05-04 過ぎ去った日々の物語(2)


「あれ? ディアドラ様だ」


「ほんとだ。なーに、遊びに来たの?」


 ザムドと一緒に先に食卓についていると、リーナとレナが階段を降りてきて、私たちの向かいの席に座った。それから食卓を見回して、「お父さんは?」とミュリアナに聞いている。


 ザークシードは飴を買ってくると言って出ていってしまったので、今は家にはいない。ミュリアナは待つ素振りもなく食事を並び終えると、自分も一つの椅子に座った。


「先に食べましょ。はい、いただきます」


「はーい」


「いただきまーす」


「いただきます」


 ミュリアナたちが食事を始めたので、私も出してもらった冷たいお茶を一口飲んだ。ちょっと苦い。リーナとレナはパンを手に取るなり、顔を見合わせて私にはわからない話を始めた。それをちらっと見てから、私はミュリアナのほうを向く。


「ディアドラ様が遊びに来てくれて嬉しいわ。もう覚えていないでしょうけど、私、ディアドラ様が産まれたばかりの頃は乳母もやらせてもらってたのよ」


 と、ミュリアナはにこにこしながら言った。そんなことは初耳だ。私がへえと目を丸くすると、ミュリアナは「でもねえ」と言って残念そうにため息をついた。


「ディアドラ様ったら、一歳になる前から泣くたび炎を飛ばすようになっちゃって、危ないからって魔王城には入れてもらえなくなっちゃったの」


「えっ、なんかごめんなさい」


 一歳なんてまだ話せもしないのに、よくまあ魔法を使えたものだ。さすがディアドラ、当時からきっとステータスも高かったに違いない。


「あらごめんなさいね、責めてるわけじゃないのよ。悪いのは弱い私のほう。ただ、そんなだったから、久しぶりにお会いできて嬉しいなあってだけ」


 ミュリアナはそう言って、にこにこしながら自身の頬に手を当てた。ザークシードが戻ってきて、私の前に買ってきたばかりの飴の袋を置いてくれる。途端にザムドやリーナ、レナの視線が飴に集まって、私は「後で皆で食べようよ」と苦笑した。


「いえ、これはディアドラ様がお召し上がりください」


 ザークシードがそう言うと、「えーっ」という子供たち三人の不満げな声が揃う。さすが姉弟、息ぴったりだ。


 どうせ一人で一袋なんて食べきれないし、食後に分ければいいかな。飴の袋を開けると、小さな袋の中に毬みたいな丸い飴が十個くらい入っていた。カルラが仕入れてきて、シフォンが販売してくれているやつだ。


 ザークシードは手を洗うと言って出て行ってから、もう一度木箱を持って戻ってきて、その木箱を床に置いて座った。


「ねえ、ミュリアナはお母様のことを知ってるの?」


 さっき彼女がお母様の名前を呟いたことが気になった私は、意を決して聞いてみることにした。ミュリアナをじっと見つめると、ミュリアナはきょとんとした表情をしてから、少し困ったような顔をにザークシードに向けた。


「ねえ、ザック。やっぱりグリード様は、まだ……?」


「ぬ……」


 ザークシードが表情を曇らせてから一つ頷く。ミュリアナは私に向き直ると、食事の手を止めて両手を胸の前で組み、そこに自分のあごを乗せた。


「サフィリア様のことはもちろん知っているわ。私と、ジュリアスのお母さんのフルービアと、カルラと、それからサフィリア様。私たち四人、とっても仲良しだったのよ。サフィリア様が生きてらした頃は、私もフルービアもよく魔王城に遊びに行ったわ」


 ミュリアナはそう言ってにっこり笑い、「まあ、カルラはほとんどこっちにはいなかったけど」と付け足した。ということは、シリクスさんの研究室にあったカップに書かれた名前のうち〝ミュー〟というのはきっと彼女のことなんだろう。


「そうねえ、何を話せばいいかしら。その様子だと、グリード様からは何も聞いてないのね?」


 私は黙って頷く。カルラは「うちが最初に話すんは違う」と言って教えてくれなかったし、お父様もあの様子ではもう聞けそうにない。ミュリアナからお母様のことを聞いてもいいのだろうかという不安が頭をよぎったけれど、それでも知りたかったから、黙って彼女が話してくれるのを待った。


「グリード様はまだ、サフィリア様を失った悲しみから立ち直れてはいないのね」


 ミュリアナはそう言って、少しだけ寂しそうな顔をした。でもすぐに笑顔を取り戻す。


「グリード様って、表情筋が固いじゃない?」


「う、うん」


 お父様の表情の乏しさを表情筋が固いと表現する人は初めて見た。でも、そんな風にスパッと言ってのけるところにお父様との親しさを感じる。


「でもねえ、サフィリア様が隣にいるときだけは違ったの。ほとんどずっと笑ってらしたわ」


「お父様が?」


「サフィリア様がいるときに、グリード様が声を上げて笑っているところも見たわ」


「ええっ!?」


 お父様と仲良く話せるようになってから、お父様の笑顔を見る機会は増えた。でも私といる時にお父様がずっと笑っているかというと、そこまでではない。それにお父様が声を上げて笑ったところなんか、ディアドラの記憶にはないし私も見たことがない。


 なにそれ羨ましい! 私だって見たい!


 つい固まってしまった私を見て、ミュリアナはふふっと笑った。


「サフィリア様が亡くなってから一年くらい、グリード様が全く笑わなくなってしまって、皆とても心配したの。でもディアドラ様が一歳になった頃、やっと笑ってくれた。ディアがパパと呼んでくれた気がする、って」


 ねえ、と言ってミュリアナがザークシードを見る。ザークシードは頷いたが、すぐに苦笑を広げた。


「正確に言えば〝たた〟でしたね。本当にパパと言ったかどうかは誰にもわかりませんが……まあ、親なんて都合よく解釈するもんです」


 私は中途半端に開けた口から、へえー、という声を出した。それが私だったら確実にパパと言ったのだろうけれど、私がこの体の中で目を覚ましたのは十歳の時だった。だからそれは本当にディアドラが口にしたことだ。


 でも、お父様を殺して魔王になった、あのディアドラが? 一歳とはいえパパなんて言うか??


 頭の中に大量のハテナが浮かんだけれど、まあ、世の中には〝そういうことにしておいたほうがいい〟こともたくさんあるのだろう。さすがに一歳の頃の記憶はないし、うん、触れるのはやめよう。


 私の反応は違う意味で取られたらしく、「覚えてるわけないわよね」とミュリアナは言った。


「昔はシリクスもいたから、グリード様は今より表情豊かだったわよ。あの二人はグリード様にとって特別だったから」


「ええー……?」


 表情豊かなお父様が想像できず、私は眉を寄せて首を傾げた。


 いろんな人の話に出てくるシリクスさんとは一体何者なんだろう。シリクスさんが亡くなったとき、お父様は声を上げて泣いていたと、以前カルラが話してくれた。お父様にとって大切な人だったというのはわかる。けれど私が知っているのはほとんどそれだけに近い。


「シリクスさんっていうのはどういう人だったの?」


「ええとね、グリード様とシリクス、サフィリア様、フルービアの四人は同じ村の出身なんですって。いわゆる幼馴染ってやつね」


 突然ザークシードがザムドの名を呼ぶ。びっくりして隣を見ると、ザムドが私の飴に手を伸ばしていた。食器は空になっているので、私たちが話している間に昼食を食べ終わったらしい。


「あげる」


 袋の口をザムドの方に向ける。するとザムドだけでなく、リーナやレナも手を伸ばしてきた。ちょっとだけ袋の向きを変えて、二人にも取れるようにしてあげる。三人がそれぞれ飴を口に放り込んでから、私も一つ出して口に含んだ。うん、甘い。


「ごめんなさいねえ」


「申し訳ない」


 ミュリアナとザークシードがため息交じりに頭を下げる。私はいいよと胸の前で手を振った。


「ディアドラ様、ありがとー」


「ありがとー」


 リーナとレナがぴょいと椅子から飛び降りて、それぞれ自分の食器を流しに戻した。ザムドも自分の食器を片付けたけれど、姉二人が部屋を出ていくのを見てからもう一度私の横に座った。


 ザムドの視線は飴の袋に向いている。ザムドの手が伸びてくる前に、「口の中のが食べ終わってからね」と告げておく。


「それで、何だっけ? あ、シリクスのことよね。シリクスとグリード様は、年も離れていたし言葉にこそしなかったけど、親友と呼べる間柄だったわ」


 ミュリアナが話を戻した。けれどさっきから彼女は話してばかりで食事が進んでいない。食べていいよと言うと、あらありがとう、と答えてミュリアナがパンを手にとった。


「ではここからは私がお話しましょう。グリード様が先代を討った時の話はご存知ですか?」


 食べ終わったザークシードがそう言ったので、私は彼に視線を移した。


「ジュリアスからちょっとだけ。でも、ジュリアスはお父様の話しかしなかった」


「はっはっは、まあ、ジュリアスですからな」


 ザークシードはおかしそうに笑ってから続ける。


「グリード様は、先代を討つためにサフィリア様とシリクスと共に村を出たんだそうです。ジュリアスがまだ小さかったので、フルービアは村に残ったと聞いています」


「へえ」


 ジュリアスはもう産まれていたのか。お父様が魔王になったのはお父様が十五の時だとカリュディヒトスが言っていたから、既に子供がいたシリクスさんとは確かに年が離れていたんだろう。


「それで魔王城に向かう途中に、グリード様が我々の住んでいた町に立ち寄られましてな。意気投合し、私も魔王討伐に同行させて頂きました」


「親父も!?」


 ザムドが突然身を乗り出したので横を向く。さっきまで飴くらいしか気にしていなかったザムドが目を輝かせてザークシードを見ている。なんでお前が驚いてるんだ。ザークシードはそういう話をしたことがないんだろうか。


 ザークシードがザムドを見て首を傾げた。


「話したことはなかったか?」


「ない! そんで?」


「いや……私の話は夜にでもしてやろう。今はグリード様とシリクスの話だから」


「えー」


 ザムドは口を尖らせながら椅子の背に自分の腰を押し付け、机の上に自分の顎を乗せた。わかりやすく興味を失っている。


 それで、とザークシードが言った。


「先代を討ったあと、グリード様とシリクスでナターシアの結界を構築したり、カルラを連れてきて食料を確保したり、あの二人は大忙しでした」


「あれ? カルラはもともと知り合いだったの?」


「違いますね。人の大陸から食料を仕入れる方法を検討していた頃、見た目を変える魔法を使える者がいるらしい、という噂を聞いたグリード様とシリクスがその魔法について調べに出かけたのです。戻ってきた時はカルラを連れていました」


「へえ……」


 じゃあザークシードとカルラはお父様が魔王になった直後からずっと五天魔将なんだろう。きっとシリクスさんもそうだったんだろうな。シリクスさんが亡くなって空いた席にジュリアスがついたのかもしれない。


「シリクスさんって、一週間研究室に籠もって亡くなったんだよね?」


 ミュリアナが「そうなんだけどねえ」と頬に手を当てた。


「私とフルービアはね、シリクスが死んだ日の朝に食事を持っていったのよ」


「え?」


「シリクスってば、放っておくと食事もしないんだもの。心配でしょう? 机から動こうとしないシリクスの口に、フルービアがパンを押し込んでたわ」


「お、おお……」


 カルラが確か、シリクスさんは集中すると生き物として駄目になると言っていた。食事も忘れるというのは確かになかなかだ。


 ミュリアナは触れなかったけれど、きっとお風呂にも入っていなかったに違いない。研究室のお風呂は埃をかぶっていただけでほとんど汚れていなかった。


「だからシリクスが死んだ時、皆は〝いつかやらかすと思ってた〟って口を揃えていたけど、私はびっくりしたのよ。確かに会話にもならないほど集中してはいたけど、そんなのいつものことだったし、元気そうに見えたのよねえ」


 そっかあ。まあ現代日本でも心不全で突然死という話はテレビのニュースで見かけたし、いくら魔族が頑丈だといっても稀にはそういうこともあるんだろう。


「シリクスさんって、何の研究をしてたの?」


「彼の気分次第で何でもだったけど……死ぬ前は、ナターシアの結界について何か言ってたわ」


 でも結局わからずじまい、とミュリアナは残念そうに言った。


「シリクスに結界のことを頼んだのは自分だから、って、グリード様はシリクスが死んだのも自分のせいだって言ってたわね。でもシリクスのアレは、本人が頑張りすぎちゃったせいだと私は思うんだけどなあ」


 不意に玄関のベルが鳴って、ザークシードが立ち上がった。ザークシードが部屋を出ていったので、なんとなく玄関の方に意識をやると、ジュリアスの声が聞こえてきた。


 なんだろ? 私も椅子から降りて廊下に顔を出す。私に気付いたジュリアスが目を丸くした。


「ディアドラ様もこちらでしたか」


「うん、どうしたの?」


 どうやらジュリアスの機嫌は午前中ほど悪くはなさそうだと気がついて、ほっと息をつく。これなら後で脱出ゲームの話を振っても大丈夫そうだ。


 ジュリアスは視線を脇にやってから、


「いえ、その……よく考えたら急ぎの用件ではありませんでした。出直します」


 と突然くるりと私たちに背を向けた。


「待て待て、話くらいは聞く」


 とザークシードが玄関の外に出ていき、扉を閉めた。外の声はくぐもってしまってほとんど聞き取れなくなる。でも仕事中のはずのジュリアスがわざわざザークシードを訪ねてくるなんて、お父様関連としか思えない。


 昼食時のお父様の様子を思い出し、城に様子を見に戻ろうかとも考える。でも今は私は顔を見せない方がいいのかな、という気もした。今の話を聞く限りザークシードとお父様は古い付き合いのようだし、ジュリアスがザークシードを頼ったということは、任せておけばいいのかもしれない。


「なあディア、そろそろ遊ぼうぜー」


 ザムドが声をかけてきたので、確かにずっと待たせているなと思った私は、振り返ってからいいよと返した。



   ◇



「そうか……ディアドラ様が」


 ジュリアスが一通り話し終えると、ザークシードはそう言って自宅に目を向けた。


 ディアドラに聞かれないよう少し移動してから話を始めたので、ザークシードの家は遠くに小さく見えるだけだ。


 ジュリアスは視線を下に落とす。


「何か気の利いたことでも言えればよかったのですが。妻も子も持ったことのない私には何の言葉もかけられませんでした」


「いや……その件については誰にも何も言えまいよ」


 ザークシードも息をついて頭をかいた。


「後で様子を見に行ってみよう。少し時間を置いた方がよいかな」


「すみません。よろしくお願いします」


 ジュリアスはザークシードに向かって頭を下げてから、魔王城に向かって飛び立った。



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