05-02 魔族だって風邪を引く(1)

 3話ほど主人公と関係ないシーンが続くので、興味ない方は3話飛ばしてください。


***



 ニコルとラースはカルラと別れたあと、魔族に襲われた村で怪我人の手当や支援物資の手配をしていた。


 ニコルの前に再びカルラが現れたのは、やるべきことを一通り終え、そろそろ別の町に移動しようとしていた時だった。旅の商人が日用品を売りに来たと村人から聞いて、二人で様子を見に行ったら彼女だったのだ。


 屋根付きの荷馬車の横に蓋の開いた木箱がいくつか並べられている。木箱の後ろ側から客の応対をしていたカルラは、ニコルと目が合うと片手を上げて振ってきた。


「おっ、兄ちゃんたちも何か買ってくか?」


 ニコルはラースと顔を見合わせてから、もう少し彼女に近付いて木箱を覗いた。木箱には新品らしきタオルや石鹸、ブラシなどが入っている。小麦や塩なども一箱あるが、食料よりは日用品が主だ。日持ちしやすい商品を選んでいるのだろうと見て取れた。


「姉ちゃん、一人かい? 女性一人では危ないだろう」


 村人の一人がカルラに向かって言う。彼女は「強ーい護衛を連れてるから大丈夫やで」と笑って答えている。


 一緒にいる男より強いのはお前だろ、とニコルはつい心の中でツッコミを入れてしまった。村人はニコルたちを見てから言う。


「そうだ、こちらの司祭様方がちょうど村を出ると仰っていたから、一緒に行ったらどうだい」


 それを聞いて、他の村人も笑顔で同意した。


「そりゃあいい、慈愛の聖者様と一緒ならお姉さんも安心だろう」


「じあ……い?」


 カルラがぽかんとした表情でニコルとラースを見る。それから「ぶはっ」と吹き出したあと、誤魔化すように咳払いをした。しかしカルラの口元にはまだ噛み殺せなかった笑みが浮かんでいる。


「あ、ちなみに慈愛の聖者様はこっちだから。俺は違うからね。一緒にしないでね」


 ラースがニコルを指差して言う。ニコルとしては彼を睨みつけたい気分だったが、他にも村人がいる手前、辛うじてこらえた。


「それはそれは面白……いや、心強いなあ。うちは目的地も決まってないし、行きたいところがあるなら乗っていくか?」


「……では、お言葉に甘えます」


 村人が言わなくとも彼女の方から申し出るつもりだったのだろう、と考えながらニコルは頷いた。でなければわざわざこの村に来て目立つような真似をする必要はない。もともとニコルたちの出立の準備はほぼ終わっていたので、村長や世話になった村人たちに別れを告げてから、ニコルとラースはカルラの馬車に乗り込んだ。


 本来この馬車は後ろから乗り降りする構造だ。けれど馬車の後ろ側半分が木箱で埋まっているせいで、御者席側から乗るしかない。ニコルは自分の身長の低さに改めて苛立ちを感じつつ、どうにか馬車に乗り込んだ。


 違和感を覚えて周囲を見回してみたが、馬車の中にも周囲にも、カルラがいつも連れている男はいなかった。馬車が動き出して村が遠ざかり始めても、ヤマトという男が戻ってくる様子はない。


「一人ですか?」


「せや。一回うちの子らにも休暇を取らせようと思うてな。その間、別に一人でも良かったんやけど、あんたらと合流した方が楽に戦えそうやと思って」


「そうですか」


 確かに彼女がいれば戦闘はかなり楽になる。双剣使いさえいなければ、魔族は彼女に任せて、ニコルたちは住民の避難や手当に専念しても支障はなさそうに思えた。


「えっなになに、お姉さんの部下は皆休暇なの?」


 ラースが目を輝かせながら身を乗り出してきて、ニコルはつい身を引いた。


「俺も! 俺も休みたい!! いやーいい響きだね、休暇。最高だね休暇。毎日休暇だといいよね。ニコルと行動するようになってから本当に休みがもらえなくって困ってたんだよ」


「あなた、雑用は全部僕に押し付けて休みまくってるじゃないですか」


「俺は女の子とデートしたり宿でゴロゴロしたりしたいの! 教会の硬いベッドで寝るんじゃなくて!」


 いや、いやいやいや、滞在する村や町に着くとすぐ女性を口説きに行っていた男が何を言うんだ? と、怒りを通り越して唖然としてしまった。当地に教会があれば挨拶に行き、村長や町長にも話を通し、滞在の許可を得るのも泊めてもらう場所を手配するのも、常にニコルだった。司教への定期報告もラースが書いたことはない。彼は魔族との戦闘と傷病人の手当以外は本当に何もしていない。


 ラースは馬車に置いたばかりの荷物をさっと手に取ると、ニコルの鞄も勝手に開けて何かを取り出している。ニコルが止める間もない。


「ニコル、お姉さんから貰った通信機は借りてくから、何かあったら連絡して。じゃあお姉さん、今すぐ降りていい? いいよね?」


「いいわけないでしょう」


 ニコルはラースの腕をつかんだが、ラースは笑顔でそれを振り払った。


「ええー、こんなとこで降りんの?」


 カルラが戸惑ったような表情をしながらも馬を止めたので、ラースはひょいと馬車から飛び降りる。その背にカルラが声をかけた。


「なあ兄ちゃん、近場の町までくらい乗ってったら?」


「いいっていいって、そんなことより俺は自由を得たい! さっきの村で馬でも借りるから大丈夫だよ」


「待ちなさいラース!」


「じゃーねお姉さん、ニコルのことよっろしくー!」


 ラースは心底楽しそうな笑顔で手を振ってから、軽い足取りで駆け出していく。唖然としながらそれを眺めていたカルラが、「ほんま自由な兄ちゃんやなー」と頭を掻いた。


 まったくあの男は、とニコルも額を押さえながら長いため息を吐き出した。ラースの行動は、まあ本当に休みたいというのもあるのだろうが、それだけでもない気がしたからだ。


 ――だから、違うと言ったのに。


 ニコルがちらとカルラを見ると、カルラはまだ目を丸くしながらラースが去っていった方角を見つめていた。


「あそこまで自由やと、逆に羨ましくならへん?」


 カルラが苦笑を浮かべながら振り返る。ニコルは少し考えてから、「どうですかね」と苦い顔で返した。さすがにああなりたいとは思えなかったからだ。それに自由に生きるなんて、考えたこともなかった。


「ふうん……まあええか。それで、どこ行きたい?」


 カルラはラースのことは気にしないことにしたのか、ひょいとニコルに地図を差し出してくる。彼女にはニコルと二人っきりであるという点に特段思うところはないらしいと察し、不本意ながらイラっとした。


 ニコルはカルラから差し出された地図を受け取って、もともと向かうつもりだった地域を指し示す。カルラが「へいよ」と頷き、馬を再び走らせた。ニコルが魔法で馬を強化すると、馬車の速度が上がる。


「結局、南へは行かなかったのですか?」


 ニコルはカルラのすぐ後ろに腰を下ろして声をかける。カルラは視線を前に向けたまま「いや?」と答えた。


「キルナス王国まで行って帰ってきたで」


「……冗談ですよね? こんな短時間で往復できるような距離ではないでしょう」


「死ぬ気で走った。いやー、ほんま大変やったわ」


 冗談かとまた疑ったが、キルナス王国での話を詳細に聞かされ、信じざるを得なかった。魔族に人間の常識を当てはめても仕方がないとはいえ、それにしたって移動が速すぎる。


 カルラが続けて二回もくしゃみをしたので、ニコルは風邪ですかと声をかけた。けれどカルラは首を傾げる。


「誰かがうちの噂でもしとるんちゃうかなあ。うち、里の子らにはめっちゃ愛されとるし」


「それなら構いませんが、疲労がたまると風邪も引きやすいですから、無理した自覚があるなら休んだ方がいいですよ」


「あんたまで坊んみたいなこと言うなあ」


 カルラが苦笑しながらそう言ったので、ラースと違って休みを勧めるだけ無駄だと判断したニコルは、はあと息を吐くだけにとどめた。もしかして他人からは自分もこう見えるのだろうか、と考えながら。


 馬に何度か休憩を取らせながら馬車を走らせていると、じきに夜になった。馬が自由に水を飲めるよう澄んだ川の近くに馬車を停め、カルラが馬を長めの革紐で木に繋ぐ。


 以前ディアドラも一緒にこの馬車に乗っていたときは、夜の見張りはいつもカルラとヤマトが交代で担っていた。けれど今はカルラとニコルの二人しかいない。夜の見張りを担当しようかと申し出たニコルに、カルラは首を横に振った。


「いつものことやし任しとき。……あれ、そういや少年、うちと二人やと寝られんか? 兄ちゃん呼び止めた方がよかった?」


 以前ニコルがカルラの馬車に乗せてもらった時、ニコルは魔族が一緒だと思うとあまり眠れなかった。彼女はその時のことを思い出したのだろうと察したが、


「……寝ますよ」


 と、否定で返すことにした。


 ニコルから魔族に対する敵対心が消えたわけではないが、少なくとも今の彼女に人を害する意思はない、ということはここ一、二年のやり取りの中で納得したからだ。


 カルラが少し目を丸くしてから笑みを広げる。


「ええことやな。おやすみ」


 馬車の固い床に転がって、ニコルはカルラに背を向けた。くしゅんとカルラがまたくしゃみをしたので、そういえば魔族でも風邪を引くのだろうかと考えた。



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