06-02 二人だけのお茶会(2)


 午後はどうしようかなと思いながら廊下をぶらついていたら、カルラに声をかけられた。ちょうど一階から二階に上がる階段を上ろうとしていたら、上からカルラが飛び降りてきたのだ。びっくりした私はうっかり悲鳴を上げるところだった。


 カルラは「いたいた」と言いながら一階に軽く着地すると、笑顔で軽く片手を上げた。


「よーっすお嬢、久しぶりやな」


「うん、久しぶり。でももうちょっと心臓に優しい登場をしてほしい」


 私が少し口を尖らせると、カルラはおかしそうにまた笑った。それから自分の鞄から小さな袋を取り出すと、私に見せるように腰の位置まで持ち上げる。


 それはピンク色の袋でラッピングされた可愛らしい袋だった。誕生日でもないし特にイベントもないし、何のプレゼントだろう。


「土産にクッキーをうてきたんや。一緒に食べよ」


「クッキー!?」


 ナターシアではまず食べられない焼き菓子! 私は少し身を乗り出してカルラの持った袋を見つめた。そんなに大きな袋ではないけれど、少なくとも二、三枚は食べられるはずだ。美味しい昼食を食べ終わったばかりだが、お菓子なら別腹だ。


「食べる! じゃあ紅茶でももらってくるから、私の部屋で待ってて! ドア開けといてね!」


「あいよー」


 身をひるがえして駆け出して、さっきまでいた食堂の扉を通り過ぎる。その先にあるのは厨房だ。


 右足を前に出して走ってきた勢いを殺し、扉が開けっ放しの厨房の前で止まる。厨房では二人の使用人が昼食の片づけをしているようだった。


 私は厨房の奥で包丁を研いでいた人物に声をかける。


「ダンさん! 紅茶二つくれない!?」


 その人物は顔だけで振り向くと、片眉を少しだけ上げた。


 白い調理服をぱっつんぱっつんにして着ている彼は、格闘家だと言われても疑問に思わないほどいい筋肉に身を包んでいる。私の予想ではたぶん四十代だ。本当はダルシオンという名前らしいが、サーシャがダンさんと呼んでいるのでうつってしまった。


 ダンさんは皿を洗っていた別の若い使用人に視線をやると、「出したれ」と低い声で指示を出した。厨房をダンさんと二人で回しているヒョロっとした彼は、ええと確か、エルヴィスだった気がする。


 エルヴィスがお湯を沸かし始めてくれた。待っている間は暇なので、ダンさんに近付いてみる。ダンさんはちらっとだけ私を見たけれど、すぐに包丁を研ぐ作業に戻った。


「ねえ、今日のパスタも美味しかったよ」


「知ってる」


 ダンさんの料理は毎食何を食べてもとても美味しいし、全くハズレがない。でも私が料理の感想を述べても、いつも返ってくるのはこれだけだ。


 この世界で目覚めて感じた驚きは山ほどあるけれど、その一つはダンさんの料理が毎食本当に美味しい、ということだ。そしてそれ以上に、ディアドラはこの美味しい料理に毎日文句をつけていたのか!? ということに驚愕した。


 いや、ディアドラは文句を言いつつも、好きな料理が出た日はしっかり完食していた、ということを私は知っているのだが。ツンデレかよ。


 シャッ、シャッ、とダンさんが包丁を研ぐのをぼうっと眺めていたら、エルヴィスがポットと二つのカップが乗ったトレイを用意してくれた。


 お礼を言って、ポットの中身をこぼさないよう気を付けながら部屋に戻る。開けっ放しの扉から中を覗くと、カルラはソファーに横になってくつろいでいた。自室かよ。さっき見せてくれたピンクの袋はローテーブルの上に置かれている。


 カルラを呼ぶと、カルラはひょいと身を起こしてソファーに座り直した。


「待っとったで」


「うん、お待たせ」


 持ってきたトレイをソファーの前のローテーブルに置き、ポットを持って二つのカップに紅茶を注いだ。カルラの横に腰を下ろすと、カルラがピンクの袋を開けてくれた。中にはクッキーがたくさん入っている。数えてみたら十枚あった。


「美味しそう! ありがとう!」


「まあたまにはな。休暇といえば土産やろ。さ、食べよ食べよ」


 カルラが先に一枚取って、自分の口に放り込む。私も早速一枚食べた。これといって装飾のないシンプルなクッキーだけれど、サクサクでとっても甘い。


 カルラは自分の親指をぺろっと一度舐めてから、私を見下ろした。


「ところでお嬢、グリードはんの雰囲気がいつもと違う気がすんねんけど、何かあったか?」


「あー」


 口の中がクッキーで乾いてしまい、私は紅茶を一口飲んでからそれに答える。


「お父様がね、お母様の日記を見せてくれたの。それで、お母様のことを少しだけ話した」


「……へえ、あいつが?」


 カルラが目を丸くして動きを止める。それを見て、カルラもお父様の前でお母様の話題を出したことがあるんだろうなと思った。うんと頷いてからもう一枚のクッキーに手を伸ばす。


「お父様にお母様の話を振ってももう大丈夫だよ」


「そりゃ凄い。さすが娘は違うな」


 口をあんぐり開けてから、カルラは組んだ足の上で頬杖をついた。


「なら、まあ、あれは長年の反動か何かか。悪いもんではなさそうやしええか……」


 ん? 何のこと? お父様の雰囲気が変わったと言うから、前よりよく笑うようになったとかそういう話だと思っていたのだが、違うの?


 わからなかったけれど、まあいいかと思うことにして、私はカルラを見上げた。


「お母様の日記にね、カルラのことも書いてあったよ。カルラが帰ってきた日に四人でお茶会したって」


「なっつかしー! やったやった。うち、ちょくちょく土産も買ってきとったわ」


 カルラがぱっと笑顔になって私を見る。他にもあるかと聞かれたので、天井に目を向けながら考えた。


「あと何だっけな。あ、〝私が死んだらよろしくね〟ってカルラに頼んだら断られた、って」


「……ああ、アレか」


 急にカルラの声から温度が抜け落ちた気がしてどきりとする。ぱっとカルラの方を向いたら、カルラは正面を見つめながら眉を寄せていた。けれどすぐに私に視線を返して苦笑を広げる。


「あんな、うちにも言い分はあるんやで。いつもどおり買い出しして帰ってきたら、サフィリアは体調悪いから寝てるって聞いて、軽い気持ちで見舞いに寄ったんよ。そしたら突然もう二度と会えへんみたいな話をされてさあ。びっくりするし、そんな話は聞きたない! ってなるやん?」


「まあ、それはそう」


「せやろ?」


 カルラは大げさにため息をつくと、また組んだ足の上で頬杖をついた。視線を落とし、まぶたを半分伏せるようにする。


「自分が先に死ぬってわかっとる奴らは皆、勝手なこと言うんや。あれ頼むだのこれ頼むだの……これ以上、生きなあかん理由を増やされたって、うちかて困るんや」


「カルラ……」


 遠い目をしたカルラにかける言葉を探したけれど、何も思いつかなかった。人よりずっと長く生きているというカルラは、どれだけの人を見送ってきたんだろう。


「ま、そんなわけでお嬢が死ぬ前に最後のお願いなんて言われても断るからな。何も頼まんといてや」


 カルラが私に視線を向けて、私の頭をくしゃっとなでた。カルラにそんなお願いをするようなシチュエーションは全く思いつかなかったけれど、つい頷いてしまった。でももし本気で頼んだら、カルラはちゃんと聞いてくれるんじゃないかな、という気もした。


 さてと言い置いてから、カルラはにこりと笑う。


「ところでお嬢。こないだキルナス王国でブチ切れとったけど、あれなに? そのあともちょっと様子おかしかったけど、どしたん?」


「!」


 ピシッと顔を硬直させた私を、カルラは笑顔のまま見つめてくる。お説教が始まりそうな感じはしないけれど、「あれは、その……」と私は下を向いた。


 まさか珍しくクッキーを買ってきたのはこの話をするためだったの?


 ちらりとカルラを見上げてみたら、やはり笑顔のままこちらを見ていた。その目がとても優しい気がして、私はもう一度視線を落とす。


「……怖かったの。王都の外でたくさん魔族と戦ったけど、私の火球が当たったときに相手が叫ぶ声も、殺意を向けられるのも、全部怖くって。でも他に誰がやるんだって思って、その、私、いっぱいいっぱいになっちゃったっていうか」


「うん」


「煙が上がってた方に行ってみたら、フィオネは見当たらないし、皆血だらけだし、もうそこで限界を超えたっていうか、ついぷつっと……。あんなにいろいろ燃やすつもりも、カルラに火傷をさせる気もなかったのに。その時の話をされると、怖かったのとか、もっと上手くやれたんじゃないかなあとか、思い出しちゃうの」


「そうかそうか」


 ぽんぽんと頭を優しく叩かれる。けれど「あんたさあ、昔は火球を人に当てまくっとったんちゃうの?」と呆れたように言われ、ぐぬっ、と言葉に詰まった。


 それは私だったかもしれないけど私じゃない、とは言えずに「そんなに痛くて熱いと思わなかったんだよ」ととっさに言い訳を口にする。カルラはふうんと言うだけでしばらく黙ってしまった。


 しんと落ちた沈黙に耐えかねて、ちらりとまたカルラを見上げてみる。カルラは眉を寄せて首を傾げていたけれど、不意にソファーの背に身を預けて天井を見上げた。


「怖いなー。まあ、全くわからんってこともない。キルナス王国で出てきた変なお化けみたいなやつは、うちも怖かったしな」


「え、カルラにも怖いものなんかあるの?」


 目を見開いたら、ちょっとだけ睨まれた。


「ジュリアスの坊んといい、お嬢といい、うちを何やと思ってんの? まあ、強い女に見えとるならええけどさ」


 カルラは大げさにため息をついて、また頭をソファーの背に乗せた。


「うちにも怖いものはいっぱいあるよ。ナターシアの夜も嫌いや、いつも真っ暗で。フィオデルフィアなら月も星もあるのに」


 カルラの目は天井に向けられている。そういえば以前フィオデルフィアで馬車に乗せてもらったとき、彼女は夜になるといつも空を見上げていた。よっぽど夜空が好きなんだろうなあと思っていたけれど、少し違ったんだろうか。


「……ただ、うちが一番怖いのは、置いていかれることや」


 ぽつりと呟くようにカルラは言う。


「うち、こんな体質やからさ。誰と仲良うなっても、みーんな先に死んでまうんや」


 カルラは両足を上げて膝を抱えるように持つと、視線をテーブルに戻した。でもテーブルにある何かを見ているわけではないような気がした。


「寿命はしゃーない。でも、奪われるんは嫌や。奪わせへんためやったら、うち、何でもやれる。怖いとか嫌やとか全部忘れる。お化けだろうが同族だろうが、何だって倒したるわ」


 カルラの言うことは少しわかる。キルナス王国で私が王都の外に残って戦えたのは、ゲームのイベントを現実にしたくないって思ったからだ。ゲームのイベントの通りならフィオネも国の人たちもみんな死んでしまうから、そうしないためなら怖いくらいどうってことはないと、自分に必死で言い聞かせていた。


 今だってもし、お父様やこの世界で出会った皆を守るためにもう一度戦えるかって聞かれたら――もちろんすっごく怖いけれど、またいっぱいいっぱいになってしまうかもしれないけれど、戦える、と、思う……たぶん。


 そうだ。この世界で誰かを守りたいなら、戦いの瞬間だけでも、怖いなんて忘れられるようにならなくちゃ。


「ねえ、怖いのはどうやって忘れるの?」


「せやなあ、うちはめっちゃ文句言う。がーって文句言いながらいろいろ吐き出してすっきりしたら、深呼吸して終わり。ま、うちは怖くなくてもめっちゃ文句言うし、他のやつには見分けつかんやろ」


「へえ……」


 そのまま同じようにはできない気はしたけれど、カルラでも気持ちを落ち着けるための儀式みたいなものはあるんだな。


「ありがと、カルラ。心配してくれたんだよね。あと、あのとき火傷させてごめんね」


「あー、あんなん気にせんでええよ。いろいろ燃やしたんも、そんな気にする必要ないんちゃう? むしろようやったと思うで。自信持て」


「そうかな……」


「せやせや。誰かに何か言われたら、うちがその十倍褒めたるわ」


「なにそれ? ……うん、でもありがと」


 笑ってカルラを見上げると、カルラも「おっ、ちょっと元気出た?」と笑みを広げた。


「なあお嬢、もう一個聞いてええ? あんたさあ、リドーとカリュディヒトスの件があってから急にええ子になったやん? いろいろあったとは言うとったけど、なんで?」


「あれは……」

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