07-06 再潜入(2)


 聖都を囲む外壁の周囲は障害物のない草原が広がっている。襲撃への備えとして、外壁から少なくとも百メートル以内にある木は全て遠い昔に伐採されたという話だ。祭の期間は終わっていないにも関わらず、多くの馬車が聖都から出ていくのが目についた。


 ニコルが早足で聖都の門に向かっていると、門に入る直前にラースが声をかけてきた。


「遅かったね。大丈夫だった?」


 何が、とはラースは言わなかった。道中にニコルが使っていた馬は彼に預けてあったが、ラースは馬を連れていない。もう貸馬小屋に返したのかと気にはなったが、尋ねはしなかった。ラースが寄ってきてもニコルは歩調をゆるめることなく門に向かう。


「ラースは適当にしていてください。僕一人で入ります」


 相手にしか聞こえない程度の小声で、ラースを見もせずにニコルはそう言った。彼は足を止めることなくニコルの隣に並んだまま、同じように小声で言った。

 

「それは、何かする気だから?」


 問いには答えず彼を見上げたニコルの肩を、ラースがぽんと叩く。


「俺たち相棒でしょ、一緒じゃないと怪しいよ。いざとなったらニコルのこと見捨てて逃げるしさ、連れていきなよ」


 相棒と言うなら雑用をもっと分担してほしい。しかし二年近く彼と各地を回る中で助けられたことが全くないわけではない。文句を言うのはやめにして、ニコルは視線を前に戻した。


「カルラを連れて入り、ディアドラを探します。詳細は中で話しますが、聖都に入ったらまず急いで宿を取ります」


「オッケー。入ってすぐのとこに知り合いの店があるからそこにしよっか。話つけるからついて来て」


 門の前にたどり着くと、聖都を出る人々の応対をしていた守衛の一人がニコルたちのほうへ一歩進み出た。聖徒の内側には街を出る人々や馬車の長い列ができている。守衛は三人いたが、全員疲れた顔をしていた。


「聖都に入られるなら、身分証の提示と入都理由の記入をお願いします」


 まだ若い守衛に促されるまま身分証を提示したニコルは、渡された紙に適当な理由を記入した。聖都に入る聖職者が疑われることはまずないと思ったからだ。実際守衛は渡した紙を一瞥しただけで読みもせずに片付けていた。


「では手荷物の検査を」


 そう言って守衛がニコルたちに手を差し出す。己の鞄の紐を強く握ったニコルをちらっと見たラースが、笑顔で一歩進み出た。


「それ俺たちに必要? 今忙しいんでしょう?」


「でも……規則なので」


 手を差し出したままの守衛が困ったような表情を浮かべる。ニコルは口を開きかけたが、別の守衛が「新入り、さっさと済ませて手伝え!」と怒鳴ったことで何も言わずにすんだ。若い守衛はびくっと肩を跳ね上げると、「あ、その、はい。どうぞ」と言って慌てて戻っていった。


 早足で聖都に入っていくラースを追いかける。想定していたより街は落ち着いていた。早く聖都を出たい者たちが手続きの遅さに文句を言っている声が聞こえるくらいで、門に並ぶ列が乱れているわけではない。


 ラースは最初の十字路を左にそれると、そのまま中央通りから遠ざかっていった。たびたび聖都に訪れていたニコルにも馴染みのない区画に入っていく。道は細くなり、人気も減った。治安が悪いというほどではなさそうだし浮浪者の姿はないが、怪しげな店の看板やらゴミ箱やらが無造作に道に置かれているせいで雑然としている。


 ラースが並んでいた建物の一つに入っていったので、ニコルもラースを追って中に入る。そう広くない酒場だった。四人がけや二人がけの小さなテーブルと椅子がいくつも置かれているが、誰も座ってはいない。ホールの端には二階に続く階段があった。


 カウンターの奥に立っていた女が、ニコルたちに目を向けて片眉を上げた。


「久しぶりだね。店はまだ空いてないよ」


 女がラースを見て言う。女の前に歩み寄ってカウンターに片腕を乗せたラースが、「知ってる」と言って指で上を示した。


「一部屋貸してくれない? この時間なら空いてるでしょ?」


「まあ、代金さえ払ってくれれば文句はないけど……」


 ちら、と女がニコルを見る。


「あんたがあんな男の子にまで手を出す奴だとは思わなかったな」


「やだなー、俺が好きなのは女の子だけだよ。ちょっと休憩したいだけ」


 二人の会話の意図を理解しかねたニコルは少しだけ考えて――ようやく察した。この店が一体どういう店なのか、を。おそらく夜になると、男たちが一晩の春を買いにやってくるのだろう。ホールで酒を飲みながら相手を選んで、二階に上がる。そういう店だ。


「なっ、あっ、あなた、なんてとこに連れてくるんですかっ!!」


 目を見開いて真っ赤になったニコルに対し、ラースはおかしそうに笑った。


「じゃ、適当な部屋を借りるよ。ニコル、先に上がってて。女将、代金これでいい?」


「あいよ」


 こんな店冗談じゃないと言いかけたが、急いでいる。ニコルは言葉を飲み込むと、駆け足で階段を上がった。一番奥の部屋をノックしてみて、返答がないことを確認し、扉を開けた。狭い部屋にあるのは広めのベッドだけだ。窓はあるが向かいの建物の壁しか見えない。ニコルは急いで扉を閉めると、鞄を床に置いて開けた。


「もう出ていいですよ」


「ぷはっ」


 途端にカルラが鞄から飛び出してきて変化の術を解いた。魔法で小さくしていたカルラの体が元の大きさまで戻る。床に座り込んで両手をついたカルラは、肩を何度も上下させながらぜいぜいと息をしている。カルラの魔力はほとんど消失していた。


 ギリギリだった。ニコルは咳き込んだカルラの背をさすってやった。


 ニコルがカルラに提示した条件は二つ。一つは、聖都に入りどこかの宿で部屋に入るまで、鞄の中に入れるよう小さな体を維持すること。もう一つは、それができるようになるまで休んで魔力を回復させること。カルラが休む間に馬車で聖都に近付いた。


 コンコン、と扉がノックされる。「俺一人だよ」とラースの声がしたので、ニコルはわずかに扉を開けた。部屋の中に目を移したラースが目を丸くする。ラースが「水をもらってくるね」と言って立ち去ったので、また戸を閉じた。


 振り返るとカルラはベッドの側面に背を預け、後頭部をベッドに乗せていた。目は伏せられ眉も寄せられているが、呼吸は落ち着きつつある。カルラの顔色は白いけれど、それでもニコルが馬車に着いたときよりはずっとましだった。


 馬車の床に寝かされていたカルラは、顔から指先まで、肌全体を不自然な紫色に染めていた。細いながらも息はあったが、この状態でまだ生きているのかという驚いてしまうほどだった。彼女が人間だったなら、ニコルが馬車に着く前に死んでいたはずだ。


 彼女の解毒は終えているが、毒が体にかけた負担までは魔法では取り除けない。病気や疲労は治せない、失った血液は戻らない、など、回復魔法にも限界はあるのだ。


 なんで助けた? というカルラの問いが、問われてからずっとニコルの頭の中でぐるぐると回っている。


 以前カルラの怪我を治療したときは、双剣使いに勝てるとしたら彼女しかいないのではないかと思ったからだった。けれどディアドラが双剣使いに勝ったという話は聞いた。人にとっての脅威である双剣使いにぶつける相手が、カルラである必要性はもうなかった。


 毒に侵されたカルラを目の前にして、カルラを見殺しにするのが一番だと――そう囁く声も確かに己の中にはあった。ニコルの立場で冷静に考えれば助ける必要などない。それを理解してもなお、ニコルはどうしても、カルラに手を伸ばさずにはいられなかった。


 聖都に入るにしても、カルラの変化の術が意図せぬタイミングで解けたり手荷物検査でバレたりすれば大騒ぎになるのは考えるまでもない。そんな危ない橋を渡る理由は、ニコルにはないはずだった。ないはずだったのに。


 向かいの建物の壁しか見えない窓をちらりと見たカルラが、はあと息を吐いてから視線を床に落とした。その様子を見て、どうしてだろうとニコルは首を傾げる。


 話を聞く限り聖都に一人置き去りにされたのはディアドラの方だ。それなのにどうしてカルラが、親に置いていかれた子供のような、心細そうな表情を浮かべているのだろう。


 ニコルはカルラの隣にしゃがむと、


「少し横になりますか? 立てないなら手伝いますよ」


 と声をかける。重そうに首を持ち上げたカルラが、ゆっくりと目だけをニコルに向けてきた。


「あんたも変な子やなあ。魔族なんか敵やって言いながら、いっつも心配してくれんの」


「……、わかってますよ。自分が矛盾していることくらい」


 眉を寄せ、ニコルは視線を落とす。「いや、責めてるわけやなくて……」というカルラの困惑したような声が聞こえてきた。


 ぽん、とニコルの頭に手が乗せられる。驚いて顔を上げると、金色の目がすぐ近くにあって、瞳の中に己が映って、ニコルは目をそらせなかった。


 カルラは微笑を浮かべるだけで何も言わない。黙ってぽんぽんと頭を軽く叩かれ、ニコルは戸惑いを声に乗せた。


「……何ですか?」


「いやー、何か言うたろと思ったけど思いつかんかったわ。すまんすまん」


「なんですかそれは」


 適当にもほどがある。ぺしっとカルラの手を払いのけたけれど、触れられていた場所に熱が残ったような気がした。


「あなた、人の心配なんてしている場合ですか」


 心の内に生まれた熱をごまかすように憎まれ口を叩くと、


「それな。ニコルはうちの里の子でも何でもないんやけど、なんか気になってしもてなあ。もうこれ、うちの癖になっとんのかな」


 と、カルラは苦笑気味に目を細めた。


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