08-10 父と娘(3)
ザムドには「私が攻撃されたら守って」とだけ頼むことにした。難しい作戦なんて私にもザムドにも無理だ。
羽を広げて飛ぶ。ディアドラの背後に回り込みながら近づいていくと、ディアドラは私をちらっと見た。一筋の炎が襲ってくる。ザムドを信じて飛ぼうと思ったものの、つい体を強張らせて止まってしまった。ザムドが私の前に出て、炎を下から突き上げるようにして殴る。
「いってー!」
ザムドは慌てて拳を引いたけれど、炎は向きを逸らされて遥か上に飛んでいった。ディアドラがはんと鼻を鳴らす。
「ずいぶんと飼い慣らされたようだな、お前もその盗人がいいのか?」
「?? 何の話だ?」
女神に聞いてくればよかった。ディアドラが封じられていた剣を掘り起こしたカリュディヒトスは、ディアドラにまた余計なことを吹き込んだんだろうか。
「話を聞いて! カリュディヒトスが何言ったか知らないけど、あいつの言うことなんか嘘っぱちだから!」
「あいつから嘘を聞いたことはないがな」
そんなはずないと返しかけて気が付いた。女神にさっき聞いた、ゲームの時間軸でカリュディヒトスが言ったという〝愛されていない〟なんて台詞は嘘だって断言できる。でも今のディアドラはその台詞をまだ聞いていないかもしれない。いや、聞いていたとしても、嘘だって気がつかないかもしれない。
昔のディアドラの記憶を辿ったとき、カリュディヒトスは確かに嘘は言わなかった。話題選定には悪意や誘導の意図を感じるけれど、カリュディヒトスが語ったのは本当のことや質問だけ。カリュディヒトスがあえて直接的な言い方や嘘を避けてきたのは、ディアドラの信用を得る意図があったんだろうか。肝心なときに、決定的な嘘を信じさせるために。
ディアドラがまた私の方に炎を投げてくる。でも炎は私の前に飛んできた氷とぶつかって消えた。舌打ちをしたディアドラが振り返る。ディアドラの向こう側にはお父様が浮いていた。
ディアドラの周囲だけ嵐が起きたように炎が暴れ始める。ディアドラの周りを飛び回っていた炎は、お父様に向かって伸びた。お父様は氷で相殺させていくけれど、ディアドラの炎が大きくなるにつれてお父様の作り出す氷も徐々に大きくなる。お父様の氷の壁をディアドラの炎が貫通したのを目にして、血の気が引く思いがした。
「すっげーな! 俺たちも参加しようぜ!」
目をキラキラさせているザムドだけは、気の抜けるようなことを言っているけれど。
ディアドラの周囲には相変わらず炎の嵐が吹き荒れている。あんなの近付けない。土人形の体なんて一瞬で黒焦げにされそうだ。
「ねえ、お願いディアドラ! お父様と話をしてよ。そうすればきっと、お父様がどれだけあんたを大事に想ってくれてるかがわかるから!」
大声で話しかけてみたけれど、ディアドラは私のほうを見もしない。聞こえていないはずはないのに。
「聞いてよ。お父様はわかりにくい人だけど、本当にーー」
「うるさい」
ディアドラが振り返りもせずに炎を投げてきたので慌てて避ける。
いつもそうだ。ディアドラはすぐに「うるさい」と言って相手の話を遮る。そりゃあ、お父様が話しかけてくるときは注意が多かったし、カルラのお説教は長いし、嫌になる気持ちもわからなくはない。でもそれだって、もともとはディアドラが使用人や城の物に火球を投げて暴れるのが悪いんじゃないの。ディアドラは頭が悪いわけではなさそうだし、暴れたら怒られるってことくらい学べばいいのに。
もしかしてアレかな? 親の関心を引きたくて、自分を見てほしくて、わざと親を困らせるような行動をとる小さな子供みたいなやつ。
「やっぱり、ディアドラはお父様が大好きなんじゃ?」
ぼそっと呟いたら、途端に炎が飛んでくる。でもようやくディアドラが振り返った。
「気色の悪いことを言うな。あんなやつ嫌いだ」
その反応の速さは図星じゃないの? いや待てよ、そもそもお父様を大好きだったら殺さないよね。じゃあ何だろう? 口では嫌いだと言っているし、たぶん手加減なしにお父様を攻撃している。でもディアドラの反応を見ていると、ちゃんとお父様を好いているようにも思える。
この矛盾は何だろう。可愛さ余って憎さ百倍……なんか違うな。年齢的にはそろそろ反抗期? いや、どうだろう。ディアドラが本当はお父様のことが好きだなんて私の勘違いで、やっぱり言葉どおりに嫌いなの? それとも素直になれないだけ?
うーん…………わからん!
何が何だか全然わから――ん?
もしかして、ディアドラ自身にもわかってない? でも自分の気持ちがわからないなんて、そんなことある? 恋愛モノの小説なら、自覚のない恋なんてそれなりにベタだ。でもディアドラとお父様は親子。うーん、恋も愛も同じようなものか……?
「ディアドラが嫌いでも、お父様はディアドラのこと大好きだよ!」
もうちょっと反応を見てみよう。とりあえず、そう言ってみる。
「娘の中身が入れ替わっても気付かないような奴がか?」
でもディアドラに鼻で笑われてしまって、言葉に詰まった。ちらっとお父様に目を向けるとお父様はしょんぼりと眉尻を下げている。何か反論してって思ったけれど、あの様子を見る限りお父様に期待してもだめそうだ。
「いやそのほら、お父様は他人を疑わないっていうか、ぼけっとしたとこあるから……!」
どうにかフォローを試みる。でもだいぶ苦しい。
ディアドラにもまた鼻で笑われてしまった。
「知った口をきくな。だいたい、化けの皮が剥がれたのにいつまで〝お父様〟などと呼んでいる。お前は赤の他人だろう」
「……っ」
急に心臓を刃物で突き刺された気がした。土人形の体に臓器なんかないはずなのに。
いやだ。
他人だなんて言いたくない。
女神から真実を告げられても、こうして本物のディアドラと向かい合っていても、そのことを認めたくない。でも、ディアドラの言葉は事実の指摘だって、お父様の娘でいられる時間はもう終わったんだって、本当はわかっている。
「……そうだよ」
変だな。声が震える。
人形に涙腺なんかないのに。
視界が滲んだわけでもないのに。
心が痛くて、痛くて、何かがあふれ出しそうだった。
「そうだよ、他人だよ! でもあんたの体でお父様と接してきたからわかるよ! お父様がどれだけ優しい人で、どれだけ娘のことを大事に想ってくれてるか!」
どうして私はお父様の本当の娘じゃないんだろう。娘だったらよかったのに。幸せな陽だまりみたいな居場所に、ずっとずっといたかった。
「知った口をきくななんて、あんたこそお父様の何がわかるの!? お父様のことをよく見もしないで! お父様に話しかけようともしない、話しかけられてもすぐ逃げる、あんたにお父様の何がわかるのよ!!」
ちょうだい。
お父様のことを嫌いだって言うなら、いらないなら私にちょうだいよ。
そう言ってしまいたかった。でもそんなこと口にしちゃいけない。ちゃんと父娘揃ってるのに、赤の他人が割り込んじゃ駄目だ。
「勝手に人の体を使っておいて、好き放題わめくな!」
眉を吊り上げたディアドラが腕を高く振り上げる。ディアドラの周りで回っていた炎が全てディアドラの手の平の上に集まっていく。大きな火球が生成されたけれど、その腕が振り下ろされることはなかった。
「魔法なら私にぶつけなさい、ディア」
「っ、離せ!」
お父様がディアドラの手首をつかんで止めたからだ。ディアドラの手をつかんだまま、お父様は私に目を向ける。
「君も、ディアを責めないでほしい。ずっと何も伝えられてこなかった、私が悪いのだから」
お父様だけが悪いわけじゃないのに。そう思ったけれど、何も言えなかった。初めて〝君〟って呼ばれたことに距離を感じて、口を挟めなかった。お父様はディアドラの正面に回り込み、ディアドラの頬にそっと触れる。
「今まで伝えられなくてすまなかった。ディアがどう思おうと、私はディアのことを愛しているよ」
「は……?」
ディアドラが口を半開きにして、お父様のことをぽかんと見上げた。ディアドラが作り出した大きな火球は、しゅるしゅると小さくなって消える。
――今だ!
私はさっと飛び出して、ディアドラに体当りする。ディアドラにぶつかった途端、また視界が白く染まった。
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