03-07 旅の終着(2)



「――と、いうわけで逃した。すまんなあ」


「いえ、ご無事で何よりです」


 カルラがひととおりの報告を終えると、ジュリアスは首を横に振った。


 まだ夕方だが、空が厚い雲に覆われているせいで、書庫の中は薄暗い。とっくに掃除も終わっているこの時間に城の西端にある書庫を訪れる者はまずいないが、声が外に漏れないよう扉や窓から一番遠い位置に陣取って、カルラとジュリアスは声を潜めていた。


「ひとまず物資の調達はしばらく他の子らに任すわ。地下通路の開閉は坊んに頼んでええか」


「構いません」


「あとお嬢にうちの子を一人貸したる言うたやつ、しばらく人手が足らんし、坊ん、何とかしといてくれへん?」


「……まあ、いいでしょう。カルラ様は一人でリドーを追われるおつもりですか?」


「いやー、一人は無理やなー」

 

 カルラは腕を組むと、どうしたものかと天井を仰ぎ見る。物資の調達は止められないし、そちらを襲われても困るので、調達組にも人員は割きたい。ユラは戦闘より周辺調査のほうが向いているし、ヤマトはカルラと同じく近接戦闘タイプだから複数の魔族を同時に相手にするならまだ手が欲しい。故郷の里から人を呼ぶか、ジュリアスやザークシードの部下を借りるか、くらいしかないだろう。


 あまり大所帯になると機動力が落ちるし、数だけの魔族を一掃できそうな火力を持った者が一人か二人いるといい。だがそんな都合のいい者がディアドラ以外にいれば、最初からその者を連れている。


 ディアドラを頻繁に外に連れ出すには理由がひねり出せないし、魔法が得意なジュリアスを連れて行きたくとも彼は結界の再構築方法を調べるので忙しい。ニコルの強化魔法や回復魔法は良かったが、司祭の彼を常時連れ回すのは無理だろう。本人にも断られそうだ。


 カルラがうなっていると、視線を落として考えていたジュリアスが顔を上げる。


「ザークシード様が最近、部下の育成に可能な限りの時間を割いておられますので、人をお探しなら聞いてみてください」


「へえ、了解」


 それなら報告も終わったし、今からでも寄ってみようか。そんな事を考えながら壁から背を離そうとしたカルラに、ジュリアスがまた声をかけた。


「人間の国の王に書簡を送りたいのですが、伝手はございませんか」


「手紙なんか送ってどうすんの?」


 カルラは首を傾げる。魔王からの書簡なんて、怪しすぎて受け取ってもらえないか無視されるかのどちらかだろう。


 ジュリアスは真面目な顔で言う。


「一時的にでも、不戦協定を結べないかと」


「このタイミングで!?」


「このタイミングだからこそ、です」


 驚愕に目を見開いたカルラを見返してきたジュリアスは真剣だった。


「今一番困るのは、カリュディヒトスらと人間が手を組むことです。ですがそれは、向こうも同じはず」


「せやけどさあ、カリュディヒトスが人間と手を組むかいな?」


「表現が適切でなかったかもしれません。カリュディヒトスなら、人間を利用し、こちらに攻め込ませるという手段をとることもあるのでは、と」


「……」


 それは――あるかもしれない。


 魔族がそう簡単に国の中枢部の人間に近付けるとは思えない。しかしリドーとカリュディヒトスが別行動をとっている以上、カリュディヒトスの取りうる選択肢としては一番筋がよさそうに思えた。ここまで何の足取りもつかめていないのは、水面下で人間を取り込もうとしているからだ、という可能性はある。


 しかし、伝手か。


 カルラはこれまで国の中枢とも教会の人間とも極力関わらぬよう、細心の注意を払ってきた。せいぜい下っ端の兵士や役人に金を握らせることがあった程度で、物資の購入も部下を複数使って分散させてきたし、大量購入で目をつけられないようにもしてきた。最初にニコルに会ったときだって、ディアドラが親しげに彼と話をしているのでなければ、そしてニコルがあんなに若く見えなければ、無防備に近付きはしなかった。


 だから伝手などと言われても、思い浮かぶ人物はカルラには一人しかいない。


「聞いてはみるけど……だいぶダメ元やで」


「ええ、構いません。お願いします」


 あの少年――いや青年が、魔族のためになど動いてくれるだろうか? ジュリアスの課題は毎回難題だ、とカルラは顔を押さえながらため息をつく。


「それはそうと、坊ん。あんたも一回休みや。ちょっと顔色悪いで」


 カルラはジュリアスの前髪をひょいと右手で上げると、左手でその額に触れてみた。手の平に伝わってくるのはほんのりした温もりで、まあ熱はなさそうだ。目を見開いたジュリアスが身を引いた。カルラの言うことなどまるで聞く気もなさそうな目をしていたので、カルラはジュリアスの額を軽く弾いた。


「シリクスがなんで死んだか、忘れたとは言わさんぞ。グリードはんも休めって言うとったやん。今日はここまでにしとき。たまには家にも帰りや」


 やや間があったが、ジュリアスはわかりましたと頷いた。


 グリードとジュリアスがナターシアの結界の再構築について検討してくれているのは知っている。全ては設計図も残さずに死んだシリクスが悪いのだ。シリクスの研究室には多数のメモ書きが残ってはいるが、成功したときのメモと失敗したときのそれ、そしてまるで関係のない書き込みまでもが雑然と散らかっていた。そんな中でナターシアの結界を構築する方法を見つけるのは、意味不明な暗号の中で宝探しをするようなものだ。そもそも正解が残っているかどうかすら誰にもわからない。


 カルラも読み解いてみようかと手にとってみたことはあるが、無理だった。メモに描かれた謎の図形の意味もわからない上、ミミズが這ったような走り書きは読めもしない。あんなのは書いた本人にしかわかるまい、と諦めた。もともとあった結界の魔石から読み解こうにも、結界に使っていた魔石は全て壊されたか盗まれたかで一つも残っていない。


 カルラは「手伝えんですまんなあ」と頭を掻いた。



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