05-02 魔族だって風邪を引く(3)
カルラの熱が下がったのは夕方になってからだった。
解熱剤が効いたにしては下がるのが遅いが、かといって治ったにしては早すぎる。どう解釈すればいいのかニコルは迷った。
彼女が寝ている間に来た通信のことを告げると、「ああ坊んか」とカルラは頷いた。坊んなんて呼ぶような年齢ではなさそうな声だったが、触れずに流すことにした。自分も少年と呼ばれているし、同じようなものだろうと思ったのだ。
ほんの少しだけ、坊んと呼ばれた彼に同情のような気持ちを抱いた。
ニコルはカルラの馬車に積まれていた食材や調理器具を使ってスープを作り、一緒に食べる。カルラはスープをしっかり完食した。
「ごめんなあ、世話させる気で会いに来たわけやなかったんやけど」
ごめんと言う割に、カルラの表情は明らかに上機嫌だった。空になった器を床に置き、へにゃっと笑いながら馬車の幌に背を預ける。
「でも、たまには何も気にせんとただ世話されんのもええな。こんなん二百年ぶりくらいやわ」
「またそんなことを」
ニコルとしては年齢の冗談をまだ引っ張る気か、という意味で口にした言葉だったが、カルラは違う方向から会話のボールを返してきた。
「ほんまやで。うち、レベル上がるのめちゃくちゃ遅いから、昔はよく怪我して寝込んでたわ。いや、今もよう怪我するけど」
「いや、そういう意味ではなく、二百五十を超えているなんて冗談でしょう?」
「ん? 嘘は言うてへんで?」
カルラはきょとんとした表情を浮かべているが、その表情を浮かべたいのはこっちだとニコルは思う。
「ほんまやって。まあ、そんだけ生きてもレベルはこんなもんやけど……グリードはんに負けたんはあいつが十五の時やったし、お嬢にも本気出されたらそろそろ負けそうや。ほんま成長の速い奴らはええよなあ」
五天魔将の一人である彼女に〝レベルはこんなもん〟と言われても、ニコルには嫌味にしか聞こえない。ついカルラをジト目で見てしまう。ステータスを見せてもらったわけではないので数値はわからないが、少なくとも現状では、彼女の動きは目で追うのがやっとだからだ。
その話題は流すことにして、別の問いをカルラに向けた。
「ディアドラは以前会った時より強くなっているのですか?」
「うん、だいぶ。あの子、ちゃんと戦えさえすれば、あの年で魔王やれるで」
「そうですか……」
魔王クラスが二人、同じ時代に生きているとは、人間にとっては頭の痛い話だ。魔王と聞いてふとステータスの件を思い出し、ニコルはカルラに問いかけた。
「そういえば、魔王のステータスは相変わらずですかね」
「せやな。おっ、何か解決のヒントでもくれんの?」
「ノーコメントです」
「えーっ、ケチ!」
カルラがぶうと口を尖らせる。それがあまりに子供みたいな表情だったので、ふっと少しだけ笑ってしまった。途端にカルラが目を丸くしたので、ニコルはすぐに笑みを引っ込める。するとカルラが不満げに、立てた膝の上で頬杖をついた。
「やめんでもええやん。あんた、笑うと可愛いのに」
彼女は褒めたつもりかもしれないが、全く喜べなくて、ニコルは顔をしかめた。
「僕、あと半年ほどで二十歳なので、可愛いと言われても全く嬉しくないですね」
「へー、大人やん。おめでとう。次会うときは酒でも買ってきたろか」
「お酒はいらないので、いい加減〝少年〟呼びを止めてもらえますか?」
自分が童顔なのはわかっている。低身長ということもあって、いまだに十代前半から半ばにしか見えないということは自覚している。だがそれでも、成人してもなお〝少年〟と呼び続けられるのはさすがに許容できない。
他の言い方なら司祭くんでも慈愛くんでも、それ以外の多少アレな呼び方でもいいことにしよう、というつもりでいたニコルだったが、
「えー、じゃあ、うーん…………、ニコル?」
「!?」
予想していなかった名前呼びに驚いて、片手で顔を押さえた。若干動悸がする、が、気のせいだと思うことにした。押さえて隠した顔がやや熱いのも気のせいだ。
「あれ? ってことはジュリアスの坊んももうじき成人か? いや、まだ一年以上あったっけ……?」
幸か不幸かカルラは明後日の方向を見ながら考え事をしていて、ニコルを見ていない。その隙にいつもの調子を取り戻したニコルは、ふうと息を吐いてから手を離した。
たぶんこの人はその時の気分で発言しているだけだから、いい呼び方が思いつかなかっただけだろう、と己を納得させておく。
「あっじゃあ、うちのことも名前で呼んでくれへん? あんた、そもそもうちの名前、覚えてる?」
「……」
さすがに名前を忘れるはずないだろう、と思う一方で、そういえば〝あなた〟以外の言い方で呼びかけたことがないことに気が付いた。ニコルは視線を床の端にやってから言う。
「……では、カルラ、と呼びますよ」
「おっ、……おお、自分で言うといて何やけど、改めて呼ばれると照れるな」
少しだけ頬を赤くしながら、力の抜けた顔でへにゃっと笑うカルラを見て、だったら言うなよと彼女を軽く睨んだ。
そして、つい可愛いと感じてしまった自分に、だから魔族相手に何を考えているんだ敵だぞ、と、再びイラッとしたのだった。
◇
一晩寝たらすっかり良くなったのか鼻声すらも治ったカルラに、魔族の回復力を見せつけられた気分になった。魔力の高さといい、強さといい、そこだけは魔族を羨ましく思う。確かにこれなら医者の出番はない。
「坊ん、うちに連絡くれたんやって? 出られんで悪かったなあ。何の用やった?」
カルラは朝食を食べてから、ニコルが馬車にいても全く気にする素振りもなく通信を始めた。狭い馬車の中では丸聞こえなのだが、彼らに機密という概念はないのだろうか。
『私とディアドラ様が城に無事戻ったという報告でした。カルラ様の体調はもうよろしいのですか?』
通信機の向こうの声は昨日と同じだった。確かジュリアスと名乗ったな、とニコルは昨日の会話を思い出す。
「うん、よゆーよゆー。すっかり治ったわ」
『このあとカルラ様も休暇を取られるのですよね?』
「え? うーん、せやなあ。でもニコルと向かうとこ決めとるし、そのあともヤマトたちだけこっちで過ごさせるのも心配やから他の子と合流さして、それから……」
通信機の向こうが一瞬静かになったと思ったら、『カルラ様、少々お待ち頂けますか?』という声の後でまた静かになる。カルラは不思議そうな顔をしつつも大人しく待っていたが、
『カルラ』
「えっ、グリードはん!?」
別の男の声が聞こえてきて、びくっと頭の上の耳を立てた。魔王の名前に驚いて、ニコルもついまじまじと通信機を見つめてしまう。
『あまり心配させないで欲しい。カルラが体調を崩すなんて、よっぽど無理をしたのだろう? フィオデルフィアのことを任せっぱなしで、休みも取らせられなくて悪かった。もう少し休んでからで構わないから、一度帰ってきなさい。必要なことがあるならできるだけ代行できるように手配する』
「えっ、う、うーん」
カルラがガリガリと頭を掻く。やや間があって、呆れたような声が返ってきた。
『……カルラ』
「わ、わかった。馬車があるから、ヤマトたちが戻ってきたら入れ替わりで帰るわ。あ、どうせ帰るならついでにそっちでさあ」
『いいから、休みに、帰ってきなさい』
「……はいよ」
難しい顔で息を吐いたカルラの耳は、少しだけ下を向いていた。ニコルは馬車くらい預かろうかと言いかけたが、すぐに動き回って風邪をぶり返されても困ると思い直してやめた。
『ところで、カルラの看病をしてくれた者に礼を言いたいのだが』
「ん?」
カルラがちらっとニコルを見る。慌てて首を横に振ったが、カルラは小さな通信機を投げてよこした。反射的に通信機を受け取ってしまい、カルラと通信機を見比べる。
カルラが通信機を指で示したので、ニコルは観念して口を開いた。
「……ご無沙汰しております。礼を言われるほどのことはしておりませんので不要です」
挨拶に迷ってご無沙汰しておりますなどと言ってしまったが、そもそも向こうは自分が誰かなどわかるまい。しかしニコルの予想に反し、通信機の向こうの声は『久しいな、と返すのも変な気はするが』と返してきた。
『娘が以前アルカディア王国を訪れた際も、君に助けられたと聞いている。その時のことも含めて礼を言いたい。どうもありがとう』
「それは善意ではなく人の安全を優先した結果です。そちらもお礼を言われる筋合いはありません」
「こらこらニコル、礼は素直に受け取っとき」
カルラがニコルに寄ってきて、横から通信機に手を伸ばす。指先だけでちょんと通信機に触れて言った。
「グリードはん、キルナス王国とかに手紙を届けてくれたんもこの子やから、礼を言うならそれも入れといて」
「ちょっ」
余計なことを言わないでほしい。向こうから何か言われる前にと、ニコルは慌てて口を開いた。
「僕はあくまで人間にとって良い対応を模索しているだけです。お礼を言われる筋合いはありません。僕は今でも、あなた方を敵だと思っていますよ」
『それでも、我々がありがたいと感じた事実は変わらんのだから、礼を言うことはおかしいことではなかろう? ありがとう』
落ち着いた声で礼を言われてしまい、ぬぐ、とニコルは言葉に詰まった。相手の対応が大人すぎて、突っぱねているニコルの方が子供のようだ。こんな風に対応されてしまうと、拒否ばかり続けられないものがある。
ニコルは眉根を絞り、息を吸ってから特大のため息を吐き出すと、魔道具に触れたまま言った。
「……あなたが魔王になってから何をされてきたかは、ディアドラから聞きました。以前お会いした時にいきなり首を要求したことについては、軽率だったと思っています。……その、失礼しました」
「おっ。ちゃんとごめんなさい出来てええ子やな」
「子供扱いはやめてもらえます!?」
カルラがニコルの頭をぐりぐりと撫でてきたので、その腕を払いのけようとした。しかしニコルの力ではまったく歯が立たず、ギリッと奥歯を噛むしかなかった。
「とにかく、僕の話は終わりです。ほら、返しますよ」
ニコルが通信用の魔道具をカルラに押し付けるように渡すと、彼女はおかしそうに笑いながらそれを受け取った。カルラがニコルの頭から手を離したので、これ幸いと彼女から離れ、馬車の外に出ることにする。
通信が終わればもう出発できるだろうし、馬車を馬に引かせる準備でもして待てばいい。そんな事を考えながら、ニコルは馬に歩み寄った。
◇
カルラの部下が帰ってくる日取りが決まったところで、ラースに連絡をし、最寄りの町で馬車を降りた。
馬車に乗せてもらったのに、結局もともと想定していた旅程とそう変わらなくなってしまった。数日経ってニコルの前に姿を見せたラースは、とても晴れやかな笑顔でニコルに聞いてくる。
「なあなあニコル、どうだった?」
「あなたが期待しているような話は何もありませんよ」
ニコルがあきれ顔で答えると、ラースは「なんでだよ!?」と目を見開いた。
「あの狭い馬車で若い男女が二人っきりで過ごして、何もないってどういうことだ!? お前の下半身はポンコツか!?」
「げっ、下品な発言は慎みなさい!!」
思わず真っ赤になって叫んでしまい、ニコルは咳払いを一つした。
「あなたの基準で語らないでください。第一、彼女は魔族ですよ」
ラースはきょとんとしながら首を傾げる。
「種族越えとか燃えるじゃん」
「燃えません」
そういうことを言っているのではない。だめだ、話が合わなさすぎる。不満げに「えー」と言ってから口を尖らせたラースが、少し考えてからニコルを見下ろして言う。
「つっまんねー。事前にあの話をしておけばよかったかなあ」
「何の話です?」
「俺、この間あのお姉さんに耳打ちしたじゃん?」
「ああ、あれですか。殴られなくて良かったですね」
呆れ半分諦め半分の気持ちでニコルはラースに視線を返す。林の中でラースがカルラの耳元で何か囁いていた時のことだろう。首まで真っ赤になっていたカルラの姿を思い出し、ニコルは動揺しそうになった自分を振り払う。
ラースは「それがさあ」と言って己の首に手を当てた。
「あれ、何言ったと思う?」
「どうせ卑猥なことでも言ったんでしょう?」
「……と、思うじゃん?」
「え?」
「俺はね、〝まずほっぺにちゅーからお願いしたいなあ〟としか言ってないんだよ。いやもちろん、一回オッケーを貰ってからハードルを上げていく気ではいたんだけどね。まさかあれだけで真っ赤になると思わなかったから、そこで終わっちゃった」
「……それだけですか?」
「それだけ。いやほんと」
ラースがため息混じりに肩をすくめるのを、唖然としながら見つめてしまった。カルラは黙っていれば美人な上にスタイルもいい。彼女の言っていた年齢を信じるならば、その年とあの見た目で相手がいたことがないなんてありえないと思えたからだ。
ラースがニコルの肩に腕を乗せてくる。
「気にならない? ほっぺにちゅーを頼んだだけでアレなら、真面目に口説けばどれだけイイ反応が返ってくるのかなあ、って。あとあの胸やわらかそうだよね」
「……」
一瞬想像しかけてしまい、ニコルは慌ててラースの腕をどけた。
「別に気になりません」
「えー。じゃあ、俺がお姉さんにアプローチしてもいいわけだ?」
「…………、どうぞ。ただ、彼女の好みは自分より強い男だそうですよ」
ニコルがそう言うと、「それはいくらなんでもキビシーわ」とラースは口をあんぐり開けながら答えた。
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