06-04 初仕事? ピクニック?(2)


 初仕事としてお父様に頼まれたのは、やっぱり魔獣退治だった。


 ナターシアの結界に使えそうな強い魔獣がいるとしたら南西にある山の中だろうから見てきて欲しい、ということだった。南の山ということはカルラの里に行けるのかな? と期待したけれど、カルラの里があるのは南西ではなく南東で、寄り道するには遠いらしい。残念。


 とはいえお父様が任せてくれた初仕事。気合を入れて頑張ろうと思っていた。出発するまでは。


「なあディア、右に行ってみようぜ!」

 

 ザムドはいつもより二割増しで元気だ。明るいランプに照らされた洞窟の壁に、ザムドの声がよく反響している。


 左右二つの分かれ道。走り出そうとしたザムドの襟首をリーナがつかむ。


「だめよザムド、地図ではこの先は行き止まりだったじゃない」


「そうよそうよ、ここは左よ」


「えー!」


 姉二人に止められたザムドが不満の声を上げている。ザムドが私のほうを向いたので、私はザークシードを見た。


「って言ってるけど……どっち?」


「まあ、左ですな」


「じゃあ左ね」


「えーっ」


 ザークシードはぶーぶー言っているザムドには構わずに、ランプを高く掲げながら左の道を進み始めた。それをリーナとレナが追っていき、ザムドもぶーたれた顔で続いた。私は一番後ろだ。


「それ見なさい。お姉ちゃんの言うことは正しいの」


「なんだよー! もう俺のほうが強いのに!」


「強くなったって、お姉ちゃんの言うことは絶対なの」


「ええー!?」


 出発してから今まで、ずっっっっっと喋り続けている姉弟を見ていると、「あれ? 私たちピクニックに来てるんだっけかな?」という気持ちになる。緊張感などかけらもない。


 まあ、喋っているのは八割くらいリーナとレナで、残りがザムドだ。三人が本当によく喋っているので、私は聞いているだけだ。


 私は日本でも一人っ子だったし、ディアドラも一人っ子。姉弟のいる生活なんて体験したことはないけれど、ザムドたちを見ていると、姉弟って大変だなと思った。そして毎日この姉弟の相手をしているザークシードとミュリアナは本当に大変なんだろうな。


 このメンバーで出かけることになったのには理由がある。ザムドが私の部下になると決まってザークシードと帰っていったと思ったら、しばらくして今度はリーナとレナが食堂に飛び込んできたのだ。


「ディアドラ様、私たちも部下にして!」


「そうよそうよ! 私たちだって強くなったんだからね!」


 帰宅したザムドが喋ったんだろう、ということは想像するまでもなかった。二人に詰め寄られ、私は困ってお父様を見た。けれど、お父様は「ディアの判断に任せる」と言うだけで目をそらしてしまった。


 ひどい、丸投げだ。


 お父様にもこの二人は制御できないに違いない、と私は察した。そして二人に押し切られた。


 私とザムド、リーナとレナという四人ではさすがに大変だろう、という話になり、ザークシードが一緒に来てくれることになった。さすがに大変の「大変」の意味するところは「魔獣が強いから」ではない、ということは出発してから一時間以内に理解した。この姉弟はそれぞれ自由だしすぐ喧嘩を始めるし、引率者がいないとつらい。


 私はこれからこの三人を率いなければいけないのか……と考えるとげんなりした。


 回想終わり。


 洞窟の曲がり角に差し掛かり、黙々と歩いていたザークシードが足を止めて私を振り返る。ザークシードの持っていたランプが後ろに向けられたことで、視界が少し明るくなった。


「そろそろ広い場所に出ます。大体何かいるので、お気を付けください」


「うん、わかった」


 続けてザークシードが自分の子供たちを見下ろして「お前たちもな」と告げる。三人はそれぞれ緊張感のない声で返事を返した。うん、やっぱりピクニックみたいだ。


 ザークシードが背にしょっていた大きな斧を右手に握る。ちょっとだけ空気がピリッとした気がして、思わず手を握り締めた。


 角を曲がって少し進むと、徐々に通路も広がってきた。ザークシードが大きすぎて前方が見えにくいので、羽を広げて少し浮かび上がる。広間みたいな空間が目に飛び込んできて、私は前を見ようなんて考えてしまったことを後悔した。


 暗闇の中で、大量の紅い目が、一斉に私たちの方を向いたのだ。ランプに照らされて、前の方にいたそれらの形も判別できてしまった。


 それは、一体一体が私の背丈の倍の大きさをもつ、複数の黒い蜘蛛だった。


「ひぎゃあああああああああああああああああッ!!」


 反射的に複数の火球を前方に放つと、それは蜘蛛の体を燃え上がらせた。密集していたせいでその炎は奥の蜘蛛へ、奥の蜘蛛へと移っていき、部屋全体を明るく照らす。


 ランプで見えたのは前方の数体だけだったのに、炎が燃え広がったせいで、広間にいた大量の蜘蛛が全部見えてしまった。それは床だけでなく天井にもたくさんいて、それぞれがガサガサと動いている。火は徐々に小さくなって消えたけれど、見てしまった光景は脳に焼き付いてしまった。


 無理! これは無理!! 蜘蛛って何なのよ獣じゃないじゃん! 虫じゃん!! 魔獣って言われたら獣だと思うじゃん!!


 すぐ前にいたザムドの後ろに張り付いて目を閉じたけれど、前から聞こえてきた声は信じられないほど弾んでいた。


「うわーっ、いっぱいいるな! 俺、奥の一番大きい奴と戦いたい!」


 この大量の大蜘蛛を相手に、怯えるどころかはしゃいでいる。理解できない。全く理解できない。絶対こいつ頭おかしい。


「まあ、いいんじゃないか。よろしいですか、ディアドラ様?」


 ザークシードも平然としている。


 女の子同士ならこの恐怖を共有できるはず、とリーナとレナに視線を向けてみたけれど、二人も「誰が一番多く倒せるか競争する?」「やっちゃう?」と顔を前に向けたまま目を輝かせている。


 嘘だ、誰か嘘だと言って。毛むくじゃらの黒い大蜘蛛が部屋の床と天井を埋め尽くしているこの状況を、気持ち悪いと思っているのが私だけだなんて、信じられない。信じたくない。


「まっ、任せる!」


 私にはそう言うことしかできなかった。

 もう勝手にやってくれ。


「やった! いっちばーん!」


「こらザムド、一人で飛び出すな!」


「あーっ、お父さんも待ってよ」


「じゃあ私あっちね!」


 四人の声を聞きながら通路の端に移動して座り込み、強く目を閉じる。すぐ近くで戦闘音は聞こえているけれど、直視できない。耳も塞ごう、と耳に手を添えたら、ぽた、と何か液体が腕に落ちてきた。


 嫌な予感を覚えて恐る恐る目を開けると、一体の大蜘蛛が私を見下ろしていた。その口からねっちょりした液体がぽた、ぽたと落ちている。


「――ッ!」


 悲鳴は声にならなかった。慌てて飛びのいて、その蜘蛛に火球を当てる。無理無理ほんと無理!


 ザムドと森に行けば虫はよく見かけるので、どうにか小さい虫になら慣れてはきていた。しかしそんな慣れなど、自分の倍くらい大きな蜘蛛を前にしたら吹き飛んだ。


 複数の火球を連続で当てることでその大蜘蛛を広間に押し戻す。その蜘蛛はどうと倒れたかと思うと、炎の中で動かなくなった。でも肩で息をしていたら、左右から別の蜘蛛がじりじりと寄ってきた。


 五天魔将なんか、こんな仕事なんか受けるんじゃなかった!


 心底後悔しながら左右の蜘蛛を燃やす。


 やっと動く蜘蛛がいなくなる頃には、蜘蛛の死骸の山がいくつもできあがっていた。その山のうち一つはザークシードが解体を進めているせいで直視できない。リーナとレナまでナイフを取り出して解体を始めたからびっくりした。


 ザークシードたちはそれぞれ蜘蛛の体を割いて魔石を取り出すと、ぽいぽいと床に投げていく。


 あの大きな蜘蛛に触るなんて無理だ。

 任せよう。絶対に見るのはやめよう。


 そんなことを考えながら蜘蛛のいない端に移動して座り、ごつごつした床に目を落としていると、ザムドが寄ってきた。


「ディア、どうかしたのか?」


「どうもしない……」


「じゃあこれ見てくれよ!」


 ザムドが何かをずいと前に出したので、顔を上げる。私の目の前に差し出されていたのは、ザークシードの胴体分くらいはありそうな大きな魔石だった。ザムドは得意げに「一番大きいの、俺が倒したんだー」と笑っている。


「おめでとう」


「うん!」


 私のおめでとうには我ながら全く感情がこもっていなかったけれど、ザムドはにこにこしながら蜘蛛の死骸の山に戻っていった。


 しばらく心を無にして待っていると、ザークシードが大きな袋を三つも抱えてやってきた。


「ディアドラ様。この奥にもっと強い魔獣がいるはずですが、持ってきた袋がいっぱいになってしまいました。どうします? 奥にもっと強い魔獣がいれば、小さい魔石を捨てて、大きい魔石だけ持ち帰りましょうか」


 冷静に考えればザークシードの提案は正しい。ナターシアの結界に使う魔石を得るために来ているのだから、小さい魔石をたくさん持って帰るより、大きい魔石を少数持って帰る方がいい。でも奥に行くためには、この蜘蛛の死骸の山の向こうに行かないといけない。


 本音を言えば今すぐ帰りたい。


 でも、できるだけ早くナターシアの結界の再構築をしたいし、これはお父様に任せてもらった仕事なのだ。


「い、行こっか、奥……」


 のどまで出かかった「帰ろう」をどうにか飲み込んで、私はのろのろと立ち上がった。



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