07-07 銀髪の聖女?(1)

 気がついたらベッドの上だった。


「ディア!」


 私が目を開けるなり、ルシアが飛びついてくる。


 ――ん? あれ? ここどこ?


 白い天井を見上げながら目を瞬いていたら、ルシアがばっと上体を私から離し、揺れる瞳で私を見つめてきた。


「ディア、大丈夫? ごめんね、ディアの魔力ってたくさんの黒がゆらゆらしてるから、その中に紫が混じってたのに気がつかなくて」


「大丈夫だから落ちついて。ねえ、ここどこ?」


 身を起こした私はきょろきょろと周囲を見回してみた。広くはない小部屋だ。一人用のベッドと小型のチェスト、ルシアが座っている椅子があるくらい。窓には水色のカーテンがかかっている。白い壁、扉は一つ。チェストの上には私の鞄と帽子が置いてあった。


 何があったかは覚えている。変な三つ首の巨大犬を倒して、ルシアに助けを求めた。そのあと教会で解毒をして回ったのはいいけれど、うっかり自分も毒状態であることを忘れていた。そして倒れた。


「ここはね、教会の中だよ」


「えっ!?」


 倒れる直前まで教会にいたのだから当たり前と言われれば当たり前なんだけれど、魔族の私が拘束されることなく普通のベッドに寝かされているなんて信じられない。


 コンコンと扉をノックする音がして、それはゆっくりと開かれた。入ってきたのは銀髪の小柄な女性だ。毒消し草を食べさせてもぐーすか寝ていたあの聖女。いや眠りのステータス異常だったのかもしれないけど。長い銀髪がまっすぐ背中に流れ落ちている。着替えたのか、最初に見たときに着ていた白いドレスではなく淡い水色のワンピースを着ていた。


「気がついた?」


 部屋に入ってきた聖女は、軽く首を傾げる。その表情は評判どおり儚げ――というより眠そうだと思えてしまうのは、肝心なときに起きてくれなかった印象が強いせいだろうか。聖女は私のそばまでのんびりした歩調で近づいてくると、体を倒してベッドに座る私と目線の高さを合わせた。鮮やかな碧色の目が私をじっと見つめてくる。


「顔色がよくなった。もう大丈夫」


 抑揚のない調子でそう言うと、聖女は上体を起こした。ルシアが聖女を見上げてから、「あのね、聖女さまがディアをこの部屋に運んでくれたの」と説明してくれた。


「どうも……ありがと」


 どうして聖女が魔族の私を助けてくれたんだろう。戸惑いながらお礼を言うと、聖女は「どういたしまして」とやっぱり抑揚に乏しい声で言った。


「どうして助けてくれたの?」


「……?」


 聖女はゆっくり首を傾げた状態のまま数秒ほど固まっていたけれど、じっと待っていたらようやく頭を元の位置に戻した。


「わたし、薬師だから。誰かが倒れていたら助ける」


「あれ? 聖女じゃなくて?」


「……」


 聖女はぼんやりした目を私に向けたまま、やっぱり固まった。なんか、会話のテンポが合わないな……。


 どうしたものかと困っていると、やや間があって、聖女は「あっ」と何かを思い出したように少しだけまぶたを持ち上げた。


「うん、そうだった。今は聖女」


 なぜ考えた? こんなぼんやりした聖女に人類の命運を託すなんて、私が人間だったらすごく不安だ。逆に考えれば、この聖女が相手なら私たち魔族は何も心配しなくていいんじゃない?


「私、見てのとおり魔族なんだけど、敵じゃないの?」


 聖女が魔族をどう思っているかは大事なところだ。聖女とゆっくり話せるなんてこんなチャンスは二度と巡ってこないかもしれない。これだけは聞いておかなければと気合を入れて聖女を見つめたけれど、私の気合はぼやっとした表情を浮かべる聖女を素通りしている気がした。


「敵、とは聞いてる」


 聖女は私ではなくルシアのほうに顔を向ける。


「でも、みんなを助けてくれたのはあなただって、あなたは友達だって、この子が言った。だから、みんなが起きる前にここに運んだ」


「信じてくれたの?」


「ペンダント、お揃い」


 今度は私に顔を向けた聖女が、自分の首元に細い手を添えた。つられるように私も自分の首元に目を落とすと、ルシアが買ってくれたペンダントがあった。どうやら私はルシアのおかげで命拾いをしたらしい。


「じゃあ話を聞いてくれない? あのね、今の魔王は人間と仲良くなりたいの。悪い魔族は魔王とは別なんだ。だからナターシアには攻め込まないでもらえないかな?」


「……?」


 首を傾げた聖女はまた黙った。やっぱり会話のテンポがあってこない。いくらなんでもゆっくりすぎる。


「聖女の仕事、三食昼寝付き」


「……うん?」


「座ってるだけの仕事と聞いた。だから受けた。魔王なんて知らない」


「え」


 ちょっと待て、聖女の仕事が座っているだけの三食昼寝付きなんて絶対ありえない。むしろ毎日冒険だ。命がけだ。戦闘だらけだ。っていうか職業じゃなくない? 何かの冗談かと思ったけれど、聖女は相変わらず眠そうな真顔だった。


「だっ、騙されてない? 大丈夫? そんな美味しい話、普通ありえないよ!?」


「……そう?」


 聖女がやっぱりぼけっとした表情を浮かべているので、ルシアに「ルシアもそう思うよね!?」と話を振ってみた。けれどルシアも「そうなの?」とふわふわした微笑を浮かべている。


 不安だ。今の聖女もゲームの聖女もぼけっとしすぎだ。こんな二人のどちらかに救いを求めるなんて、私だったら嫌だな……。


 この世界の人間に対して初めて同情のような気持ちを抱いていたら、聖女が「それより」と言った。


「毒は抜けたと思うけど、ステータスで確認してほしい」


「あ、うん。……それはいいんだけど、見られてるとステータスを出しづらいな」


 ルシアのステータスを何度も見せてもらっているので少し気が引けたけれど、私のステータスなんてレベルが高すぎて見せられない。聖女は「わかった」と言って私に背を向け、ルシアもそれに倣ってくれた。さっとステータスを表示させ、毒のアイコンが消えていることを確認する。ぐっすり寝たからか、体力も魔力も満タンだ。


 ステータスを消してから、二人に「もういいよ」と声をかけた。


「うん、毒は残ってないみたい」


「よかったあ。ディアが倒れたときはどうしようかと思ったよ」


 振り返ったルシアがほっとしたように笑う。聖女はのんびりした動作で頷いて「立てる?」と聞いてきた。ベッドの脇に置かれていた自分の靴をはいてから立ってみたけれど、立ちくらみも何も感じない。すっかり元気だ。


「大丈夫みたい」


「よかった。じゃあ帰ろっか。ディアと一緒に来てる人もきっと心配してるよ」


「あっ!」


 そうだ、カルラはカリュディヒトスを追いかけていったんだった。カルラも毒を受けたはずだし、ユラが探しに行くとは言っていたけれど、どうなったかわからない。急いで鞄を開けると、中から通信用の魔道具を取り出した。鳴らしてみるとすぐにカルラが出た。


『もしもしお嬢!? 今どこ!? 大丈夫か!?』


 元気そうな声にほっと胸をなでおろす。


「うん、大丈夫。聖女に助けてもらった」


『は?』


「いま教会」


『はあ!?』


 カルラの声がどんどん大きくなる。「しー」と言いながら聖女が口に人差し指を当てた。


「カルラ、ちょっと声量下げてくれる?」


『す、すまん。詳しいことは後で聞くわ。出てこられる? まずは合流しよ』


「えっと……ちょっと待ってね」


 ちらりと聖女を見ると、聖女は窓のほうに歩いていって、カーテンをちょんとつまんだ。外の赤い光が床に落ちる。そうか、もう夕方なんだ。


「今ならたぶん、出ても大丈夫」


 聖女がこちらを向いたので通信機に向かって話す。


「行けそう。どこで合流する?」


『時計塔の中にしよ。先に着いたら隠れときや』


 肯定を返してから通信を切り、帽子をかぶって鞄を肩にかけた。


「ありがとう、助けてくれて。えっと……聖女さま」


 聖女に向き直ってぺこりと頭を下げると、珍しくすぐに返事があった。


「わたし、ネムリス。ネムって呼んで」


「わかったよネム。私はディアドラっていうの。ディアって呼んでくれると嬉しいな」


「ん。先に助けてくれたのはディアとルシア。わたしこそ、ありがとう」


 私とネムを眺めていたルシアが、「ディアドラ?」と不思議そうに首を傾げた。そういえばルシアには愛称しか名乗っていなかったんだ。


「私、本当はディアドラっていうの。嘘ついてごめん」


「そうなんだ。でも、ディアでいいんでしょ? じゃあ嘘じゃないよ」


 ルシアはそう言ってにっこり笑った。ネムが窓を開けて、上半身を外に出した。きょろきょろと周りを見回してから、私に場所を譲ってくれる。窓枠に足をかけた私は、ルシアとネムを振り返った。


「じゃあ、行くね。ルシアもありがとう。気をつけて帰ってね」


「うん、またね。ディア」


「気をつけて」


 周囲の様子をうかがいながら、窓から飛び降りる。時計塔に向かって走りながら、カルラに聖女のことをどう説明しようかと考えた。


 ネムリス。名前まで眠そうな人だった。



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