06-03 生きる意味(2)
翌朝の朝食の時間、私が昨夜食事の途中で席を立ったことについては何も言われなかった。いつもどおり朝の挨拶をして、食事をしただけだ。あまりにいつもどおりだったから、話は終わりだと言われた気がして、少し不満を感じたくらいだ。
食後にいつもどおりザムドが誘いに来たけれど、カルラとお父様の話が気になったので断った。
お父様とカルラが二人で応接室に入っていくのを廊下からこそっと眺める。ちゃんと隠れているつもりだったけれど、カルラが部屋に入る前に私のほうを向いて苦笑した。どうして見つかったんだろう。
一度自室に戻る。一時間くらいかなと適当に当たりをつけ、本を開いて時間を潰そうとしたけれど、あまり頭に入ってこなかった。
一時間経ったことを確認してから、残っていたクッキーを持ってもう一度応接室の前に行ってみると、部屋の扉が開いていた。中を覗くと、カルラが一人でソファーに座り、頭をソファーの背に乗せている。
「なんやお嬢、どした?」
カルラが私に顔を向けてくる。ちょっとだけ疲れて見えた。私は部屋から持ってきた、昨日のクッキーの袋をカルラに見せる。
「クッキー、まだ残ってるよ。湿気る前に食べる?」
「……へえ、今度はお嬢が話聞いてくれるって?」
「聞くだけね。もちろんカルラが嫌じゃなければだけど」
カルラはすぐには返事をしてくれなかったけれど、「湿気たらもったいないな。食べよか」と少しだけ笑った。また厨房で紅茶をもらってから応接室に戻る。ローテーブルにトレイを置いて、私はカルラの隣に座った。
「うちとグリードはんが何の話をしてたか、わかっとるんやろ? さっき、すごい顔でうちらのこと見とったもんな」
「そんなにすごい顔してた?」
「してたしてた。もういっそ参加するか? って言いかけたわ」
カルラがまた苦笑を広げた。一体どんな顔をしていたんだろう。両手で自分の頬を触ってみたけれど、わかるはずもなかった。紅茶を二つのカップに注ぎ、片方を手に取る。一口飲んでからカルラを見上げてみると、カルラもカップを手に取った。
「さて、何聞きたい? まず結論は出てへん。いくらグリードはんに言われても、うちかて無理や」
「……どうしても?」
カルラをじっと見上げていると、カルラはちょっと困ったような表情で視線をそらした。お父様が言っても駄目だった、という時点で答えなどわかりきっていたのだけれど、どうしても言わずにはいられなかった。
カルラはカップをテーブルに戻すと、自分の靴をポイと脱ぎ捨てる。ソファーの上で膝を抱え、その上に自分の顎を乗せた。
「……だってみんな、すぐ死ぬやんか」
ため息混じりにそう言って、カルラは目を伏せる。カルラの頭の上の耳も下を向いていた。
「うちが誰かを庇ったり、ええから先に薬草使えって言うたりすると、みんな怒る。みんな同じこと言う。大丈夫やとか、気にすんなとか。もう何回、何十回言われたかわからん」
カルラは膝と胸の間に顔をうずめる。膝を抱える手は両方とも強く握りしめられていた。
「でも結局、いっつもうち一人が残される。置いてかれる。もう嫌や。これ以上、置いてかれるのは嫌なんや。庇うな言われても、体は勝手に動くし、うちかて制御なんかでけへん」
「うん……」
私は少しだけカルラに寄って、体をくっつけてみる。もともとカルラにかける言葉なんて私は持っていない。私はカルラが生きてきた時間の長さも、カルラが失ってきたものの多さも、何も知らないのだから。できることがあるとしたら、こうやってくっついて、話を聞くことくらいしか思いつかなかった。
カルラがため息をついてから、手を開いて顔を上げた。その目は天井に向けられていたけれど、何も見ていないように感じる。
「あんな、うちのレベルが上がりにくい話はしたやろ。昔からそうやから、うちは弱い期間も長かってん」
「うん」
「そんでな、うちの里では、うちみたいに年取るのが遅い奴が長をやる、って昔から決まっててん。うちが里を出るときに変えたったから今は違うけど」
ぽつり、ぽつりとカルラは話してくれる。
「うちの体質のことがわかった時点で次の里長はうちに決まった。せやから里に魔獣が出ると、皆が守ってくれた。うちの里の周りはこの辺より強い魔獣が多いからな、うちのこと守って、庇って、いっぱい死んだ」
カルラがまた顔を膝にうずめて手を握りしめたので、それにつられるように私もカルラの服の端を握った。
「せやから知ってるよ。一方的に庇われることがどれだけ辛いか、どれだけ悔しいか。知ってるけど……。うちはな、うちのこと庇って死んだ奴らに頼まれたんや。里のことを、下の子たちを頼むって」
「……でも、死んだ人たちは、カルラにそんな守り方をして欲しいなんて思ってなかったと思う」
「わかってる。けど、結果的にあいつらは命を使った。ならうちも全部を懸けてあいつらに報いんといかん。でないと釣り合わん」
私はカルラを守って死んだ人たちのことなんて何も知らない。でも誰も釣り合いなんて求めてなかったんじゃないのかな――そうは思ったけれど、言ってもやっぱり「わかってる」と返されるだけのような気がして、口にはできなかった。
カルラの面倒見の良さはそういう性分なんだとずっと思っていた。けれど今の話を聞くと、それだけじゃなかったのかな、と思えた。
里と里の人たちを頼むと言われて、カルラはその約束を守り続けてきたのかもしれない。ずっと――私には想像もできないような長い時間、ずっと。
「でもそれなら、里から出てきてよかったの?」
お父様が魔王になってすぐの頃からカルラは五天魔将をやっていたみたいだし、ほとんどずっとフィオデルフィアに出ていて、魔王城にすらめったに帰ってこない。里にもほとんど帰っていないだろう。カルラは少し顔を上げて、「ええんや」と静かに言った。
「うちみたいな体質に生まれたら次の長確定なんて、これから産まれてくる子がかわいそうやん? どっかで普通の奴と長を交代したかったから、丁度よかってん。グリードはんの語った夢も面白そうやったし、叶えばうちの里にとっても良さそうや」
「……そっか」
「それにグリードはんは、うちの里の周りの魔獣が増えすぎないように定期的に討伐してくれるって言うたし、実際やってくれとる。おかげで里はずっと平和らしいわ。うちが食料を仕入れてくれば、里の子らにも行き渡る。食料が足らんから無理に遠くまで山菜探しに行こか、なんて言わんでええ。前は食べ物を探しに出て帰って来ん子もいたしな」
聞けば聞くほど、カルラが自分の里のことばかり考えて行動しているのがわかる。でも、じゃあカルラ自身の希望はどこにあるんだろう。お父様の夢を面白そうだと言った、ただその一点にしかカルラの感情が含まれていないように聞こえた。そんなふうに自分を抑えて誰かのために生き続けるのは、辛くはないんだろうか。
「ねえカルラ、お父様が魔王をやめたらフィオデルフィアで生きたいって言ってたじゃない? あれも?」
「フィオデルフィアが気に入ったんはほんまやで。理由としては半分ってだけで。うちが里に戻ったらさ、じゃあまた長をやれって話になるやん。長にならんくても、元長が居座っとったら新しい長がやりづらいやん。せやから里には帰らん。……ま、次の魔王がどんな奴かにもよるけどな」
「それじゃあ、カルラの帰る場所がなくなっちゃうよ」
「別にええよ。むしろそこまで行ければ、里を独り立ちさしたったってことで、うちはお役御免やん? たまに里の様子見ながら好きにするわ」
「でも……」
カルラを見つめていると、カルラはなぜか少し笑って私の頭をなでた。それから私に寄りかかってくる。
「お嬢はほんま不思議なくらいええ子になったなあ。心配してくれたんやんな。ありがとうな。うち、言いたいことは我慢せんし、うちを守ってくれた奴らに報いるってのも自分で決めたことや。嫌々やっとるわけやない。グリードはんの下にならついてもいいと思ったんもほんまや。たぶん、お嬢が想像したよりは好きに生きとるで。うちはまだまだ大丈夫や」
まだ、っていうのは、〝いつか〟を想定しないと使わない言葉なんだけどな。そう思ったけれど、指摘する意味はきっとない。
「次は私も一緒にフィオデルフィアに行くからね。私、フィオデルフィアではまだ怪我一つしたことないし、ちゃんと自分で避けられるんだから」
「おっそうか?」
カルラは私から体を離すと、「そういう油断が一番良うないで」と言って笑顔で私の額を指で軽く弾いた。
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