05‐06 母の日記(3)


 日記はそこで終わっていた。


 私は静かに日記を閉じると、そのままベッドに倒れこむ。


 最後まで読んだけれど、これを書いた人がお母様なのだと言われても、なんだか実感がわいてこない。ずっとずっと昔に、日本で母から父の話を聞いたときもそうだった。


 でも、お母様がお父様にこの日記を渡した理由はわかる気がする。お母様はたぶん、時々は思い出して欲しかったんだ。自分がいた日々のこと。お父様のことが大好きだったってこと。そして日記の最後の手紙を読んで欲しかったんだ。


 詳細はわからなかったけれど、お母様は先代魔王を倒したときに呪いを受けて、死ぬ運命にあったんだろう。最後の方には死にかけたような記述もあったし、たくさん眠っていたとも書いてあったから、出産直前はもう起き上がることすら難しかったのかもしれない。でも、自分が死ぬとわかっていても、それを悲観するようなことは書き残されていない。


 何も思わなかったわけではないんだろう。破り捨てられたページもあったし、ところどころ書きかけた文章を消して上から書き直した跡もあった。消された文章はほとんど読み取れないほどしっかり消されていたけれど、〝怖い〟〝グリードを残して死にたくない〟と、辛うじて読み取れた箇所があった。


 ただ、その言葉を残しはしなかった。


 カルラが以前、お母様のことを〝穏やかな割に強い子だった〟と表現した意味がわかった気がする。


 この日記はお父様に返そう。私に持っていてくれとお父様は言ったけれど、これはやっぱり、お父様が読んであげるべきだ。特に最後はお母様からお父様への手紙なのだから。


 窓の外に目を向けてみる。もう外は真っ暗だ。でもお父様はまだ寝ていないだろうし、うっかり汚してしまう前に返さなきゃ。ベッドからひょいと飛び降りて、ノートを抱えて部屋から出た。お父様の執務室に行ってみたが、お父様もジュリアスもいなかった。


 仕事が終わったならもう寝室かな? お父様の寝室の扉をノックしてみると、少ししてからお父様が扉を開けてくれた。


「……ディア? どうかしたか?」


 お父様が不思議そうな顔で首を傾げる。

 私はお父様にノートを差し出した。


「あのね。これ、読んだよ」


「……そうか」


 お父様はノートに手を出そうとしない。私はノートを差し出したままお父様を見つめた。


「それでね、やっぱりお母様は、お父様に読んで欲しかったんだと思う。だからこれはお父様に持ってて欲しいな。できたら、読んであげて」


 そう言って少し前にノートを押し出してみたけれど、やっぱりお父様は手を出してこない。ただ困ったような顔でノートに目を落としている。もしかしたらお父様は、今でもお母様のことを思い出すのも辛いのかもしれない。


 でも。


 この日記に書かれていたのは、お母様の感じたあたたかな日々だ。それはきっとお父様にとっても幸せな記憶のはずだ。だったらそれは、懐かしい記憶として思い出してほしい。辛い気持ちもあるかもしれないけれど、きっとそれだけじゃないはずだから。


 私にとっては遠い物語のようなノートだったけれど、その時を生きたお父様にとってはきっと違う。書いてあること以上の思い出が浮かぶもののはずだ。


「大丈夫だよ、お父様。この日記にはお母様のお父様への想いと、幸せだった日々が詰まってる」


 そう言ってにっこり笑い、お父様の右手にノートを押し付けるようにした。お父様がノートをゆっくりつかんだので、すぐに手を離す。そしてくるりと向きを変えると、「おやすみなさい、お父様!」と言い置いて駆け出した。


 お父様がノートを読んでくれるかはわからないけれど、読んでくれたらいいな、と思った。



   ◇ 



 いつもより早く目が覚めてしまった。


 グリードは身を起こすと、窓の方に目を向けてみる。閉じたカーテンの向こうにまだ光は見えない。ふう、と息をつく。それから枕元に置かれたノートに視線を落とした。


 昨日ディアドラは読んで欲しいと言っていたが、結局グリードはそれを開くことができずに寝てしまった。


 ――やっぱりお母様は、お父様に読んで欲しかったんだと思う。


 ディアドラはそう言った。どうしてそう思ったのかは聞きそびれてしまったけれど。


 ――大丈夫だよ、お父様。この日記にはお母様のお父様への想いと、幸せだった日々が詰まってる。


 また娘の言葉を思い出す。確かにあの頃は幸せだった。いつサフィリアの命が消えるかわからない恐怖に怯えながらも、日々やるべきことに忙殺されながらも、それでも確かに幸せを感じていた。


「……」


 グリードは再びノートに目を落とす。自分には一生読めないだろうと思っていたが、娘が読めと言うのなら、一ページくらいは開いてみるべきなのではないか、という気がした。母について何も語れていないのだから、せめてそれくらいはすべきではと思ったのだ。


 グリードは手を伸ばすと、薄いノートの表紙に触れた。


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