《番外》それは、あり得たかもしれない物語2

※番外編です


***



 なんだかふわふわとして、水面に浮かんでいるような気分だ。足に地面の感触はない。けれど地に立っているときと同じような目線の高さで私は周囲を見回せた。


 そこは魔王城の謁見の間だった。ディアドラが退屈そうな顔で玉座に座っているのが見えて、はて、じゃあそれを見ている私は何だろうと考える。これは夢かな、というのが一番ありえそうな答えに思えた。


 ディアドラの眼下ではジュリアスが片膝をついて跪き、頭を垂れていた。ジュリアスの服はあちこち破れ、血が滲んでいる。回復しようと思ったのに、魔法が発動しなかった。夢だからかな。


「で、聖女を殺し損なったと」


「……申し訳ございません」


「私は殺してこいとは命じたが、負けたら引けと言った覚えはないぞ?」


「……」


 この会話を私は知っている。ゲームのまだ序盤だ。聖女が力を覚醒させて、アルバートもトゥーリも仲間になって、少ししてからのことだった。ニコルはまだNPC扱いだったけれど、最初のジュリアス戦にはニコルもいた。ディアドラはさして興味もなさそうに足を組み替える。


「倒せるまで行ってこい? 配下が足りぬなら貸してやろうか?」


「お待ち下さい、ディアドラ様!」


 音を立てて謁見の間の扉が開いたかと思うとザークシードが入ってきて、ジュリアスの横で跪いた。


「次は私が参りましょう。ジュリアスは一度休ませてやって頂けませんか」


「……ザークシード様、私は」


「ジュリアスは黙っておれ」


 ディアドラの眉が不愉快そうに寄せられる。


「別にどちらでもよいわ」


 吐き捨てるようにそう言うと、彼女は席を立って退室してしまった。


 ゲームのシーンは確かこれで終わりだったけれど、なぜか私はまだジュリアスとザークシードを見つめていた。ザークシードが先に立ち、ジュリアスを見下ろす。


「立てるか、ジュリアス」


「はい。傷の治療は終えておりますので、大丈夫です」


 ジュリアスはすっと立ち上がったが、ザークシードは首を横に振ってその肩を叩いた。


「聖女や聖職者の放つ白い炎は、我々魔族には酷い苦痛を与えるものだと聞いている。傷だけ癒やしても疲れはあろう。少し休め」


「いえ。ザークシード様が出られる必要はありません。もう一度私が行ってまいります」


「馬鹿を言うな。ではこうしよう、私が負けて帰ってきたら、次はまた代わってくれ」


 ジュリアスは少し考えてから、ぺこりと頭を下げた。


「……わかりました。どうぞ、お気をつけください。見た目はか弱そうな少女ですが、仲間もおりますし、その印象どおりではありません」


「肝に銘じておこう。よいな、お主は必ず休むのだぞ」



   ◇



 ふと、瞬きほどの僅かな時間で景色が入れ替わる。


 魔王城の外だ。傷だらけで戻ったザークシードをジュリアスが支えている。この場面を私は知らないはずだ……たぶん。


「ザークシード様、ディアドラ様に会われる前に治療をしましょう」


「後で良い。まだ歩ける」


「しかし……」


「聖女の傍にな、キルナス王国の生き残りがおったよ。その青年に剣を向けられて、私は……どうしてだろうな、ほっとしてしまったよ。彼になら、私は殺されても文句は言えんな」


「ザークシード様……」



   ◇



 また一瞬で景色が変わった。今度は毒々しい色合いの森の中だった。振り返ると魔王城が遠くに見えた。


「行くのか、ジュリアス」


「……わかっておられるはずです。ディアドラ様では、グリード様が目指したものから離れるばかりだと。ザークシード様も一緒に行きませんか」


 ザークシードは薄く笑って首を振った。


「わかっておる。それでも私は行けぬ。子供たちもいるし……何より、今更人間の側につくには、私は人を殺しすぎた。その責任はいずれ取らねばなるまいよ」


 ジュリアスはザークシードから視線を外し、地面に目を落とす。その瞼が一度伏せられてから、彼はもう一度ザークシードを見据えた。


「……次にお会いする時は、容赦はいたしません」


「遠慮はいらん。……寂しくなるな」


 森の中でジュリアスとザークシードが対峙しているこのシーンも、確かにゲームの中にあった。ジュリアスがルシアの仲間になる直前だ。


 去っていくジュリアスをしばらく眺めていたザークシードだが、その背が完全に木々に隠れて見えなくなってから、魔王城を振り返る。


 いつの間にか、少し離れたところにディアドラが立っていた。ディアドラは口元に薄い笑みを浮かべながらジュリアスが向かった方角を見つめている。


「ディアドラ様、これは……!」


「構わん、行かせておけ。その方が面白そうだ」


 ディアドラは楽しげに笑ってから踵を返すと、魔王城に向けて飛び立った。



   ◇



 不意にまた場面が変わった。


 斜度のきつい山の中。空に厚い雲がかかっているから、たぶんナターシアのどこかだろう。ジュリアスとルシアが並んで立っていて、少し下がったところにニコルやレオン、トゥーリ、アルバートが待機しているのが見える。ルシアたちと対峙しているのはカルラだった。カルラは腕を組み、剣呑な視線をジュリアスに向けている。


「何やの、坊ん。今更うちに何の用や?」


「ご無沙汰しております、カルラ様」


「あんたら、五天魔将も魔王も全員討ち取ったんやろ? まだ満足できんの? うちのことも殺しに来たか?」


「違います!」


 ジュリアスが一歩進み出たけれど、カルラは動かなかった。


「本日はお願いがあって参りました。カルラ様、次の魔王になって頂けないでしょうか」

「……そんなくだらん冗談を言いに来たんやったら帰ってくれるか。なんや、里に手出しする気がないなら、別に出てこんでもよかったな」


 カルラはため息交じりにそう言って頭を掻き、踵を返す。その背にジュリアスがもう一度声をかけた。


「冗談ではありません。カルラ様、私は、グリード様の夢を継ぎたいのです。カルラ様にもぜひそのお力添えを頂ければと――」


「っ、ふざけんな! 何が夢や。そんなもん追いかけたから、サフィリアもシリクスもグリードはんも、皆死んだんやんか!」


 カルラが弾かれたように振り返り、激昂した声を上げる。けれどその声の強さに反して、カルラは今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「夢なんか追わんかったら、グリードはんが魔王にならんかったら、あいつら皆、今でも生きとったんちゃうの? ザークシードかって、グリードはんが魔王やなかったら、五天魔将なんかやらんかったんちゃうの? なあ坊ん、その夢追うんやったら、なんでザークシードまで殺したん? あいつは、あいつやったら、その夢を一緒に追いかけてくれたやろ? ……わかっとるよ、どうせザークシードの奴が、死ぬまで退かんかったんやって。坊んが悪いわけやないって。わかっとるけど、うちは……うちは、だからって割り切れるほど強うない!」


 一気に言い切ったカルラが俯いたので、その表情は見えなくなる。けれど組んだ腕も肩も、どちらも微かに震えていた。


「坊んが魔王になったらええやん。確かにあんた一人では厳しいのかもしれんけど、坊んには聖女も他の仲間もおるんやろ?」


「私では……私一人では時間が足りないのです。本当に共存の道を望むなら、何世代にも渡って努力し続けるだけの時間が必要になります」


「それは、うちに何百年も魔王をやれって言うとるな? 坊んが先に死んでからも、一人で続けろ言うの?」


「一人でとは言っていません。後の世代にも志を同じくしてくれる者が見つかるはずです」


「嫌や! あんたも結局、最後にはうちのこと置いてくくせに! ……別に邪魔まではせん。勝手にせえ。うちはもう、魔王だの夢だのに関わりとうない。あんたの顔なんか、もう見たないわ!」


 泣き出しそうな顔のまま、カルラが身を翻して駆け出した。追いかけようとしたジュリアスの手をルシアがつかむ。


「わたしが行くよ、ジュリアス。皆もちょっと待ってて。大丈夫、カルラさん、とってもいい人そうだもん」


 ルシアがぱたぱたと足音を立てて駆け出していく。他の皆は顔を見合わせてから、ルシアを追いかけた。


 私は動けるんだろうか? 試しに動いてみたら、体は軽く、ジュリアスたちを追い抜いてルシアに並ぶことができた。けれどルシアが私に気付く様子はない。


 少し走ると、開けた場所に出た。崖の前でカルラが岩に背を預けて座っている。その視線の先には平地の森が広がっていて、雲のせいか遠くの景色は霞んでいる。


 もしかしたら、この向こうにあるのは魔王城なのかもしれない。お父様が魔王をやめたらフィオデルフィアで生きるなんて言っておきながら、カルラは結局、ここからディアドラたちを見ていたんじゃないかな?


 お父様や自分たちが作り上げてきたものをディアドラが破壊し、人間をたくさん殺してディアドラ自身も死んでいくまで、カルラはどんな気持ちで眺めていたんだろう。それは、さっきのカルラの態度が語っているような気がした。


 そういえばここはどこなんだろう。里がどうのと言っていたし、カルラが長をやっていたという里は魔王城より南の山岳地帯にあると聞いた。ならここは、カルラの里の近くなのかもしれない。


「ええと、カルラさん?」


 ルシアが近付いて声をかけると、カルラは面倒くさそうに振り向いた。


「うち、もう顔も見たないって言わんかったっけ?」


「確かにジュリアスは言われてたけど、わたしは言われてないかなーって」


 ルシアはにこりと笑ってカルラの横に腰を下ろす。カルラは頭をかくと、揚げ足を取るんが上手な嬢ちゃんやなあ、とため息をついた。振り返ると、ジュリアスたちが少し離れたところからルシアとカルラを見つめていた。


「うち、あんたらの話を聞く気はないんやけど」


「わかってるよ。そうじゃなくて、わたしね、カルラさんのお話が聞きたいなって思ったんだ」


 ルシアはにこにこ笑っているけれど、カルラは心底面倒くさそうだった。


「さん付けはいらん、カルラでええ。……はあ、何か話さんと帰ってくれなさそうやし、一個だけなら答えたるわ。何の話が聞きたいん?」


「一つだけかあ。うーん、じゃあね、――カルラさんは、どうしてここにいるの?」


「は? なんでって、……」


 きょとんと固まってから、カルラが表情をくしゃっと崩した。片手で目を覆い、長い息を吐きだしている。


「なあ、あんたさあ、それどういう意味で聞いてんの?」


「? 意味って??」


 ルシアは目をパチクリさせて首を傾げる。彼女のことだから、きっと何も考えてないんだろう。でもカルラはなぜだか、立てた膝の上に額を乗せて強く目を伏せた。


「嫌な質問すんなあ……」


 どうしてカルラがそう言ったのか、私にはわからなかった。



   ◇



 会話の続きが気になったけれど、また景色が変わってしまった。


 今度は魔王城の謁見の間だ。でも玉座は空だし、室内を見回してみても誰もいない。移動してみようかと迷っていたら、カルラとジュリアスが入ってきた。


「ここに来るんも久しぶりやなあ。思ったほど壊れてないやん」


 部屋の中を見回したカルラが、腰に手を当てながら笑顔でそんなことを言った。ジュリアスが「戦いの跡は私が修繕しておきました」と眼鏡を押し上げてから答える。


「あんた、ほんま器用やなー」


 カルラが感心したような声を上げながらジュリアスを振り返る。ジュリアスは涼しい顔で肩をすくめた。


「カルラ様こそ腕が鈍っていないようで安心しました。まさかたった一日で、他の魔王希望者全員を叩きのめして黙らせるとは思いませんでしたよ」


「おっ。なあなあジュリアス、もっと褒めて褒めて」


「嫌です」


「えーっ、けち」


 カルラが口を尖らせる。それから空の玉座に歩み寄り、階段の下からじっとそれを見上げた。


 カルラは浮かべていた表情をすっと消すと、その場に片膝をついて跪き、頭を下げた。カルラは目を伏せ、ぽつりと何かを呟く。カルラの声は小さくて聞き取り辛かったけれど、彼女は確かにこう言った。


 ――ただいま。あんたの夢は、うちらが継いだるわ。


 それからカルラはゆっくり立ち上がると、もとの笑顔を浮かべてくるりと玉座に背を向ける。


「座られないのですか?」


「椅子は空けとく。うちにとって魔王はあいつだけや。あんたも一緒やろ。ま、あいつはこの椅子に座りたがらんかったけどな」


「……そうですね」


 二人は少し寂しげな笑みを互いに向けあってから、謁見の間を出ていった。



   ◇



 目を開けると見慣れた天井があった。上体を起こして周囲を見回しても、いつもどおり私の部屋が広がっているだけだ。昨夜私が寝る前に読んでいた小説も枕元に置かれている。


(今の夢は……何?)


 ゲームで見た場面もあったけれど、知らないシーンもあった。もしかしたらジュリアスルートのイベントなのかもしれないけれど、クリアしていない私が知るはずもない。ディアドラが死んでからの場面もあったし、ディアドラの記憶ですらないんだろう。


 何だったんだろう。ただの夢だと、私の想像でしかないと切って捨てるには、夢の光景は鮮明すぎた。それに気になってはいたんだ。カルラほど特徴的なキャラクターがゲームに登場しなかったなんて、ありえるのかな? と。


 お父様から聞いた話が正しければ、カルラの歳をとりにくいという体質や年齢が特におかしい。そんな特殊な設定、ゲームに出てこないキャラクターには必要ないはずだ。


 でももし今見た夢のように、ゲームの最後でカルラが次の魔王になるのだとしたら? ルシアがディアドラを倒したからといって〝悪い魔王はいなくなったので、人間も魔族もさあ仲良くしましょう〟なんて無理だ。特に魔王に苦しめられ続けた人間たちは、間違いなく魔族を憎んでいる。


 でも人より魔族よりずっと長く生きられるカルラが魔王になって、人に歩み寄る努力を何十年も何百年も続けられたなら、可能性はあるかもしれない。遠い未来の可能性を示してエンディング。ただのゲームならそんな終わり方もありそうだ。


 ヤマトやユラという日本語みたいな名前からしても、カルラが長をやっていたという里は、多くのRPGでお約束のように登場する和風の町ではないかと思っている。そんな特徴的な町があるのに行く機会がないなんて多分ありえない。だから、どうして夢に見たのかはわからないけれど、今の夢はきっとあり得た未来なのだ、という気がした。


 どうしてこんな夢を見たんだろう。まさかこの世界に存在するという女神の仕業? でも仮にそうだとしても、こんな夢を見せられて私にどうしろと? 確かにジュリアスルートをやっておけばとは思っていたけれど、私が知りたかったのはこういうことではなかったのに。


(ルシアとカルラは、あれからどんな話をしたんだろうな)


 今の夢が本当にジュリアスルートのイベントなのだとしたら、あのあと何を話してもらえたのだろう。そんなことが気になった。



***

 いつも読んでいただきありがとうございます。評価、感想、ブクマ、誤字報告、全て嬉しいです!



(ちょっとだけ妄想語り)

※読まなくても支障はありませんので、興味のない方は次のページへどうぞ。次から5章です。


 では妄想を勝手に語ります。

 聖女伝説においてディアドラを倒した後が描かれるのはジュリアスルートだけだけど、他のルートでも同じ流れになる……はずだと思っています。たぶんね。(ちゃんと書いてないことは断言しない主義)


 ゲームにおいてジュリアスは主人公側なので、ラスボスを倒した時点のレベルは五十台後半かせいぜい六十台のはず。私の知るRPGはそんなもん。


 長く魔王を続けるならそのレベルでは心もとないし、そもそもジュリアスは参謀型。魔王候補になれるほど強くて確実にグリード様の夢に賛同してくれて、ジュリアスが信頼を寄せられる相手なんてもうカルラ一人しか残っていない。となればカルラを次の魔王に担ぎ上げる、というのがジュリアスの立場で考えると最善かなあという気がしました。でもカルラが本気で嫌って言ったらジュリアスは次案を考えてくれるはず。


 ジュリアスはまた五天魔将をやるんだろうけど、後継者をきっちり育て上げた上で、若者に五天魔将を譲り渡してからも執務を続けて欲しい。そんでカルラに「あんた引退せんの?」とか言われて、「カルラ様を引っ張り出したのは私なので、最後までお傍にいますよ」とか返して欲しい。


 カルラが魔王になった時点で二人の関係が変わるので、カルラはジュリアスを名前で呼ぶようになるけど、ジュリアスが年老いて死ぬときには最後に坊んって呼びかけて欲しいなあ。


 そんでカルラは、愚痴とか不満とかたくさんぶーぶー言いながらも、ジュリアスがいなくなってからもずっとずっと一人で続けんのかな。魔族と人間が手を取り合うその光景を本当に見たがってた人たちは、もう誰もいないのに。それってすっごくさみしいな。


 とかいろいろ妄想が爆発しましたが、番外編の後日談なんてどこで書くんだよ、と思ったのでここに吐き出して供養しておきます。ハイ終わり。埋めとこ。


 お付き合いくださった方、ありがとうございました。


 では、次から5章です。引き続きよろしくお願いします!



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