05-03 ザムドの成長期(1)


 私がシリクスさんの脱出ゲームに取り組み始めて三日が経った。


 過去に解いた脱出ゲームを思い返し、それをヒントに研究室を探索して回ったら、私にしてはいろいろ見つけられた。どんな経験もいつ役に立つかわからない。まさか日本で遊んだ脱出ゲームの経験が役に立つ日が来ようとは、夢にも思わなかった。


 最初に見つけたのは、キッチンの窓にカーテンを吊るすと現れる文字。それから浴槽にお湯を張ると、鏡が曇って文字が浮かび上がった。出てきたのはジュリアスが描いたという床の落書きが、それぞれ誰かを示す人物名だ。ジュリアスのお母さんはフルービアという名前らしい。


 キッチンの棚には名前の掘られたマグカップがたくさんあった。その中の〝ルービィ〟というのがフルービアさんだろう。お父様やカルラ、シリクスさんのカップもあった。サフィはたぶんお母様。ザックはザークシードかもしれない。ただ、ミューというのが誰を指すのかは私にはわからなかった。


 一つだけ名前のないカップがシンクの横にあって、それ以外は埃を被っていた。名前のないカップは今も使っているようだったから、たぶんジュリアスのだろう。


 気になって探してみたけれど、この研究室に出入りしていたというカリュディヒトスのカップはなかった。シリクスさんとカリュディヒトスは別に仲が良かったというわけではない、とジュリアスが言っていたけれど、実際そうだったのかなと納得した。


 男性のシリクスさんはまず使わなさそうな、大きく重い手鏡も見つけた。机の上のスタンドライトは固定されて動かないけれど、スイッチを素早く二回押すと光の色が青く変わる。文字の書かれた寝袋は、床の長方形と全く同じ大きさだった。


「うーん……」


 ある程度ヒントらしきものは見つけたものの、完全に行き詰まった私は腕を組んで唸った。これ以上は自力で進めそうにないし、そろそろジュリアスを呼ばなくちゃ。そんなことを考えていたら、研究室の扉が勢いよく開けられた。


「ディア! 遊びに行こうぜ!」


 外から顔を覗かせたザムドに駆け寄る。しばらく私はキルナス王国に行っていたし、この三日も研究室に籠もっていたから、なんだか久しぶりに会うような気がした。といっても、まだ二週間も経っていないはずだ。


「ザムド、……ん? ちょっと背が伸びた?」


 向かい合って立つと心なしか視線が近い。まだ私のほうが大きいけれど、見下ろす角度が小さくなった。あれ? と思い返してみると、キルナス王国に行く前から視線が近くなってきていたような気もする。


 ザムドも男の子なので、いつかは背を抜かれる日が来るのかもしれない。想像してみるとそれはちょっと悔しい。でもゲームのザムドとディアドラの身長は同じくらいだったから、少なくともあと二、三年は大丈夫のはずだ。


「せーちょーきだからな!」


 ザムドは自身の腰に手を当て、えっへん、と胸を張った。成長期くらいちゃんと発音しろよ。意味わかって言ってんのかな。


「今、シリクスさんの研究室の謎を解いてるの。ザムドも一緒にやる?」


「ええー、難しそうだからやだ……」


 思いっきり顔をしかめたザムドを見て、私はふふっと笑ってしまう。私の誘いをザムドが断るなんて珍しいけれど、謎も脱出ゲームも好きそうには見えないから仕方ない。それに私とザムドが二人で組んだところで謎解きが進むとは思えなかった。


「謎解きが終わったら遊べる?」


「うん、たぶん」


「じゃあ、また来るな!」


 ザムドは身を翻して飛び上がると、私の方に手を大きく振ってから、魔王城の方に飛んでいく。またザークシードのところにでも行くのかな、と考えながら、いったん扉を閉めた。


 今からジュリアスのところに戻ってもいいけれど、どうせ城に戻るなら昼食の時間でもいいかなあ、という気もする。研究室と魔王城は近いとはいえ、何度も往復するのは面倒くさい。


 お昼までもうちょっとだけ部屋の探索をしてみようか、と、棚に並んだ本の一つに手を伸ばした。脱出ゲームでは本やノートには大抵何か隠されている。インターネットで遊んだ脱出ゲームでは関係のないものをクリックしても何も起きなかった。でも現実ではそうもいかない。


 大型の本棚四つ分の書籍なんて、まともに調べていたら時間がいくらあっても足りないので、つい後回しにしていたのだ。


 この脱出ゲームがお母様への問題なら、お母様が読まなさそうな本は関係がなさそうに思える。けれどお母様のことを何も知らない私にはまるで判別がつかない。昼食の時間になればお父様に会えるのだから、試しにお母様について聞いてみようか。


 そんなことを考えていたら、どおん、と外から大きな音がした。


「……今日は何?」


 私は外に続く扉を開けて周りを見回してみる。魔王城の方から煙らしきものが上がっていた。またザムドかなあ。いや、ザークシードかも。


 ザークシードやその部下の魔族たちはよく城の周辺で稽古をしているし、この手の音には慣れた。気になったのは、城に傷をつけるとジュリアスの機嫌が悪くなる、ということだけだ。午後から相談したかったのに。とはいえ今から何ができるわけでもない。


 今日はジュリアスに話しかけるのはやめようかな、とため息をついてから、私は再び研究室に引っ込んだ。


 本棚に並んでいるのは分厚い本ばかりだ。適当に一冊引っ張り出して開いてみたら、ぎっしりと細かい文字で埋まっていた。だめだ、見るだけで頭が痛くなってくる。読まずに閉じた。


 ふと本棚の一つの柱に複数の傷がついていることに気がついて、それに目を移してみる。それは私の身長より低い位置につけられた引っかき傷だった。線の下には小さく〝ジュリー、三歳二ヶ月〟とか〝四歳六ヶ月〟とか書いてある。


「ジュリー……ジュリ……ジュリアス……?」


 もしかしてこれは、ジュリアスが子供の頃の身長を測った跡なんだろうか? ジュリアスはお父さんからジュリーと呼ばれていたんだろうか? やだちょっと可愛い。今度フィオネと話すときのネタにしよう。


 しゃがんでその横線を下から辿ってみる。その線は二歳半から始まって、十歳で終わっていた。シリクスさんがいつ亡くなったのかは知らない。けれどこれを書いたのがシリクスさんなのだとしたら、シリクスさんはジュリアスが十歳の時に亡くなったのかもしれない。ということは当時ディアドラは三歳か四歳だろう。覚えていないわけだ。


 カルラが確か、シリクスさんは一週間研究室に籠もると言って消えたと、お父様が心配して見に行ったら冷たくなっていたと教えてくれた。


 ……ん?


 それはつまり、シリクスさんが亡くなったのは、私が今いるこの場所ってこと? ゆ、幽霊とか、いないよね……?


 サアッと血の気が引いていく。いやそんな、真っ昼間から幽霊とか、ははは、いるわけない、いるわけないないない!


「ディア!」


「ひゃああああああ!!」


 勢いよく扉が開けられたことに驚いて、私は情けない悲鳴を上げてしまった。けれど聞き慣れた声だと気がついて振り返れば、息を切らせたザムドが外に立っている。


「ザムド、どうしたの!?」


 さっき別れたばかりのザムドの体は傷だらけだった。打ち身も火傷もあるし、手足に血が滲んでいる。早く治さなきゃと駆け寄った私の腕を、ザムドが勢いよくつかむ。


「……勝った」


「え?」


 頬を上気させ、ザムドがじっと私のことを見上げてくる。


「今、初めてジュリアスに勝った!」


「ええっ!?」


 私は目を瞬いてザムドを見返した。さっき聞こえていた大きな音は、ザムドとジュリアスが戦っていた音だったの?


 キルナス王国に行く前にザムドがジュリアスに挑んでいたけれど、その時はあっさりザムドが負けていた。それが勝ったってどういうこと? 半月程度しか経ってないぞ? 成長期? 成長期だから??


 頭に大量のハテナを浮かべていると、ジュリアスが飛んでくるのが目に入った。ジュリアスの服は穴が空いたり焦げたりしているが、傷はもう塞がっているように見える。


「ザムド、傷の手当が終わっていませんよ」


 私たちの傍に降り立ったジュリアスが、ザムドの手当を始める。ザムドは「だってー」と言いながらも大人しくジュリアスの回復魔法を受けていた。私が目を丸くしたままザムドとジュリアスを見比べていると、その理由を察したらしいジュリアスが眉を寄せてため息をついた。


「ザムドからお聞きになったのでしょう? ええ、負けましたよ」


「お、おおー……」


 まだ驚きから立ち直れず、口を半開きにしたままそんなことしか言えなかった。


 確かにゲームのザムドはディアドラの次に強かったし、ジュリアスに勝ってもおかしくはない。おかしくはないんだけれど、前に夜の森で泣いていたあのザムドが勝ったのかと思うとやっぱりびっくりだ。


 ザムドに視線を戻すと、ザムドは私を見て満面の笑みを浮かべながら、力強いピースサインを作った。


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