05‐06 母の日記(4)


 朝食のために食堂に向かったけれど、普段なら先に来ているはずのお父様の姿はない。食事の配膳は終わっているから、時間を間違えたということではないはずだ。お父様の席にも私の席にも、まだ温かい料理が並んでいる。


 先に食べようかな、と、私は椅子に座ってパンを手にとった。お父様も私も、食事の時間を過ぎても相手が現れなければ、いつも待つことなく食べ始めている。


「ディアドラ様」


 サーシャが食堂の入り口から顔を覗かせたので、私は口にパンを含んだまま振り返った。口の中がいっぱいで声が出そうになかった私は、首を傾げることで「なあに?」と聞いてみる。


 サーシャが私を見て、ためらいがちに言った。


「グリード様なのですが、朝食はあとで取られるそうです。気にせず食べてほしいと仰っていました」


 ……なるほど?


 お父様がそう言った理由など、今日なら一つしかないのだろう。まだ粒の大きいパンを無理やり飲み込んでからサーシャに聞く。


「お父様はどんな様子だった?」


「ええと、お部屋の外から言葉を交わしただけなので、わかりません」


「わかった。ありがと」


 サーシャはわからないと言ったけれど、ためらいがちに話す様子から、なんとなく察した。大急ぎで朝食をお腹に詰め込むと、駆け足でお父様の部屋へと向かった。そしてお父様の部屋の戸を、ノックもせず勝手に開ける。


「お父様!」


「――っ」


 ベッドに座っていたお父様が、慌てたように私から顔を背けた。


 一瞬だったけれどお父様の頬に光るものが見えたから、自分の予想が正しかったことを理解した。やっぱりお父様は、お母様の日記を読んだんだ。お母様の日記の中でお父様を泣き虫と表現した文章があって、誰のことだそれはと読んだときは思った。けれど普段見せないだけで、それもまたお父様なんだろう。


 私は扉を閉めてから、お父様のベッドの、お父様が座っているのとは逆側に駆け寄る。ぽいぽいと靴を脱ぎ捨ててベッドに登ると、お父様の後ろ側に座る。背中と背中を合わせるように。


「……?」


 お父様がちらとこちらを見る。私はお父様と視線は合わせずに、後ろ手でお父様の手の平を探し、それをぎゅっと握った。以前お父様と手を繋いだときより私も成長したはずだけれど、やっぱりまだお父様の手は大きく感じる。


 お父様の背に、自分のそれを後頭部ごと押し付けるようにする。衣服越しに伝わるお父様の熱は温かかった。


「ねえお父様、最後まで読んだ?」


「……ああ」


 お父様の返答は少しだけ涙混じりの声だ。そっかと呟いて、できるだけ明るい声を出す。


「あのね、私が一番笑ったのはね、やっぱりジュリアスがお父様について語ってた日の話だったよ。シリクスさんって面白い人だったんだね」


「……そうだな」


 お父様をどうやって励ましたらいいかなんて私にはわからない。お母様に会ったこともない私に言えるのは、せいぜいノートを読んだ感想だけだ。あの時は楽しかったって一緒に思い出してもらえるような、そんな感想になっていればいい。


 小説の感想を友達に話すときと同じだと思えば、言葉は予想よりすらすらと出てきた。


「告白もプロポーズもお母様からだったなんて、お母様って積極的な人だったんだね。だめだよう、お父様もちゃんと言わないと」


「……いや、その」


「お父様がお母様を大事にしてたことはね、読んでたらなんとなく分かるよ。お母様もお父様のことが大好きだったっていうのは、すっごく感じた」


 ぴく、とお父様の指が動く。それには気が付かないふりをして、私は続けた。


「小さい頃からずっと一緒で、結婚までしちゃうなんて、二人とも一途だね。ふふ」


「……」


「ねえお父様、そういえばね。三日目の日記に書いてあった、お父様が笑った理由って何だったの? 覚えてる?」


 先代魔王を倒してから暗い顔をしていたお父様がやっと笑ってくれた、でも理由がわからない、とお母様は書いていた。あれは何だったんだろう。そろそろ聞いても大丈夫かな、早かったかな。少しだけ不安になりながら、私はちらりとお父様を見上げてみる。


 お父様は私に背を向けたまま言った。


「笑った理由を教えろとしつこく詰め寄られたから覚えている。あれは、ただサフィにつられただけだ」


 お父様の声にもう涙は混じっていない。そのことに安堵して、私は「どういうこと?」と振り返って聞いてみる。


 お父様は窓に視線を向けていた。カーテンが閉まっているので外は見えない。けれど薄い光がカーテンの縁に灯って見える。


「死に至る呪いを受けたというのに、サフィがそんなことは意に介さぬように、森で美味しそうなキノコをたくさん見つけたと、そんな事ではしゃいでいた。その笑顔がとても綺麗に見えたから――ただ、つられて笑っただけだ」


「そっか……」


 ただ笑っているだけでお父様の笑顔を引き出すなんて、お母様はすごい。お父様がどれだけお母様を好きだったのかがわかる気がする。私は娘なのだから比べる意味はないとわかっていても、つい嫉妬してしまいそうだ。


 お父様がようやくこちらを振り返ったので、私はお父様を見上げる。


「ありがとう、ディア。なんだか久しぶりに、サフィの笑顔を思い出したよ」


 お父様がそう言って笑ってくれたので、


「へへ、私だって役に立つでしょ? もう十二歳のお姉さんなんだからね!」


 と、私もえっへんと胸を張りながら笑顔を広げた。お父様はふっと笑ってから、「いつまでも子供扱いしてはいかんな」と言って私の頭をなでてくれた。



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