03-07 旅の終着(3)


「失礼します。少しお時間よろしいでしょうか、マティアス司教様」


 部屋に入ってきたニコルに、マティアスはゆっくりと視線を向けた。


 各国ごとに一人ずつ任じられた司教には、専用の部屋が与えられている。アルカディア王国の司教であるマティアスにも、王都の教会の敷地内に広い執務室のようなものが与えられていた。部屋には執務用の机と椅子、聖典などを収めた本棚、それから応接用のローテーブルとソファーが置かれている。


 マティアスはニコルにソファーを勧めたが、彼は首を振ってマティアスの座るデスクの前まで歩いてきた。


「報告書は読んだ。が……どこまで信じてよいか私にはわかりかねるよ」


「嘘は書いていません」


 マティアスはニコルをちらと見上げる。ニコルはいたって真剣な表情でマティアスを見下ろしていた。


 ふうと息を一つ吐いてから、マティアスは先程まで読んでいた彼の報告書に目を落とす。


 黒い双剣を使う魔族達がグロティコの町を襲った際、そこに現れて彼らを撃退せしめたのもまた魔族であった、という内容が書かれている。小さな子供とその母親を助けた魔族もいたという。ニコルが嘘をつくような青年ではないと知っていてもなお、マティアスはつい三度は読み返してしまった。


「なぜそんな場に居合わせた?」


「休暇を頂きましたので、独自に双剣使いの魔族を追っていたら遭遇しました」


「王都からグロティコの町までどうやって行ったのだ」


「通りがかりの商人の馬車に乗せていただきました」


 こちらの質問に淡々と答えるニコルに、マティアスは再び大きなため息をついた。


 マティアスが彼に休暇を与えたのは魔族を追わせるためなどではなかった。魔王に遭遇して話をしたという彼の報告を信じられなかった者たちが、彼を詰問するようなことを何度もしていたから、一時的にでも逃してやりたかったのだ。


 このような報告書を追加で出されてしまっては、彼を疑う声が大きくなりかねない。既に彼が魔王に取り込まれただの、教団を謀っているだの、そのようなことを口にする者が出ているのだ。マティアスがいくら庇い立てしたところで限界はある。


 ただでさえ女神のお告げが途絶えて久しい上、聖地の奥深くで禍々しく赤黒い剣が見つかったと、上層部の者たちがピリピリしているというのに。


「この報告書は私のところで止めておきたいのだが」


「なぜですか? 魔族同士の戦いを間近で見ましたが、双方とも非常に強大な力を有しており、人間が相手をしようとすれば甚大な被害が出ます。魔族同士で争っているならそれを利用し、双剣使いには人ではなく魔族を当たらせるべきです。我々は双剣使いが出現する可能性のある地域の住民を素早く避難させ、出現時に即連絡が届くよう監視の目だけ残すべきかと」


 ニコルの報告が全て正しいという見方をすれば、彼の進言は間違いなく正しい。しかし正しさは必ずしも万人に受け入れられるとは限らない。人間を襲う魔族の頂点は魔王である、というのがこれまでの常識であり、ほとんどの人間にとっての共通認識なのだ。それを違うと言われたところで、違和感なく信じられる者などそうはいない。


「進言はぜひ受け入れて頂きたいですが、一旦さておき、お願いがあって伺いました」


「ほう?」


「各地を巡り、暴れる魔族共にあらがいたく思います。許可をください」


「な……っ」


 マティアスはいよいよ頭を抱えた。ナターシアの結界が解けてすぐ調査に向かったことといい、魔王相手に会話を試みたことといい、若さとは恐ろしい。


「勇敢と無謀は違うのだ、ニコル……」


 マティアスは頭を抱えたまま大きなため息を吐いた。彼が弱いとはマティアスも思っていない。むしろ司祭の中では、最年少でありながらかなり優秀な方だと知っている。けれど彼一人で複数の魔族相手に勝ち続けられるとは思えない。引退した彼の養父からよろしく頼まれているというのに、彼は自ら危険に飛び込むようなことを時々するから頭が痛い。


「理解しています。ですが、担当地区に閉じこもって魔族が襲ってくるのを座して待てと? そんなこと、僕には耐えかねます」


 マティアスを見つめてくるニコルの目には強い決意が宿っているように感じ、マティアスはその視線から逃げるように両目を伏せた。


 この様子では、マティアスが断ったところで彼は勝手に行くに違いない。司祭の任を解こうが何をしようが、止められはしないのだろう。それならばまだ手助けができる程度に繋がっていた方がマシだ。


「わかった。お前の管轄も全て他の者に引き継ぎ、できるだけ自由に動けるよう取り計らおう。他の業務は忘れてよい」


「ありがとうございます」


「ただし条件がある。ラースを連れて行け」


「は? 嫌です」


 にべもないニコルの言葉に、マティアスは眉を寄せた。さすがに彼一人で行かせるわけにはいかない。


「戦闘能力が高く、かつ比較的手が空いている者など他におらん」


「嫌ですよ。あいつと一緒に行くくらいなら、まだ――」


 何か言いかけたニコルの口が突然閉ざされ、おや、とマティアスは片眉を上げた。少し待ってみたが続きが紡がれることはなく、促してもニコルは何でもありませんと答えるだけだ。誰を思い浮かべたのか少し気になったが、マティアスの知らない人物を挙げられたところですぐには判断できない。聞いても仕方がないから忘れることにした。


「一人で行くというなら許可できない。お前も一人では難しいだろう。聞き分けなさい。それから、定期的に報告書を提出するように」


「……わかりました」


 話は終わったとばかりに踵を返すニコルの背を眺めながら、本当に行かせることが正解なのだろうか、とマティアスは何度目になるかわからないため息をつくのだった。



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