07-08 それはまるで呪いのような(2)


 ニコルが目を開けると、真っ平らで白っぽい天井が目に入った。身を起こして周囲を見回したが薄暗く、時間を推測できるようなものはない。


 処分が決まるまでここで待つようにと案内された、聖徒の教会の建物内にある小部屋だ。窓はなく、ベッドと机と椅子が一つずつあるだけの狭い部屋。机には聖書が一冊置いてあったが、そらんじられるほど読み込んだ本を開く気になれず、手をつけていない。


 カルラたちはもう十分に聖都を離れただろうかと考えた。どれだけの時間寝ていたのかニコルにはわからなかったが、聖都の聖職者たちの手の届かないところまで逃げていてくれればいいと思う。


 魔族の逃亡を助けたことを養父が知ったら何と言うだろうな、という疑問の答えは出なかった。怒るかもしれないし、思うように生きなさいと言うかもしれない、どちらもありえる気がしたからだ。 


 扉をノックする音が聞こえてニコルは立ち上がった。入ってきたのは疲れ切った顔をしたマティアスで、その後ろにはまだ若い青年が控えている。ニコルがマティアスに一礼すると、マティアスは特大のため息を吐き出した。


「お前の処分が決まった。罪人用の魔力封じの腕輪を着用の上、破門とする。今後の聖都への立ち入りも禁ずる」


「……それだけですか?」


 平常時ならまだしも、聖都内におかしな化け物が出るという騒ぎが起きたあとだ。もっと重い処分を想定していたニコルは目を丸くする。眉を寄せながら頷いたマティアスを見て、おそらく彼が処罰の軽減を願い出てくれた結果なのだろうと思った。


「ありがとうございました。ちなみにラースは?」


「あいつは謹慎だ。先に会ってきたよ」


 ディアドラに声をかけたニコルとは違い、ラースは直接的に彼女らに手を貸すところは見られていない。ニコルと同等の処分を下すほどには根拠が揃わなかったのだろう、と勝手に納得することにした。


 食うに困りたくないから司祭の職を選んだと言ってはばからない彼が、職を失わずにすんだならよかった。巻き込んだことへの謝罪をしたかったが、謹慎ならば出ては来られないはずだし何か機会があればでいいだろう。


「守ってやれなくてすまなかった。恨み言があるなら聞こう」


「感謝こそすれ、恨み言なんてありませんよ。ご迷惑をおかけしてすみません。お世話になりました、マティアス司教様」


 ニコルが再び頭を下げると、マティアスは「たまには便りくらいよこしなさい」と肩を落とした。


 マティアスの後ろに控えていた青年が進み出て、ニコルに着替え一式を渡す。ニコルはその場でさっと着替えた。支給品の司祭服をたたむと、青年が受け取ってくれた。


 司祭になってからずっと身に着けていた制服だが、脱いでしまえば思ったほどの感慨はなかった。養父のような司祭になって多くの人の助けになることが子供の頃からの夢だったはずなのに。でもきっと、どういう立場かなんて本当はどうでもよかったんだろうなとニコルは思う。本当の望みはきっと司祭になることそのものではなくて、誰かの助けになることだったのだろうと。


 ニコルは制服を持って下がる青年をちらりと見てから、マティアスに顔を向けた。


「今着ている服はどうすればいいですか?」


「さっき買ってこさせた新品だ。気にせず着ていけ。好みに合わなければ捨てても構わん」


「ではありがたくいただいておきます」


 青年が扉のところで誰かに制服を渡している。廊下にも誰かいるのだろうが、ニコルの位置からは細い手しか見えなかった。


 廊下にいる誰かから何かを受け取った青年が、もう一度ニコルに近付いて、その何かをニコルに渡す。この部屋に入る前に取り上げられたニコルの鞄だった。鞄の中に入っていたものは、財布以外はなくなっていた。


 ラースの案内してくれた宿を出るときに、教団からの支給品と財布以外の持ち物は全て宿の女将に預けてあった。カルラとの通信用の魔道具も女将に預けた荷物の中にある。だから戻ってくるのはこの程度だ。


 青年はニコルの腕に黒い腕輪を装着すると、扉を手で示す。


「聖都の外までは私がご案内します」


 さっさと出ていけという意味だろうと解釈し、ニコルはマティアスに一礼してから部屋を出た。


 廊下にいたのは見習いの服を着た少年だ。見覚えはなかったが、少年はニコルを見て慌てたように頭を下げる。彼はニコルを知っているように見えたが、やはりどこで会ったのかは思い出せなかった。


 不思議に思って周囲を見回してみたが、他に誰もついてこない。罪人のような扱いを受けるのかと思ったら違うらしい。確かに腕輪で魔法の威力を減らされてしまえば、ニコルにはその辺の一般人程度の力しかないのだが、それにしたって扱いが軽く感じる。


 青年の後ろをついて歩きながら、ニコルは教会の建物を出た。


 東からの日差しがまぶしくて、どうやら今は朝らしいと知る。もう店は開いており、人通りも多い。聖都の門に向かって歩いていく青年の背に、「お世話になった女性に挨拶だけできませんか」と声をかけた。荷物を取りに行きたいとは言えなかったのでそういう表現をするしかなかったのだ。


「女性ですか? それはその、恋人などでしょうか」


 振り返った青年がそう聞いてきたので、ニコルは穏やかな笑みを浮かべる。全然違えよと思いながら。


 けれど青年は見事に勘違いしてくれたようで、目をさまよわせてから「私も同行させていただきますが、少しなら」と頷いた。ニコルが青年なら絶対に許可は出さない。チョロいのか罠なのか迷ったが、ひとまず棚上げして店に向かうことにした。


 街門の手前で脇道にそれて例の宿に向かう。不安げな表情でニコルのあとをついてきた青年が、店の前で「ここって、その……」と口ごもりながら頬を赤らめた。青年はこの建物がどういう店なのかを知っているらしい。


 そうだよな、聖職者としてはそういう反応が普通だよな、と考えながらニコルは店の戸を押してみる。鍵はかかっていなかった。


 店の中に客はいない。カウンター前の椅子にドレス姿の女将が座っているだけだ。


「おや、いらっしゃい。あんたの馴染みの子は上にいるよ」


 女将はニコルを見るなりそう言って、指で上を示す。ニコルが常連であるかのような言い方は勘弁してほしかった。しかし荷物は上の部屋にあるという意図だと判断し、ニコルは女将に一礼してから階段に向かった。


 店の中をきょろきょろと見回している青年に、女将が歩み寄る。


「へえ。お兄さん、見ない顔だね」


「あっいや、自分はその、ただの付き添いでして。というか自分も上に」


 青年は困惑したような顔で一歩下がったが、女将は意に介さぬように店の奥を振り返り、「ご新規だよ! 営業したい子は来な!」と声を張り上げた。とたんに着飾った若い女性たちがカウンター横の扉から出てきて青年を取り囲む。青年は顔を赤らめながらあたふたしていた。


 階段の途中で足を止めていたニコルを女将が見上げてくる。女将がぱちっとウインクしたので、これはどうやら女将の配慮であるらしいと理解した。足早に二階に上がり、昨日使わせてもらった一番奥の部屋の戸を開けると、なぜかベッドに私服のラースが座っていた。


「よっ」


「えっ――」


 つい声を上げかけたニコルに、ラースが「しー」と口に指を当てて合図をする。ニコルは急いで扉を閉めると、「あなた謹慎じゃなかったんですか?」と小声で言った。


 女将の言った〝馴染みの子〟ってお前かよ、というツッコミは心にしまっておく。


「そう、謹慎。いやーしばらく仕事しなくていいって最高。教会内での謹慎だから三食出るってよ。食べて寝てだらだらできる。働かなくていい。ほんと最高。期間延長してほしい」


「あなた本当にブレませんね……」


 上機嫌で両手を高々と上げたラースを見て、ニコルは額を押さえながらため息をついた。ラースのこれは強がりでもなんでもなく、心底喜んでいるのだろうなと考えながら。


 巻き込んで悪かったなんて、そんな気持ちは彼の喜びようを見たら完全に吹き飛んだ。


「それはさておき、ニコル。腕輪出して」


「?」


 ラースに促されるまま腕輪のはまっている左手を出すと、ラースは立ち上がって黒い腕輪に手を触れる。ラースの魔力がわずかに腕輪に移動するのが見えたかと思うと、腕輪は大きく広がって床に落ちた。目を丸くしたニコルに、ラースはにいと笑顔を向けてくる。


「それ、自分で外せるように設定してつけ直して。やり方わかる?」


「わかります、が……よくできましたね、こんなこと」


 ニコルは落ちた腕輪をさっと拾って設定を変えると、自分の腕にはめ直した。自分で外せることを確認してからもう一度装着する。問題なさそうだ。


「司教様に感謝しなよ。俺を外に出したり、これをすり替えたりするのにだいぶ苦労してくれたはずだからさ。ここまで来るのも何とかなったでしょ?」


「はい。ありがとうございましたと伝えてください」


 さすがにマティアス一人でここまでできるはずはないから、他にも手を貸してくれた誰かはいるのだろう。それが誰なのかまではニコルにはわからなかったが、少なくともさっき廊下にいた見習いの少年は協力してくれたのではないか、そんな気がした。


「言っとく。腕輪を外すなら聖都を離れてからにしてね。あと、これ荷物」


「ありがとうございます」


 ラースから渡された荷物を鞄にしまう。カルラとの通信用の魔道具もあった。じっと見てくるラースの視線に気がつき、ニコルは顔を上げる。


「なんですか?」


「大丈夫そうだなと思って。なんか、スッキリした顔してる」


「そう……でしょうか」


 自分がどんな表情をしているのか、ニコルにはわからない。けれどラースの言うとおり晴れやかな顔をしているのだろうと思った。長年の呪いが解けたような、そんな気分だったから。


「ま、凹んでないみたいでよかったよ。じゃあまたどっかで会おうね、相棒」


 ラースがそう言って、ニコルの肩をぽんと押した。そろそろ行けよ、とでも言うように。


 彼を相棒と認めた覚えはニコルにはない。けれど世話になったことは確かだし、最後くらいは彼のノリに乗ってやってもいいだろう――そんなことを考える。


「ええ、また。……その、相棒」


 ラースはほんの少し目を丸くしてから、おかしそうに笑って、ニコルに向かって手を振った。


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