を向けてきたけれど、蝋燭の炎みたいな火がぽっと生まれて消えただけだった。驚いた様子のディアドラが自分のステータス画面を開く。ディアドラの後ろに移動してステータス画面を覗き込み、表示が想定どおりであることに安心した。
「れっ、レベルが一ってどういうことだ!? お前の仕業か!?」
「私じゃなくて女神の仕業だよ」
「はあ!?」
女神に頼んだのは私だけど。
ディアドラを封印するなんてお父様が望むはずない。でも魔王になる直前のディアドラをすぐに説得するのも難しいと思ったから、私はこう願ったのだ。ディアドラの魂はそのままで、レベルを一に戻してって。そうすればいくらディアドラが暴れたって、お父様に傷なんてつけられないだろうから。
お父様は以前よりよく笑うようになったし、ジュリアスのおかげで特別忙しくもない。カリュディヒトスが近くにいない今なら、時間をかければ関係を再構築できるんじゃないかって思った。だって、優しいお父様とお母様の間に生まれた子供が根っからの魔王だなんて、そんなことがあるだろうか? 私は違うと信じたい。
「女神なんか知るか! お前は消えろ!」
ディアドラが私に手を伸ばしてくる。でもその手が届く前に、ディアドラの羽がしゅっと縮んだ。
「!?」
「ディア!」
落下を始めたディアドラを、お父様が受け止める。そうか、レベルが低いってことは魔力も少ない。魔力が切れたら飛べないということを忘れていた。
お父様もザムドも森の中に降りていったので、私も三人のすぐ近くまで下がってみる。地面に降ろされたディアドラは、腕を組んでそっぽを向いていた。
レベル一で魔力まで切れたらできることはないから、ディアドラはしばらくこのままでも大丈夫だ。でも私はどうしよう? ディアドラの体に戻されるなんて思っていなかったから、何も考えていない。
不意にお父様が私を見上げてきて、つい目をそらしてしまった。逃げられもせず近づけもせず困っていたら、私に歩み寄ってきたお父様が、私の両手をとった。
視線をお父様に戻すと、優しいエメラルドの眼が私をまっすぐ見つめている。
「君の名前を教えてくれるかい?」
――名前。
私の、名前。
そうだ。もう魔法は解けたんだから、私は私に戻らなきゃ。泣きそうになったのをどうにかこらえて、無理矢理笑った。
「……あかり。
「ヒノ?」
「灯だよ。私の生まれた国ではね、ファミリーネームを先に言うの」
あかり、と私の名前を舌の上で転がして、お父様は少しだけ首を傾げた。
「アカリ。それでその……私は君のことも、私の娘だと思っていいのだろうか」
「……いい、の?」
いいのかな。まだ、お父様の娘でいても。私はこの世界の住人ですらない、真っ赤な他人なのに。
目を瞬くと、お父様がふわりと微笑んだ。
「いいも何も、許可を求めているのは私のほうだよ、アカリ」
「お父様……っ!」
お父様の首に飛びついて、手を回す。ぎゅっとしがみつくと、お父様は小さな子供でも抱くみたいにして、私の背中をなでてくれた。涙が滲んできて目から溢れかけたけれど、お尻を下から蹴り上げられたせいで止まった。
「おい、勝手に決めるな。どけ」
ディアドラが私のお尻をげしげしと蹴っている。でもさすがレベル一の蹴り、全然痛くない。押されてるなあって感じる程度だ。
「それはヤキモチなの?」
「? モチとは何だ? 私は何も焼いていないぞ」
不可解そうな顔になったディアドラを見て、はてと首を傾げる。この世界にはヤキモチという言葉はないんだろうか。そういえばヤキモチって言葉は、どうして餅を焼くんだろう。
「餅を焼くわけじゃなくて、えーと、言い換えると嫉妬ってこと。私がお父様に抱っこされているのが羨ましいんでしょ」
「は!? 羨ましくなどない!」
ディアドラは眉を吊り上げたけれど、お父様は私を片手に移して、空いたほうの手でディアドラをひょいと抱き上げた。
「そういえば、あまり抱いてやったこともなかったな。ディアはすぐ逃げるから」
「下ろせ! 羨ましくなどないと言っている!!」
お父様の腕から逃れようと暴れているディアドラの顔がちょっと赤い。お父様のことも私のことも手の平と靴底でぐいぐい押してくる。
これは照れなのか? それとも本当に嫌で怒っているのか? やっぱりわかんないな……。ディアドラの態度を読み解けなくて悩んでいたら、ザムドが私たちを見上げてにっこり笑った。
「よくわかんないけど、ディアが嬉しそうでよかったな!」
「嬉しくなどない!」
そうか、ザムドにはディアドラが喜んでいるように見えるのか。じゃあやっぱり、ディアドラは素直になれないか、自分で自分の気持ちを理解できないだけなのかな? 私にはディアドラの態度を読み解けないけれど、ザムドは他の誰よりディアドラと長く接してきたし、正解に近そうだ。
「だいたい私は許したわけではないぞこの駄犬!」
「だけんって何だ?」
「バカ犬ってことだ!」
「俺、犬だったの?」
「そういう意味ではない!!」
きょとんとしたザムドに向かってディアドラが腕を振り上げたけれど、振り下ろされた腕はザムドに届かなかった。
ふっとお父様が笑って、私たちを地面に下ろす。立った途端、視界の真ん中に白い紙が降ってきて、反射的に手に取った。紙には〝ディアドラの再教育を選んだのはあなたなので、最後まで面倒見てくださいねえ。あとはお願いしますー〟と書いてある。
ええ、そういうこと!? 送り主の名前は書いていないけれど、こんなの女神に決まっている。
まだお父様の娘でいられるってことは、ディアドラは私の妹ってことになるのかな。それなら確かに面倒を見なくては。だってお姉ちゃんなんだから。ふふっと笑みを浮かべていたら、ディアドラが「私の姿で変な顔をするな」とまた私を蹴ってきた。
「さて……ディア、アカリ、ザムド。三人は先に城に戻っていなさい」
「お父様は?」
「私は、まだ仕事が残っている」
そう言ってお父様が森に目を向ける。そうだ、まだカリュディヒトスが残っているし、リドーだってどこに行ったのかよくわからない。
「私も一緒に行こうか?」
戦うのはやっぱり怖いけれど、お父様が心配だ。
そう思ったけれど、
「いや、ここからは大人の仕事だ。アカリは、ディアを城に連れ帰ってくれないか」
「……うん、わかった」
お父様がちょっと怖い顔で森を睨んだように見えたから、大人しく引き下がることにした。お父様はリドーより強かったし、何よりレベル一になったディアドラは、カリュディヒトスたちが手を出せないようにちゃんと連れ帰ったほうがいい。ザムド一人に任せるのはなんとなく不安だ。
勝手に決めるなとかなんとか言っているディアドラの胸をがっしり捕まえて、私は羽を広げた。
あれ? もしかして、お父様の娘が二人に増えたこの状況を、私が城の皆に説明しなきゃいけないの?
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