05-05 ジュリアスの思い


 ザムドと森の奥に遊びに出たものの、お父様のことが気になったので、少し早く帰ることにした。


 帰りに空から見下ろしてみたら、シリクスさんの研究室の扉が開いている。ジュリアスかな。いったん地面に降りて扉から中を覗くと、ジュリアスが部屋の中央で床を見下ろしている。


「ジュリアス、どうしたの?」


「ディアドラ様」


 声をかけるとジュリアスが振り返って床を指差した。中に入ってみると、床のラグの中央に寝袋が広げられている。床に描かれた長方形の位置に寝袋を置いた形だ。


「……ほう?」


 それは寝袋の文字とラグの模様とが合わさって、〝ULYU〟〝一〟と読めた。本棚の奥には五と書かれていたし、キッチンのカーテンは二だったから、三と四も部屋のどこかにあるんだろう。


 遊んでいる間にジュリアスが一人で謎を解いてくれたらしい。若干申し訳なくなったものの、めちゃくちゃ助かる。私は朝、床の長方形にそのまま寝袋を乗せて、ハテこれは何だろうと首を傾げていたからだ。


「じゃあ、あと三と四だね」


「いえ、三は見つけました」


 ジュリアスは机の引き出しに入っていた大きな手鏡を取り出すと、カーテンを開けた。そして床に光を当てるように手鏡を動かしていく。床には落書きのようなものがいくつも描かれている。その一つの横に光が当たった時、〝YJLJ〟〝三〟という文字が現れた。


 私はおおと声を上げながらジュリアスを見る。


「すごい! あと一個だね!」


「六以降がないとは限りませんが、まあ一番目立つ位置の数字が五ですから、おそらくは」


 ジュリアスは手鏡を机に戻す。まだよくわかっていないのは、キッチンの棚の奥にある二つ目の仕掛けと、スイッチを二回押すと青く光るスタンドライトだ。脱出ゲームなら何かに青いライトを当てるんだろうけれど、その何かはわかっていない。


 私は本棚に目を移した。


「本棚の本やノートって、ジュリアスは調べた?」


「はい。ナターシアの結界の再構築方法を調べている間に、一通り目を通しました」


「一通り!? この量に!?」


 目を見開いてジュリアスを見たけれど、ジュリアスは涼しい顔で頷いた。一冊開いて頭痛がした私とは出来が違う。ジュリアスのことだから、ぱらぱらめくってみた、という意味ではないのだろう。読破したということだ、たぶん。


「ただ、不自然なものはありませんでした。父は時々、本棚の本を城の書庫にあるものと入れ替えていましたし、本に意味はないと思います。ノートやメモもよく雑に捨てていました」


「そっか。ヒントの本が書庫に移動しちゃったってことはない?」


「断言はできませんが、おそらくはないと思います。この部屋の謎は、ほとんどが固定されたものか、そうそう持ち出さないもので構成されていますので」


「ふうん……」


 確かに固定されたものが多い。床の落書きは透明な塗料で保護されているらしいし、お風呂場の鏡も動かせない。動かせたのは寝袋と、カーテンと、大きく重い手鏡くらいだ。どれも引き出しや棚の奥にしまわれていたし、壊しでもしない限りわざわざ持ち出す機会はなさそうだ。


「今日はこれくらいかな?」


「そうですね」


 また明日も頑張るか、と大きく伸びをしてから、ジュリアスをもう一度見た。機嫌はいつもどおりに戻っているように見える。ちょっと迷ってからジュリアスに向かって口を開いた。


「朝、シリクスさんとお母様の浮気を疑われても困る、なんて言ったの嘘だったんでしょ」


 ジュリアスは「はい、嘘ですよ」としれっと返してきた。大きなため息を吐きたい気持ちになりながら私はむくれる。


「ちゃんと言ってよ! お父様にお母様のことを聞きそうになったじゃない!」


 当然謝罪が返ってくるものと思っていたけれど、ジュリアスは「聞けばよろしいのでは?」と静かに言った。


「サフィリア様のことをほとんど覚えていない私がお話するのはどうかと思ったので、嘘をつきました。でもディアドラ様には、サフィリア様のことをグリード様にお尋ねする権利がおありでしょう。むしろ今までよく何も聞かずにいられましたね」


「いや……それは」


 私としては、突然この世界で目覚めてそれどころでもなかった、というのが正直なところだ。それに母なら日本にいたから、逆にこの体の母親のことなんて、カルラに言われるまで気にしたことすらなかった。


 でもディアドラがよく母のことに触れなかったな、と考えると、ちょっと言葉に詰まってしまった。とはいえディアドラが考えていたことはよくわからないので、流すことにする。


「でもお父様はまだ立ち直ってないんでしょ?」


「傷を傷のまま放っておけば化膿することもあります。サフィリア様が亡くなってからもう十年以上経つでしょう。いつまで引きずっているのだろうこの人は、とも思っていました」


 ……ん?


 ジュリアスの言い方から若干の鋭さを感じ、ジュリアスをまじまじと見つめてしまった。いつもお父様について語るときは推しを語るファンのごとく熱く持ち上げるジュリアスが、お父様のことをスパッと斬ったような気がしたからだ。


「え、今、女々しいって言った?」


「言いましたが何か?」


 ジュリアスが真顔でそう答えたので、私は目を見開く。


「ジュリアスはお父様を盲信してるのかと思ってた……」


「そういう時期も確かにありました。ですが、何年も毎日一緒に働いていれば、グリード様を完璧超人のように語った父の話は、半分くらいは適当な作り話だった、ということくらいわかりますよ」


 ジュリアスは眼鏡を押し上げる。


「以前ディアドラ様にお話したグリード様の功績については、大方本当だろうと思っていたことだけ拾い上げました。ので、そこはご安心ください」


「いや、別に疑ってないけど……」


 たぶん私がこの体で目覚めてすぐ、ジュリアスがお父様について話してくれた時のことを言っているのだろう。その時の話もだいぶお父様が格好良く聞こえたので、嘘だと切り捨てられた話の方が気になった。ジュリアスは一体、シリクスさんから何を聞かされて育ったんだろう。


「ついでですからもっと言いましょうか? グリード様はよく計算を間違われます。いちいち直すのが面倒になったので、数字を扱う仕事は全て取り上げてしまいました」


「お、おお……」


 それはジュリアスが正確すぎるのでは? でもお父様が計算を間違う頻度も程度も知らない私は口を挟むのをやめた。この世界に電卓はないのだから、多少計算を間違うのは仕方がない。


「サフィリア様の件もそうですが、精神的にはそこまでお強い方でもないですね。それから他人を信用しすぎです。城に差し入れと称して持ち込まれる食べ物を不用意に食べようとするので困ります。毒を盛られていないか少しは疑って頂きたいものです」


 お父様のことをスパスパ斬っていくジュリアスを見ていると、誰だろうこれは、という気持ちになった。お前大丈夫か? と感じるくらいお父様を讃えまくっていた姿とはまるで重ならない。いや、今の方が真っ当に見えるけれど、それは私の知るジュリアスとは違う。


「それからグリード様は物静かな方なので、さぞ思慮深い方なのだろうと昔は思っていました。が、あれは違いますね。ぼんやりしているだけです」


「それはわかる」


 苦笑しながら頷く。庭で財布は落とすし、小遣いとは何だとか言うし、剣は振って斬れば良いのだろうとか言うし、たまにぼけっとしている。お父様が廊下で窓の外を見ているから何かあるのかと思って聞いてみたら、本当に何もなかったこともある。


 カルラも似たようなことを言っていた。〝ボケボケグリードはん〟とか〝グリードはんは何も考えてへんことが多い〟とか。


 ジュリアスはため息交じりに首を横に振った。


「いえ、いいんですよ? 魔族同士の喧嘩で用水路や柵がまた壊れただの、どうでもいい仲裁をしてくれだの、毎日頭の痛いことばかりですから。ぼんやりすることで息を抜かれているならいいんです。が、こちらの話を丸々聞き返されると、イラッとすることはありますね」


「ジュリアス……お父様がなんかごめん……」


 ジュリアスの愚痴なんて初めて聞いた。もしやこれは毎日ストレスをためているのでは? でも納得できず、首を傾げながら聞く。


「それだけいろいろ思ってるなら、お父様を語るときのあの熱量は何なの?」


「は?」


 ジュリアスは不可解そうに眉をひそめた。


「この程度でグリード様の偉大さが揺らぐわけがないでしょう。これでも抑えています。ディアドラ様にはグリード様がいかに素晴らしい王であるかをご理解いただいたものと思っていましたが、まだ足りないようですね。でしたらもっと詳細にご説明しましょう! まず――」


 メガネをキラッと光らせ、若干早口でお父様を讃え始めたジュリアスを眺めながらほっとする。よかった、私の知っているジュリアスが帰ってきた。やっぱりジュリアスはこうでなくては。


 にこにこしながらジュリアスの話を聞いていたら、一区切りつくまで話し切ったジュリアスが、ちらと窓の外に目を移した。つられて同じ方を見ると、外は暗くなりつつある。夕食より早めに城に戻るつもりでいたが、結局いつも通りになりそうだ。


 ジュリアスはカーテンを閉めてから、私の方を振り返る。


「子供の頃は父の語る話を信じ、物語の英雄のような方なのだろうとただ憧れていました。ですが今は、グリード様の欠点も引っくるめた上で、お慕いしておりますよ」


 そう言ってジュリアスがふわりと笑う。ジュリアスが見せてくれたのは、とてもやわらかな笑みだったので、


「……うん、私も」


 私もジュリアスにつられて、同じように笑顔を返した。



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