07-08 それはまるで呪いのような(1)


 男が座っている椅子は、会議室の一番奥にあった。細長いテーブルを囲むように並べられた椅子の数は十個。その全てが埋まっている。


 朝早くから招集されたのは、教皇および各国の司教五名と、証言者として呼ばれた三名の司祭、それから進行係の事務員が一名だった。


 昨日聖都に突如現れた魔族と、名状しがたい黒い犬のような化け物、聖都の現在状況に関する話題は一通り終わった。


 議題は魔族に加担したという司祭の処分に移っている。その司祭は時計塔に潜伏していた魔族を逃した。魔族の名を呼んだことから以前より親交があったと思われる、厳しい処分を下していただきたい、というのが証言者の主張だった。


「魔を払う存在であるはずの聖職者が魔族に味方するなど言語道断。聖職者としての権限を全て剥奪の上、破門とすべきではないのか」


「自由にさせていればまた魔族に手を貸すのではないか? 無期限の幽閉が妥当では?」


「お待ちください。本人に弁解の場をいただけないでしょうか? 当人の話も聞かずに処分を下すのは随分一方的ではありませんか」


「マティアス司教殿。部下を大事にされる気持ちはわかるが、こたびの件は庇いきれるものではありますまい」


「ですが、彼の者がこれまで各地で多くの魔族を討伐し、各地の町や村を救ってきた実績も考慮いただけないでしょうか」


 男は目の前で繰り広げられる議論を黙って聞いていた。厳罰を望む声がおよそ半分近く、恩赦を希望しているのはただ一人だ。残りは発言せずに様子を見ている。


 ――魔族は二人。飛んで逃げた。赤と橙の。計塔。に懸念が。の情報漏洩はな。を助けた司。


 飛び交う議論の中で出てきた言葉が、男の頭の中に浮かんでは消えていく。それは不自然に区切られた文章であったり単語であったりするのだが、男が違和感を持つことはなかった。


「あの、議論が堂々巡りになってきましたので、そろそろ決をとりませんか」


 ほとんど発言せずに座っていた司教の一人がそう言って男を見た。男が頷きを返すと、進行係が男の代わりに議決をとった。



   ◇



 ニコルは夢を見た。


 それはずっとずっと昔の、もうおぼろげにしか覚えていないはずの子供の頃の光景だった。


 どこかの教会で、養父が誰かの話を聞いていた。ニコルが育った教会でないことは確かだが、どこの教会かまではわからなかった。養父はたびたびニコルを連れて各地を慰問に回っていたから、その中で訪れたどこかだろうと適当に納得する。


「私たちが何をしたというの……」


 養父の前でベンチに腰かけていた女性が、うつむきながら震える声を絞り出した。ニコルが女性の様子をそっと伺うと、女性は両手を膝の上で強く握りしめている。その手は小刻みに震えていた。


「私たちが何をしたっていうのよ! どうして皆があんなふうに殺されなきゃいけなかったの? 魔族なんか、あんな奴らなんか、全員死んでしまえばいい!!」


 養父が床に膝をつき、顔を覆って泣き出した女性の背を優しくさすっている。ニコルはその場を動くことも、声をかけることもできず、ただ二人を見つめていた。


 養父はよくこうして、魔族によって何らかの被害を受けた人たちの話を聞いてやっていた。心の内の淀みを少しでも吐き出せるように。少しでも、彼らが前を向けるように。


 話すという過程において、人は心の内にある形のないものを整理して言語化する。少しでも整理できれば心は軽くなる。逆に淀みのまま放置すればいつまでも苦しい。養父と話した者たちはたいてい、教会に足を踏み入れたときよりはほんの少し足取りを軽くして帰っていった。


 けれど、ただ横で聞いていたニコルの中には何かが溜まっていった。魔族への憎しみや恨みのようなもの。それはニコルのものではなかったのに、ずっとニコルの中で魔族を殺せとささやき続けていた。


 まるで呪いのようだな、とニコルは思った。

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