4章 盾の巫女と亡国の騎士

04-01 亡国の炎


 国が燃えている。

 空が赤い。


 聞こえてくるのは人の悲鳴、轟音、泣き声、パチパチと燃える音ばかりだ。焦げ臭い匂いが鼻につく。少年の体からは暑さで汗が吹き出ていた。


「フィオネ……」


 少年には動かぬ骸となった妹をただ強く抱きしめることしかできなかった。力なく地面に落ちた少女の白い腕には鮮やかな血がまとわりつき、まだ体温の残る身体も真紅に染まっている。


 その血が少年のものなのか妹のものなのか判別できないほど、少年もまた重傷を負っていた。痛む手足ではもはや立ち上がることも、剣を握ることも叶わない。息は切れ、目は霞む。周囲の人間たち同様に倒れていても不思議はない体で、どうにか気力だけで、妹の亡骸を抱きながら上体を起こし続けている。


 悔しいが眼の前にいる敵に一矢報いたくとも、文字どおり手も足も出なかった。


「盾の巫女などと大層な称号を聞いて期待したが、こんなものか。つまらん」


 地面から少し体を浮かせて少年たちを見下ろしていた赤い髪の少女は、退屈そうに息をついた。


 ――つまらん、だと。


 命を賭して国を、民を守ろうとした妹に向かって何を言うか。妹は、この国の騎士たちは、国民は、彼女の退屈しのぎなどではない。


 少年は空に浮かぶ赤髪の少女を睨みつけた。少女は少年に気付いてふわりと舞い降りると、その細い指先で少年のあごをくいと引いた。少女の唇が笑みの形に歪む。少年を見つめる紅い眼は、血のようでも炎のようでもあった。


「いい目だ。これだけ圧倒的な力で蹂躙じゅうりんされてなお、絶望ではなく挑戦を目に宿すか。気に入った。お前だけは生かしてやろう」


 少年はふざけるなと叫ぼうとしたけれど、声はかすれて音にはならなかった。


「ディアドラ様!」


 空から大剣を背負った大柄の男が降りてきて、少女の前に跪き、頭を垂れる。


「勝敗はとうに決しました。これ以上は無意味な虐殺です。どうか兵をお引きください」


「……つまらぬことを言うな、ザークシード」


 少女は少年から指を離すと、男の方に向き直る。続く声はどこか楽しげだった。


「そうだな、お前が嫌だと言うなら、ここから先はお前の子供たちにやらせようか。あやつらは私のために、一体何人殺してくれるだろうな? なんならお前の奥方でも構わんぞ?」


「――っ」


 頭を垂れている男の表情は少年からは見えない。けれど地面についた手が強く握りしめられたのが視界の端に映った。


「……いえ、引き続き私が参りましょう。余計なことを申しました」


「ならさっさと行け。一人残らず殺してこい」


「……は」


 男は重い体を引きずるようにゆっくりと立ち上がると、俯いたまま飛び去っていく。それを見上げる少女は苛立たしげな表情を浮かべていた。


「父親など、つまらん生き物だな」


 少女は少年の方に向き直ると、口元を笑みの形に歪める。しかし紅い目には楽しげな光ではなく、暗い何かがチラついていた。


「ああ、お前は約束どおり生かしてやるぞ? もっとも、その傷ではそのまま死んでしまうかもしれんが」


 少年は奥歯を噛み、爪が食い込むほど強く手を握りしめながら少女を睨みつける。再び少女の指が伸びてきて、少年のあごをゆるやかになぞった。


「せいぜい生き延びて、私を楽しませてくれよ」


 少年がこの日ほど激しい炎を心に抱いたことはない。繰り返し繰り返し夢に見るたび、その日の憎悪を思い出す。


 許さない。

 必ず生き延びて、仇を討つ。


 ――絶対に、いつか殺してやる。

 

 そう、誓った。


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