5章 過去からの手紙

05-01 乙女ゲームに脱出要素は求めてない(1)


「少しディアの力を借りたいのだが、いいだろうか?」


 お父様がそんなことを言ったのは、キルナス王国から帰ってきた翌日のことだった。昼食を完食して部屋に帰ろうとした私に、お父様が声をかけてきたのだ。


 お父様に頼られて悪い気など当然しない。私は満面の笑みで「もちろん、いいよ!」と答えた。


 まさかわずか三十分後に後悔する羽目になるとは思わずに。



   ◇



 お父様に連れて行かれた場所は、魔王城のすぐ近くにある小さな一軒家だった。最寄りの町とは別方向にあり、その家は森の入り口のそばにぽつんと立っていた。


 一階建ての平屋だ。どの窓にもカーテンがかかっていて中は見えない。お父様が鍵を開けてくれた。


 なんだろう、ここ。


 扉を開けるといきなり部屋があった。扉の向かいの壁一面に並んだ大きな四つの棚に、本や書類やノート類が詰まっている。大きな机と椅子も一つ、部屋の奥に置かれている。その机の上も分厚い本や紙が積まれていて、雑然とした印象を受けた。


 壁には謎の記号が書かれたメモがいくつも貼られている。その並べられ方にもメモに書かれた記号にも規則性は感じられない。メモの横には入り口とは別の扉があった。


 床には大判のラグが敷かれていて、ラグの周囲には子供の落書きのようなものが書かれている。床に物が落ちているわけではないけれど、落書きがあちこちにあるせいで、とっ散らかったような印象だ。


「お父様、ここは?」


「ジュリアスの父、シリクスが研究室として使っていた家だ」


「へえ……」


 確かシリクスという人が死んだのは、ディアドラが覚えていないほど小さい頃だったはずだ。けれど家の中に埃っぽさはなく、定期的に掃除されているような空気を感じる。


「それで、私の力を借りたいっていうのは?」


 私の問いに、お父様は一度頷いてから部屋の奥の机を示した。正確には、机の下を。机に歩み寄って指さされた場所を覗き込んでみると、机の下の床に円形の溝があった。


 お父様は私の横にしゃがんでその溝に手を伸ばすと、爪を引っ掛けて溝に囲まれた円形の床板を持ち上げる。


 蓋が開くように取れた床板の下には、丸い石版のような何かがあった。中央に大きな半球状の透明な石がはめ込まれていて、その周囲には赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、という七つの石が等間隔に並んでいる。なんだか虹みたいだ。


「ナターシアとフィオデルフィアを繋ぐ地下通路の鍵に似てるね」


「ああ、あの地下通路の鍵もシリクスが作ったものだからな」


「へえー」


 ということはあの地下通路の鍵と同じように、この床の石版も決まった順序で石を押す必要があるんだろう。お父様が開けてくれるのかと思って待っていたら、お父様は床板から手を離して立ち上がってしまった。


「これは昨日ジュリアスが見つけたものなのだが、ディアにはこれを開けて欲しいのだ」


「えっ!? 私、開け方なんて知らないよ」


「それはそうだろう。だが、私にもジュリアスにも開け方がわからなくてな。前に〝仕掛け魔法なんて私にかかればチョチョイのチョイだ〟と言っていただろう?」


「ええっ!?」


 何ということだろう。確かに言った覚えはある。あれはそう、リドーに重症を負わされたお父様が目覚めた翌日、魔王城から最寄りの町に向かって二人で歩いていた時のことだった。カリュディヒトスとのことをお父様に尋ねられ、お父様が頷きながら聞いてくれたことに気分が良くなった私は、調子に乗ってそんなことを言ってしまったのだ。


 ――お父様、なんでそんなこと覚えてるのかな!?


 口は災いの元だ。沈黙は金なりと何度も思っていたはずなのに、何てことを言ってしまったんだ!


「ナターシアとフィオデルフィアを繋ぐ地下通路の仕掛け魔法も、お前は自力で解いたのだろう?」


「いや、あれは、そのう……」


 違う、解いてない。二大陸を繋ぐ地下通路の開け方は、ゲームでジュリアスが教えてくれた順番を覚えていただけだ。と思ったけれど、私には言えなかった。ただ顔をひきつらせながら口をもごもごと動かしただけだ。


 お父様はそんな私を見て不思議そうに首を傾げ、「どうした?」と聞いてくる。私には何でもないと首を横に振ることしかできなかった。


 ど、ど、どうしよう!


 と内心では心が暴れまわっていたとしても。


「そうか? 鍵は渡しておくから、家の中は自由に見てくれ。何かあればジュリアスに言いなさい」


「う、うん……」


「では私は戻る」


 お父様は私を家に残して出ていってしまう。渡された鍵を見下ろしてから、


「い、いや、無理だよ……!?」


 と、かつてないほど特大のため息を吐き出した。お父様にもジュリアスにも開け方が分からない仕掛け魔法なんて、私に開けられる気がしない。カリュディヒトスの仕掛け魔法はその場で考えるパズルだったけれど、この床の石版は違う。決まった順序で押すタイプのものだ。何回押す必要があるのかも示されていないし、押す順序がわからない限り絶対に開かないやつだ。


 お父様に頼ってもらえたことは素直に嬉しい。でもこれは無理だ。いくらなんでも厳しすぎる。でも開けられないと即答して、じゃあ地下通路はどうやって開けたんだと聞かれてしまったら答えられない。何よりお父様を落胆させたくなかった。せめて考えるくらいはしなければ……。


「うう、そもそも何なのかなこれ……」


 机の下に目を落とし、どうにか解決方法を探すことにした。試しに赤い石に触れてみると、赤い石が仄かにチカッと光った。次に青い石に触れてみると、やっぱり光る。適当に次々と触れてみたけれど、触れた石が一瞬光るだけで何も起きなかった。


「うーん……」


 とりあえずいったん円形の床板を元の場所に戻してみる。円形の溝の周囲だけ、ほんの少しだが色が濃いことに気がついて、私は部屋を見回してみた。色が違う部分にはずっと何かが乗っていたような気がしたからだ。


 色の違う床にぴったりはまりそうなものはすぐに見つかった。小さな茶色いマットが机の横に置かれている。試しに机の下にそのマットを置いてみたら、色の違う床はぴったり隠れた。


(このマットは……うーん、床の石版を隠してあっただけだな)


 石版の開け方とはあまり関係がなさそうだ、と私は肩を落とす。ジュリアスがこの石版を見つけた時に、マットをどけたままにしていただけだろう。


 他にヒントはないんだろうか?


 様々な物が置かれた、四角い部屋。

 意味のわからない壁のメモ。

 床の落書き。

 何だろう、何か連想しそうだ。


 私はこの部屋で鍵を開けなければならない。……そう、鍵を……。


「脱出ゲーム?」


 ようやくその言葉を思いついて、私は首を傾げた。外に繋がる扉は開いているし、何なら鍵も最初から持っている。けれどなんとなく、日本で何度か遊んだことのある脱出ゲームを思い出した。


 脱出ゲームは大抵、部屋の中に閉じ込められた、という状況から始まる。部屋の謎を解き進めると部屋の鍵が見つかり、外に脱出することができる、という流れが一般的だ。


「脱出ゲームは苦手なのに……」


 私は頭を抱えながらため息をついた。インターネットに公開されていた脱出ゲームをいくつか遊んでみたことはある。でもいつも少し進めただけで詰まって攻略サイトを見る、というパターンの繰り返しだった。脱出ゲームなど二度とやるまい、と思っていた。それがどうしてこんなことに。


 まさか聖女伝説のジュリアスルートあたりで、この脱出ゲームを解く必要があるの? RPG要素が濃すぎることもそうだけれど、脱出ゲーム要素を取り入れるなんて、このゲームの制作会社は乙女ゲームを何だと思ってるんだ? そんなものを乙女が求めていると思うなよ? 少なくとも私が乙女ゲームに求めていたのは、イケメンとトキメキとストーリーだぞ? まあそんなだから、このゲームは大して人気が出なかったんだろう。


 ゲームの制作会社に若干恨みが募ってしまったけれど、それは置いといて。もし私の予想どおりこれが脱出ゲームなら、部屋の中に何かヒントがあるはずだ。


 意を決して立ち上がり、周囲を見回した。脱出ゲームならまず間違いなく床の落書きにも壁のメモにも意味がある。棚にだって何かあるに違いない。


 理解できない床の落書きとメモはいったん諦めて、棚に近付いてみた。棚にあるのは分厚い本と、ノート。本やノートの隙間からはメモ用紙らしき何かがたくさんはみ出している。その中で唯一違うものと言えば、棚の下の方に置かれた小さな木箱だった。箱の蓋にきれいな石がはまっているので、簡素な宝石箱にもオルゴール箱にも見える。


 持ち上げようと小箱を引っ張ってみたけれど、小箱は棚に固定されているようで動かなかった。


「ヒントかなあ……」


 小箱の蓋を持ち上げてみたけれど、固く閉まっていてびくともしなかった。よく見ると小さな鍵穴がついている。まずはこの小箱の鍵を探す必要があるのかもしれない。


 いったん小箱も諦め、次は壁のメモに目を移す。壁にピン留めされたメモは八枚。魔法陣の一部らしき記号と、波線のようなものが書いてあった。波線はまさか文字なんだろうか。下手すぎて読めない。


「うーん、そもそもこのメモって、誰かが動かしてないのかな?」


 この家は掃除されているように見えるし、シリクスさんが死んでからずっとそのままになっているとは限らない。誰かが片付けたり何かを持ち出したりした可能性だってある。何かあればジュリアスに言うようにとお父様も言っていたし、まずはジュリアスに話を聞いてみよう。


 家の鍵を閉め、魔王城に戻ることにした。



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