07-02 聖都ユリアンナート(1)


 トロノチア王国にある聖都に着いたのは、聖女のお披露目の祭が行われる三日前のことだった。


 高い塀に囲まれたその街は、さすが聖都というだけあってとても広い。ゲームのマップでも広い街だったけれど、あれは相当簡略化されていたらしい。


 岩肌が目立つ山には教会の建物が並んでいる。少し古びた時計塔が街の南側に立っている。山の斜面に沿って街が築かれているせいか、街の入口付近の平地以外は道が入り組んでいた。祭が行われるからか人も多いし、ちゃんと手を繋ぐなり何なりしないとすぐはぐれそうだ。


「めっちゃ人多いけど、魔族が聖女を襲いに来るとか思わんのやろか」


 宿の窓から外の様子を見ていたカルラが、呆れたような声を出した。ふかふかのベッドに転がっていた私には、さあとしか言いようがない。しばらく固い馬車の床で寝ていたから、久々にやわらかいベッドの上にいると眠くなってくる。


「聖都は女神に守られているから大丈夫、と人間が言うてたのを何度か聞きました」


 別のベッドに腰かけていたユラがそう言ってカルラを見上げる。前にカルラとフィオデルフィアに来たときは彼女とは別行動だったけれど、今回は私とカルラとユラの三人だ。ヤマトは近くの森の中で馬車とお留守番。


 ヤマトとユラが恋仲だという話が気になって二人を観察してみたけれど、二人が並んでいても甘い空気を感じられなかった。ヤマトもユラも必要以上のことを話さないし、あまり表情を変えないせいかもしれない。雰囲気が近いから、どちらかというと兄妹に見える。


「女神なあ……うちら魔族には何もしてくれへんけど、人間のことは守っとるんやろか」


 カルラがそう呟くのを聞きながら、女神なんて本当にいるんだろうかとぼんやり考えた。ゲームの設定によるとニコルは女神の声を聞けるらしいから、いないはずはないのだろうけれど、実感がない。


 ナターシアでは女神の話なんて全く聞かなかったし、ナターシアには教会もない。日本でも宗教なんて私にとっては他人事だったし、神様と言われてもピンとこなかった。


「ま、うちらが心配することやないな。街の様子を見に出るのは暗くなってからにしよか」


 カーテンをシャッと閉じたカルラが、一つだけ空いていたベッドに転がった。「おっ、いい宿はベッドもふかふかやな」とにこにこしている。


「ねえカルラ、お金大丈夫?」


 少しだけ不安になった私はそっと聞いてみた。手頃な値段の宿が全く空いていなかったとかで、カルラがとってくれたのは街の中央に近い、そこそこ高そうな宿だった。部屋は広いしきれいだし、お風呂もトイレもついている。しかも宿泊期間は一週間。結構な金額のはずだ。


 この街に入るときだって、カルラは別の商人にお金を払って私たちを商人の荷物に紛れ込ませてくれた。いくら払ったのかは知らないけれど、少なくない金額だろうとは想像できる。そんな金額、経費として落ちるか怪しい。


「うちのポケットマネーや、気にすんな。宿代も前払いしてあるから、一週間は好きに使って大丈夫やで。金はこういう時に使わんとな」


 カルラは軽い口調でそう言ったけれど、それはそれで逆に気になった。少しくらいお父様に請求してもいいんじゃ……いや、お父様に請求してもお金はないかもしれないけど。


「ユラ、あんたは今のうちに寝ときや。夜になったら働いてもらうし」


「長が寝はるんなら私も寝ます」


 ユラはベッドに腰掛けたまま、ちらっとカルラを見た。カルラは苦笑を浮かべて少し考えてから、「よし、どっちが先に寝つけるか競争しよか」と靴を脱いで掛け布団に潜り込んだ。


 じゃあ私も寝ようかなとカルラに続きかけたが、ユラに「ではディアドラ様に審判をお願いします」と言われてしまって、座るしかなくなった。


 フィオデルフィアで合流してから、ユラはずっとピリピリしている。カルラが休むかどうか見張っているようだ。ヤマトやユラと合流した直後に「長はナターシアでちゃんと休まれていましたか?」と聞かれ、私が「お土産を配ったり、稽古つけてくれたり、里に戻ったりしてたよ」と答えてしまったせいだろう。


 ただ見たままを答えただけなんだけれど、ユラは「私らが先に休暇を取ったら長もちゃんと休む、って約束やったやないですか。動き回ってたら休めてませんやん」と怒ってしまった。


 余計なこと言ってごめんとカルラに謝ったら「あの子はしばらく言うこと聞いてたらそのうち気が済むわ。ほっとけ」とケロッとしていた。それでいいんだろうか。気にならないでもないけれど、私にはどうしようもないので様子見している。


 カルラもユラも黙ってしまい、街の喧騒が遠くに聞こえるだけになる。何日も馬車に揺られて疲れたし、ふかふかのベッドに座っているとだんだん体がぽかぽかしてきた。


 ふあ、とあくびをしてから目を閉じる。

 ……。

 …………。


 がくっ、と頭が落ちそうになって慌てて目を開けた。危ない危ない、座ったまま寝るところだった。


 カルラとユラを見ると、二人とも静かな寝息を立てていた。どちらが先に眠りに落ちたのかわからなかったけれど、わからなかったということは、私が一番最初に寝たのかもしれない。


 立ち上がって伸びをする。カーテンをつまんで外を眺めてみると、太陽は傾きつつあった。おかしいな、目を閉じたのは三十秒くらいのつもりだったのに。


 相変わらず人は多い。祭は三日後なのに、もう屋台はたくさん並んでいるし、宿に入る前に大道芸人らしき人が広場にいたのも見えた。誰も彼もが明るい表情をしているし、浮かれた空気を感じる。先のカルラのセリフではないけれど、魔族に襲われるとは思わないんだろうか。女神が守ってくれると本気で信じているんだろうか?


 ゲームではその辺どうだったかなあ、と思い返してみたけれど、ゲームでも女神の直接的な助けはなかった。ただ、聖女には女神から特別な加護が与えられている、というニコルの台詞はあった。あなたに女神のご加護がありますように、という決まり文句も何度か見た。ゲームで聖女覚醒の話がすぐに世界中に広まったのも、女神のお告げによるものだったはずだ。


 そう考えてみると、この世界の人間にしてみれば、女神の存在はむしろ常識なのかもしれない。その感覚は私にはわからないけれど。この世界に来てからもう二年以上経つはずなのに、まだ私は日本での考え方から抜け出せていないようだ。


 ――ん?


 見覚えのあるピンク髪が目にとまり、私はばっと窓に貼りついた。この世界では住人の髪なんて色とりどりだし、他人の空似という可能性は高い。でもその隣に白茶色の髪が並んでいて、私は改めて目を凝らした。


 ――ルシアとトゥーリ!? だよね!?


 振り返ってカルラとユラを見ると、まだ二人ともぐっすり眠っている。夜になったら見回りに行くと言っていたし、二人を起こすのは気が引ける。


 でも聖女が出たっていうのに、ルシアが聖都をぶらついているってどういうことだ?


 居ても立っても居られなくなり、こっそりと部屋を抜け出した。



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