07-04 意外な魔法(2)


 悲鳴が聞こえて慌てて外に出てみると、真っ先に目に入ったのは巨大な黒い犬――と言えなくもない謎の生き物だった。


 二階建ての建物と同じくらいの巨体。よく似た犬の顔が三つある。それだけならケルベロスを思い出すけれど、ケルベロスみたいに顔は一か所に集まってはいなかった。犬を思わせる四つ足と胴体。でも首は通常の位置と、本来しっぽが生えているはずの位置と、それから胴の横に一つずつ生えている。


「……なにあれ?」


 生き物のようで生き物に見えない不思議な姿に、つい顔を引きつらせながら後ずさってしまった。


 キルナス王国にいた化け物よりはまだ生き物感がある。あるけれど、やっぱりいろいろおかしい。胴体のあちこちから首が三つ生えているなんて自然の生き物ならありえない。


 人々が悲鳴を上げながら逃げていく。犬のような顔がそれぞれ好き勝手に遠吠えのような声を上げた。


 どうしよう!? まだ教会内で倒れている人たちの治療もできていないし、かといって聖都の中に現れた化け物を放置することもできない。


「あの、誰か! 毒消し草を持ってない!?」


 できる限りの声を張り上げてみても、逃げていく人々に届くはずもない。とにかくあの犬みたいな何かを倒すしかない。


 空中に火球を作り出し、一つの顔めがけて飛ばした。火球は化け物の顔に当たったけれど、化け物が悲鳴のような咆哮を上げながら暴れたせいで、近くの建物が大きく崩れた。


「あっ、あっ、大丈夫!?」


 巻き込まれた人間がいないか気になったけれど、土ぼこりが舞っていてよく見えない。ちまちまやってちゃ駄目だ、一気に倒さないと! 私は息を大きく吸うと、自分の周囲にたくさんの火球を作り出した。暴れられる前に、一撃で決めてやる。


 化け物が建物や人間の方に飛んで行ってしまったら危ないと思ったので、羽を広げてふわりと浮かび上がった。眼下に犬のような化け物が見えるところまで上がってから、私は振り上げた手を一気に下した。


「消し飛べ!」


 私の火球は一斉に黒い化け物に向かって飛んでいき、それに当たった瞬間、炎となって燃え上がった。火に包まれた化け物の顔が、それぞれ苦しそうに叫ぶ。聞いているのがつらくて、私はつい両耳を塞いだ。すぐには倒れなかった化け物に追撃を食らわせる。それでようやく黒い犬の化け物は激しく燃え上がりながらその場に倒れた。


 しんと静けさがやってきて、ふう、と息を吐いたのもつかの間。


「魔族だ!」


 誰かがそう叫んだ瞬間、またあちこちから悲鳴が上がった。目をぱちくりさせてから、人々が逃げ去っていく様子を見てようやく気が付いた。


 あっ私か?


 そりゃあ空を飛んで戦えば、当然目立つし普通の人にも魔族だってバレる。それはそう。それはそうなんだけど。


「待って、話を聞いて! 誰か毒消し草持ってない!? 司祭さまたちが毒で倒れてるの!!」


 声を張り上げてみたけれど、誰も聞いていない。我先にと聖都の出口に向かって逃げていく。


 どうしよう。倒れていた人たちがいつから毒状態になっているのかもわからないし、早くしないと死んでしまう人もいるかもしれない。でも人間たちは聖都の出入り口に向かっていて、どんどん教会から離れていく。


 毒消し草以外で解毒するなんて、教会の人にしかできないはず――違う。私は一人だけ知っている。ルシアだ。


 ゲームでルシアが解毒魔法を覚えたレベルは正確には忘れてしまった。でも初歩の回復魔法と解毒魔法だけは使えるようになるのがすごく早かった、ということは覚えている。解毒魔法を覚えた時のレベルはまだ一桁だったはずだ。ルシアはレベルが十一になったと言っていたし、もう使えるはず。


 怯えられるのを覚悟で、高度を下げて人々の近くまで飛ぶ。いろんな魔法や矢が飛んできてびっくりしたけれど、当たってもあんまり痛くなかった。


 逃げ惑う人々の波の中から、ピンクの髪を必死で探す。わずかな可能性に賭けて「話を聞いて! 誰か司祭さまたちを助けて!」と何度か呼びかけてはみたけれどやっぱりだめだった。子供の姿なんて大人の陰に隠れてよく見えない。早くルシアを探さなくちゃ。どこにいる? どこに――


「ディア!」


 激しい喧騒の中、確かにそう呼ばれた気がしてハッとした。きょろきょろと人混みの中を探してみると、人の流れに逆らって私のほうにやって来ようとしているルシアが目に入った。トゥーリも一緒だ。


「ルシア!」


 私がルシアめがけて降りていくと、さあっと人の波が引いていく。人の輪の中にぽつんと残されたルシアは、周囲の様子などまるで気にしていないような、不思議そうな表情で、じっと私を見上げていた。ルシアの横ではトゥーリがおろおろしながら周囲と私とを何度も見比べている。


「助けて、ルシア!」


 私はルシアの前に降り立つと、開口一番そう言った。目をぱちくりさせたルシアに事情を説明しようと、もう一度口を開きかけたけれど、私が話し始めるよりルシアが私の手を握るほうが早かった。


「いいよ」


 強い声。ターコイズブルーの瞳が目の前にあった。ルシアは普段の柔和な表情とは違う、力強い笑顔を私に向けている。


 そうだ。すぐぼけっとしたことを言うからすっかり忘れていた。この子は、ただふわふわ笑うだけの女の子じゃない。この世界のヒロインで、突然聖女だなんて言われて戸惑いながらも、手の届く人達を救おうとするうちに魔王にまで立ち向かうようになる、とっても強い子だ。


 ルシアは私の手を握ったまま、少しだけ首を傾けた。


「ねえディア、覚えてる? わたしの町を助けてくれた日のこと。あのときね、警報が鳴り響いて外に出たら、遠くから黒い大群が押し寄せてくるのが見えて……わたしはどうすればいいのかもわからなくて、だだ固まってた」


 ルシアの言う日のことは覚えている。忘れられるわけがない。あの日、お父様がリドーとカリュディヒトスに大怪我をさせられて、私はフィオデルフィアに向かった魔族たちを追いかけて必死で飛んだ。最初にルシアの姿を見たのもその時だ。


「空を眺めてたらね、わたしとそう年の変わらない女の子が飛んできて、自分も怖くて仕方ないって顔をしてるのに、たくさんの魔族を相手に戦ってくれた。あの時から、ディアはわたしのヒーローなんだよ」


 ずっと不思議だった。どうしてルシアはこんなにぐいぐいくるんだろう、と。疑問に思いつつも、まあ変わった子だし社交的だからなと半ば強引に納得してもいた。けれどそれは違ったのかもしれない。


 最初にルシアに声をかけられたときから、ルシアは私のことを〝見かけない女の子〟じゃなく〝町を助けてくれた女の子〟として見てくれていたんだろうか。


「教えてよディア、わたしは何をすればいい? 次はわたしが助ける番。わたし、ディアのためなら何でもするよ」


 わたしでもディアの役に立てるんだねと言って、ルシアは嬉しそうに笑ってくれた。


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