04-03 巫女の出迎え(1)


 待ち合わせ場所として指定されたのは、キルナス王国の王都から南の森に隣接した海岸だった。


 私とジュリアスは足が滑りそうなさらさらの砂地に降り立ち、空を見上げて太陽の位置を確認する。約束した時間まで小一時間くらいかな。ちょっと早く来すぎたかもしれない。


 日陰で待とうと移動しかけたところに、一台の馬車がやってきた。


 カルラの荷馬車とは違い、旅客用の馬車だ。屋根と壁で囲まれた内部は、窓にカーテンがかかっているせいでよく見えない。茶色い外装はシンプルで、引いている馬は二頭だった。


 止まった馬車から一人の少年が降りてきて、その後に少女、一人の男性が続く。少女はこちらの姿を見て慌てたように駆け寄ってきた。砂地では歩きにくそうなふわふわのドレスを身に着けている。青と白のフリルが少女の動きに合わせてひらひらと揺れた。


「後の到着となってしまい、大変申し訳、ありません……っ」


 切れた息を胸に手を当てて整えながら、その少女は頭を下げた。淡い水色の長いポニーテールが彼女の首にかかって流れ落ちる。


「ううん、私たちも今来たところだから気にしないで。あ、いや、気にしないでください。そもそもまだ時間より早いし」


 この少女は誰だろう。気にはなるけどそんなことより、私の目はその後ろから付いてきた少年に釘付けになってしまった。


 獅子を思わせる黄土色の髪は短く切り揃えられている。まだ幼さを残した顔立ちの中で、引き結ばれた眉と唇からは凛々しさを感じる。一本の剣を左に下げ、騎士団の制服みたいな臙脂色の服を身に着けていた。


 ――レオン。


 確かルシアとジュリアスの間くらいの年齢だから、今は十六か十七になったばかりのはずだ。制服を着ているということは、もう騎士の入団試験に合格したんだろうか?


 この国に来るまでの間に頑張ってゲームの設定を思い出そうとしたけれど、シスコン、という印象が強すぎた上に彼は台詞が少なく、それしか思い出せなかった。


「……あの」


 少女に声をかけられ、私ははっとして彼女に視線を戻す。レオンと同じ薄紫色の瞳と目が合った。少女はとても優しげな表情をしているけれど、どことなくレオンに似ている。年齢は私より少し年上に見えた。


 少女は片足を一歩後ろに引くと、スカートの裾をつまんで慣れた動作でお辞儀をした。


「初めてお目にかかります。キルナス王国で盾の巫女を拝命しております。フィオネと申します」


 ……ん?

 フィオネ?


 レオンの妹の名前だ。数日前に見た悪夢の中で、死んでいた子。さっと二人を見比べて、それから慌てて私もぎこちなくお辞儀を返す。


「魔王の娘、ディアドラです。は、はじめまして……」


 それから少女と同時に姿勢を戻す。フィオネは後ろに控える男性とレオンを手で示した。


「こちらは当国の外交補佐官のヘイスです。それからこちらの騎士は護衛として参りました、レオンです」


「お初にお目にかかります。ようこそキルナス王国へ」


「はじめまして」


 ヘイスとレオンが頭を下げたので、私もジュリアスを手で示す。


「あっ、えっと、こちらはジュリアスです。不戦協定の条件を話し合うために連れてきました」


「ジュリアスと申します。以後、お見知り置きください」


 ぺこりと頭を下げたジュリアスのお辞儀は、私と違って様になっていた。イケメンは得だなちくしょう。


 もともと少年にしては背の高かったジュリアスは最近また背が伸びた。ゲームよりはまだ少し若いとはいえ、すっかり青年に見える。ジュリアスはまだ十代のはずだけど、彼の落ち着いた雰囲気のせいか、二十歳すぎに見えなくもない。


 ジュリアスから視線を外してフィオネに戻す。

 フィオネは申し訳無さそうに再び頭を下げた。


「本来ならば王子か姫が対応すべきところ、巫女の出迎えとなり大変申し訳ございません。王子も姫も、今は臥せっておりまして……」


「? いや、相手に指定はないけど……臥せってるって、大丈夫なの?」


「寛大なお言葉、感謝の言葉もございません」


「えっと……?」


 なぜこんなに謝られるのかわからなくて、ジュリアスを振り返る。王には王が、家臣には家臣が応対するのがこの国の通例であるらしい、と小声で解説してくれた。


 つまり王の子には王の子が対応すべき、というのがこの国の常識なんだろう。でも王子や姫に出てこられる方が緊張するので、年の近い女の子に迎えてもらえた方が助かる。いや王子や姫にも会ってはみたいけど。


 ようやく頭を上げたフィオネが、今度は自分の乗ってきた馬車を手で示した。


「ディアドラ様、ジュリアス様、どうぞこちらの馬車にお乗りください。ここからはわたくしがご案内いたします」


「ど、どうも……」


 促されるまま馬車に乗り込むと、シンプルな外装とは違って内側は豪奢な造りだった。座席もふかふかで、座るとお尻が沈み込む。


 私とジュリアスが並んで座り、その対面にヘイスとフィオネ、レオンが腰を下ろした。馬車はそれなりに広さがあるけれど、さすがに三人並んで座ると狭そうだ。


 窓には全て白いカーテンがかかり、外の様子は全く見えなくなる。でもそんなことより、美しい壁紙や天井を眺めるのに夢中だった。


 童話に出てくるかぼちゃの馬車ってこんな感じかな? 天井には小ぶりのシャンデリアが光っていて、室内を照らしている。座席の肘掛けには金色の飾りがついていて、触れるのをためらうほど美しかった。


 馬車がゆっくりと動き出し、蹄の音が壁の向こうから聞こえてくる。フィオネが一つ深呼吸をしてから黒い環を二つ差し出してきた。


「それで、あの……不躾なお願いをしてしまい申し訳ないのですが、この国に滞在する間、この腕輪を着けていただけないでしょうか?」


「これは?」


 それを受け取って片方をジュリアスに渡し、いろいろな角度から眺めてみる。広げた手の平ほどの直径がある細い輪だ。内側に美しい文様がキラキラと光って見える。


 フィオネが申し訳なさそうに瞼を伏せた。


「それには装着した者の魔力を抑える作用があります。ご不快とは思いますが、女王様への謁見に際し、どうしてもと……」


「いいよ」


 左手に通してみると、それはシュンと音を立てながら小さくなって、ちょうど手首ぴったりのサイズになった。


 すごい、魔法みたいだ、と感動しながら左手を目の高さまで上げて眺めてみる。黒一色で可愛げはないが格好いい。おおーっ、と思わず声が漏れてしまった。


「ちょ、ディアドラ様!」


 ジュリアスが慌てたように言うので、「え? なんで?」と横を向いた。ジュリアスは親子揃って不用意なと眉を寄せながら言う。それからジュリアスも環を少し眺めてから腕に通した。親子揃ってってなんだろう? フィオネが困惑気味に言う。


「よ、よろしいのですか」


「うん? だって話し合いに来ただけだし。あ、いや、ですし」


 もとから敬語が苦手だったうえ、特にディアドラの姿になってから敬語なんて全く使ってこなかった。だからつい敬語が抜けてしまう。お父様からも失礼のないようにと言われているのだ。年の近い女の子が相手だとはいえ、気合を入れ直そう。


 私はフィオネを見ながら首を傾げた。


「それで、ええと、フィオネ様と呼べば良いのでしょうか?」


「いえ、フィオネとお呼びください、ディアドラ様。敬語も不要です。盾の巫女といっても、私はただの平民にございます」


 やったぞ早速呼び捨てとタメ口のお許しが出た! と心の中で快哉を叫びながらも、できる限り顔に出さないようににこりと笑う。


「そう? じゃあ、私のこともディアって呼んでよ」


「いや……っ、それは……。姫君を愛称で呼び捨てるなど、平民の私には……」


 目を見開いてふるふると首を横に振るフィオネを見ながら、さらに首を傾げる角度を深くした。


「……姫君?」


 誰のことだ、それは?


 ふっと吹き出す声が聞こえて隣に視線を向けると、珍しくジュリアスが表情を崩して笑っていた。


「なんで笑うのよジュリアス」


「いえ、失礼。確かに人の世では、王の娘のことを姫と呼ぶなと思いまして」


「……ん? つまり私はお姫様だったの?」


「それはどうでしょう。我々魔族に身分という概念はありませんし、ディアドラ様は姫と呼ぶにはいささかお転婆が過ぎるのでは」


「なによう!」


 ふふっと鈴の音のような声に顔を前に戻せば、フィオネが小さな手を口に当てながら笑っていた。私とジュリアスの視線に気付き、フィオネは慌てて両手を膝に乗せて姿勢を正す。


「あっ、申し訳ありません。笑ってしまうなど、ご無礼を……」


「ううん。むしろ笑ってよ、フィオネ。ねえ、この国のこと、たくさん教えてくれない?」


 この子とは仲良くなれる予感がする、と期待しながら言ってみたけれど、ジュリアスに止められてしまった。ジュリアスはもういつもの真面目な表情に戻っている。


「その前に、この後の予定について伺えますか?」


 ジュリアスの問いに、返事をしてくれたのはヘイスだった。


「それは私からご説明いたします。本日はこのままお泊り頂く屋敷にご案内いたします。明日午前に女王陛下に謁見頂きまして、午後から会議に移らせて頂ければと考えております。事前にお伝えしてあります通り、会議日程は一週間を確保させて頂いております。明後日以降は、午前と午後に二時間ずつを想定しております」


「承知しました」


 パーティや晩餐などは無さそうだ、とほっと息をつく。一応来る前にキルナス王国のテーブルマナーやダンスの作法についてざっと学んでは来たけれど、付け焼き刃だし全く自信はない。


 フィオネが申し訳なさそうに付け加えてくる。


「あっ、あの、歓迎の場などが設けられず大変申し訳なく……」


「謝らないで。むしろ無くて心底ホッとしてるから」


 フィオネは恐縮して何度も頭を下げているけれど、私としては本心だ。私の失敗はお父様の顔に泥を塗る事になりかねないし、パーティと言われたらどうやって欠席しようか悩んでいたくらいなのだ。本当に良かった。


「ご滞在中、ご不便などありましたら何なりとわたくしたちにお申し付けください。わたくしたちもお二人が滞在される屋敷の使用人室を使わせて頂きます」


 フィオネの言葉に、ジュリアスが軽く身を乗り出して言う。


「でしたら滞在中、空き時間に図書館か書庫を利用することは可能でしょうか?」


「図書館……でございますか?」


 フィオネは戸惑ったような表情を浮かべ、片手を頬に添える。ジュリアスは軽く頭を下げた。


「はい。もちろん、可能ならで結構です」


「承知しました。確認してお知らせいたします」


「よろしくお願いします」


 それを聞いて、私はそれならばと半分腰を浮かせながら前のめりになった。


「ねえ、私は本屋さんに行きたいな」


「本屋でございますか?」


「うん! ナターシアにはね、小説が全く売ってないの。だから、来たついでにちょこーっと買って帰りたいなって思ってるんだけど……だめかな?」


 いつかまた人間の町に行ける日のために、私はお小遣いをコツコツ貯めていたのだ。もちろん全額持ってきているし、こんなチャンスは滅多にないのだから全額使い切る気でいる。


 フィオネは目をぱちぱちさせてから、にこりと笑ってくれた。


「あわせて確認いたしますね」


「うん、ありがとう!」


 回答に満足した私は背中を座席に戻し、「ねえ、フィオネは小説は読む?」と話を振ってみる。フィオネは困ったような表情を浮かべて「お恥ずかしながら、少女向けの軽い本しか……」と消え入りそうな声で言った。


 少女向けの軽い本だと!? 私は勢いよく腰を浮かせてフィオネの手を己の両手で包み込んだ。途端にレオンの視線が鋭くなったことには気が付いたけれど、それどころではなかった。ナターシアで期待した読書友達を得られなかったせいで、本トークに飢えているのだ。


「むしろそれが聞きたいの! ねえ、どんなお話が好き? おすすめはある!?」


「え、えっと……わたくしは騎士の活躍する物語が好きですね」


「いいよね騎士! うんうん、それで? 恋愛モノ? 冒険モノ? 私はね、騎士が出てくる話なら、お姫様や令嬢を守る恋愛モノが好きだな!」


 急に立ち上がろうとしたせいで、馬車が強く揺れた途端に座席に尻餅をつく。ふぎゃっと情けない声を上げた私に、ジュリアスが呆れたような目を向けてきた。


「まったく……遊びに来たわけではないのですよ」


「なによう、私の役割なんてここに来た時点で終わったようなものなんだからいいでしょ」


 口を尖らせながらジュリアスを見る。ジュリアスはため息を付いてから眼鏡をかけ直した。


「よくありません。失礼のないようにお願いします」


「ぶー」


 転ぶと痛いので、せめて座って話そう。どんな物語が好きかとフィオネと話していたら、馬車はすぐに目的地に着いてしまった。



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